見出し画像

【#01】ドイツの幼稚園の歴史

こんにちは、ドイツの森の幼稚園で働いているゆみアラレです。

森の幼稚園の先生から聞いた話し。

ドイツはもともと「幼児期は遊び」だったけど、一時期「やっぱり勉強させなきゃ!!」となったよ。でも、「やっぱり遊びが大事だよね〜」で戻ったんだよ。

なになに?なぜ、そうなったの?

「遊び→勉強→遊び」になった経緯は何だ??「遊びが大事」と言いたい私には、その背景が気になっていました。

そこで、その第一歩。

ドイツの幼稚園の歴史(幼稚園の始まりから今日まで)」を学びました。

wikipediaか教科書のような長いnoteです。

ーーーーーーーーーーーー

私はドイツ語B2レベルです。今回、電子辞書を使いながらドイツの教育辞典を読みましたが、6割正解だと思います🙏💦勉強メモと思って、読んでいただけたら幸いです。

ーーーーーーーーーーーー

では、ドイツの幼稚園の歴史、始まりはじまり〜!!

ドイツの幼稚園の定義

『幼稚園』とは、家庭補助と家庭支援の施設である。3歳から6歳の子どもに保育及び教育を行う施設。

※ドイツには「保育園」はありません。0〜3歳までは「Krippe(託児所)」、3歳以上は「Kindergarten(幼稚園)」に通います。幼稚園には、共働きの家庭もあれば、専業主婦の家庭もあり、家庭環境に関わらず3歳以上は「幼稚園」に通園します。幼稚園は義務教育ではありません。

幼稚園のはじまり(産業革命期)

幼稚園は、産業革命時に増加する両親共働きによる保育補助の必要から誕生した。最初の幼稚園は、1802年パウリーネ・ツーア・リッペがDetmoldに「小さい子ども達の学校」を設立した。

一般的に、施設は以下に区分された。

・託児所: 0歳児が(特に下の社会階級の子ども)1日中保育される場所。ここでは、社会福祉の観点とネグレクトの救済が重要とされた。田舎では、収穫期のみ開園された。

・「小さな子ども達の学校」:教育や授業(事情によっては時間割)に重点を置かれた。年長の子どもは、それに応じて受入れがなされた。(この意味がよく分からないのですが、産業革命時は子どもも働き手だったので、授業の成績や態度によって振分けられたのかなと思います。)

『幼稚園』の創設(フリードリヒ・フレーベル)

「幼稚園の父」であるフリードリヒ・フレーベル(1782 - 1852 )1840年6月28日、最初の『一般的なドイツの幼稚園』をBlankenburgに設立した。フレーベルは、教育は「家庭と幼稚園の協働であるべき」と主張した。そのため、子ども達が母親と長時間離れないよう、幼稚園はごく短時間の開園とした。

幼稚園の概念は、フレーベルの理想主義より幼児教育は『庭(Garten)=パラダイス、つまり幼稚園(Kindergarten)=子ども達を再び楽園に戻す場』とした。

フレーベルは、幼稚園の役割を『子ども生活の全般的な育成』とし、五感の教育、理解の養成、手先の育成、人格の成長、学校の準備など目的とした。この目的は、幼稚園のみで到達されるのではなく、子どもの共同社会、特に遊びも重要であると説いた。フレーベルは「フレーベルの恩物」等を用いて、子どもをあらゆる方面から刺激すべきとした。

フレーベル教育は、もはやドイツだけでなく、多くの国々で取り組まれており、「Kindergarten」の概念は多くの言語で翻訳されている。

モンテッソーリ教育の拡がり

フレーベルの幼稚園創設から100年の間に、幼稚園数は年々増加した。当時の施設運営者は、福祉団体、教会関係、クラブ、財団等が多かった。

1900年初頭、イタリアのマリア・モンテッソーリ(1870〜1952)の幼児教育が影響力を持つようになる。

モンテッソーリ教育は、子どもは「自分で自分を構築する」能力があるとし、自主的な教育の強調、選択の自由、自発性を促すと同時に、モンテッソーリ教具で五感教育など勧めた。

ウォルドルフ幼稚園の登場(シュタイナー教育)

1926年にシュトットガルトで最初のウォルドルフ幼稚園が開園される。彼の教育はルドルフ・シュタイナー(1861-1924 )教育に基づく

彼にとって教育とは「私から私への出会い」の形成であり、最も重要なアプローチは模倣とした。子どもの模倣能力は「外の世界の事物や出来事だけでなく、大人の雰囲気、内面の態度を知覚し、真似をする」と説いた。自由遊びと意図的でない遊びは、子どもの個性や人格が明らかになり、大きな意義があるとした。特に刺激的な自然環境が、多様に子どもの五感を活発にするとした。

