子育てという理不尽な日常 報酬は求めるな(ただし不定期にご褒美あり)
子供ができてから努めて自分の考え方を修正していることがあります。
「勝手に因果関係を付与しない」ことと,
「見返りを求めない」ことです。
因果関係を付与する,というのは,例えば私は
「この子の食べムラはわたしの料理がまずいからなのか」とか
「作り置きにしているからおいしく感じてくれないのではないか」とか
「おしゃぶりをいまだに寝る時外せないのはさびしいからなんじゃないか」とか。
さまざまな原因を勝手に作り出して頭を悩ませることが多いので,
その妄想をやめる事です。
よくわからないけど事実としてそういう事象があるな,という程度に
とどめておく(ように努力している)。
では妄想ではなく真の原因は何なのか,と調べだすと
SNSの大海原に飲み込まれて大量の時間が溶けてしまう上に
何も正確な情報を得られない,ということが頻繁に起こりました.
しかし,一つ面白いジャンルにたどり着きました。
「教育経済学」という学問です。
「教育に科学的根拠を」というメッセージを打ち出している本にも出会いました。
一家庭の子育てに科学的根拠を落とし込むのは,
今の日本のデータ量ではなかなか困難だと思いました。
しかし教育という分野が、
いかに現在まで科学的根拠に基づかない,
一個人の一意見で左右されがちな分野か
ということを知ることができて
勝手な因果関係を妄想する事の不毛さを感じることができました。
もう一つ,つい行動に対する見返りを求めてしまうのが人間なのですが,
1ミリたりともそれを考慮してくれないのが子供です(当たり前)
普段大人相手に、
いかに相手の忖度を無意識のうちに求めているかというのが
身に沁みます。
ある意味そんなずるさを持っていたという事実に気づかされます.
良かれと思ってやったことに対するリアクションだったり
努力の認定だったり,ねぎらいだったり。
つい欲しがってしまう私にとっては,
「見返りを求めない」ことの修行をさせていただいている気分です。
ただし,不定期のご褒美はあります
寝かしつけ中,寝る直前ににやにやしながら
「ママー,だいすきー」と言ってくれる時。
保育園のお迎えに行くとダッシュで来て足にぎゅっと抱き着く時。
家族三人で公園に行く,ただそれだけなのに大興奮している後ろ姿。
ささやかなことで,思いがけない時に報酬をいただけるんですね。
なんと絶妙なバランスの上に成り立っているのか,といつも思います。
思い出すと,私が高校を卒業するとき,
学校を通じて親からサプライズの手紙を受け取ったことがあります。
父の手紙に
「上野駅で待ち合わせたときに白いワンピースで一直線に走ってきた姿が
目に焼き付いている.あのまっすぐな気持ちをどうか忘れないでほしい」
と書いてあったことを覚えています.
親もこんな気持ちだったのかな。
そんなあたたかな想像も,子供が