ナチズム時代の教育

国家社会主義(ナチズム)は上記3つの全ての幼児教育を潰した。 

一つは、教育活動の主な重点を家庭に戻し、幼稚園は子どもにとって単なる保育補助施設とし、働いている母親、もしくは小さい子どもを十分に世話できないための施設とした。

同時に、政治的に脆弱な環境から子供を捕まえ、特に健康の鍛錬をさせた。とりわけ、少年は「闘争にすぐれた能力」の向上に力を入れた。「古い民族の善さ」や「民族生活」の養成、アーリア人の育成、ナチズム主義的世界観の育成を行った。

ドイツ連邦共和国の幼稚園 

終戦後、教育は再びフレーベル、モンテッソーリ、シュタイナーに戻った。しかし、1957年スプートニク・ショック(ソビエト連邦が人口地球衛星スプートニクを打ち上げ、アメリカと西ヨーロッパは衝撃をうけた)と「教育の大災害」(他の先進国と比較し1960年代の教育の公的支出が低い等)の発表を受け、1960年代は幼児教育があまりに低く評価されていると公表した。

幼稚園では、早期読解力のメソッド、算数、言語トレーニング、論理トレーニングのブロックなど、他にも様々な知育を取り入れた。教育はアメリカから受けて発展し、子ども達が不利な立場である状況を取り除こうとした。

幼稚園は増大な教育施設として構想されたので、ドイツの教育庁は1970年教育制度の構想プランを分類した。幼稚園を文部省に分類してもなお、幼稚園に児童福祉の権限を持たせた。

早期読解力の運動、集中的な知育、補償的な教育制度などで、大きな期待は満たせなかったあと、1970年代半ばからドイツで多くの青少年の施設が発展した。

30年間のうちに、再び幼児教育が発展したが、上記ほど広く普及はしていない。例えば、ノーバート・フペルツ教育、レギオ教育、セレスタン・フレネ(1896 -1966 )の開かれた幼稚園、森の幼稚園とおもちゃのない幼稚園。なお、モデルケース実施し、基礎領域のさらなる発展を決定づけた。幼稚園の環境から学校へ移行、異文化教育、統合教育、生態学教育。

ドイツ民主共和国の幼稚園

ドイツ民主共和国の幼稚園はたいていの場合、全日幼稚園で両親の小さな出資金で食事を提供し、国から融資をうけた。一時的な国の教育委託に従い、独立したメソッドで組織の準則がつくられた。大本は、統一した社会的な教育システム(1965 )、幼稚園の教育プラン(1965)、幼稚園の教育プログラム(1985)である。幼稚園は、青少年の社会主義的な教育に寄与し、学校準備をするべきとした。

今日の幼稚園

「子ども」と「青少年」の支援法が分割(1990 )し、初めて日常保育の領域を連邦レベルで規制された。

1996年、幼稚園の「権利の主張」(法律上の請求権)を連邦レベルで導入した。子どもの数が減少しているにもかかわらず、この法的主張は、多くの古い連邦州では今日まで(2005年時点)全面的に保証されていません。

多くの幼稚園では、3歳〜6歳の子どもが年齢混合で過ごしている。子ども施設は、開園時間の延長し、両親(母親)がパートタイムまたはフルタイム働けるよう、更に発展している。

PISA研究を通して、集中的な討論で教育課題と幼稚園の質を盛り込んだ。多くの連邦が、教育プラン、拘束力のある目的と内容を書き記した。質のマネージメントと幼稚園測定のような新しい測定法も導入されている。

ーーーーーーーーーーー

本日の名言

・幼稚園とは、子どもの楽園である。byフレーベル

・子どもは、自ら構築する力がある。byモンテッソーリ

・子どもは、大人の姿や内面の態度も模倣する。byウォルドルフ

気になった題材

・ナチズム時代の教育が、今の日本の教育の方向性をわずかに思い起こさせました。教育勅語の朗読、教育の重点を家庭に置く方針‥。(これは、また別のnoteで)

・ドイツが「幼児期は勉強勉強!!」となったのは、スプートニク・ショックと「教育の大災害」の時期でしょう。どう期待に破れ、遊びに戻ったのか気になります。

・1996年の幼稚園の「権利の主張」とは何でしょう?なぜ、少子化対策に結びつくのだろう??

・今日の幼稚園の取組みで「PISA研究を通して、集中的な討論で教育課題と幼稚園の質を盛り込んだ」とありますが、どんな話し合いで、どんな内容が盛り込まれたのだろう?

感想

いやいや、疲れました。でも、これでドイツの幼稚園の大枠が分かりました!今後、フレーベル、モンテッソーリとウォルドルフも学ぼうと思います。そして、いつか視察に行きたい。ドイツにいながら「幼稚園の父」も詳しく知らないという‥。まぁ、知らないなら調べたらいいんですね!これからです、何事も。

ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました。いつか、あなたとホットに語らいたいです😊

イラストはMeg Takanoさんのです。国旗があるイラストが欲しかったので、嬉しかったです。ありがとうございます!

ーーーーーーーーーーー

歴史なので大丈夫だと思ってますが、万が一著作権に関わることがあれば、連絡お願いします。即刻、削除します。

〈参考文献〉Handwörterbuch für Erzieherinnen und Erzieher 2010 第3版


いいなと思ったら応援しよう!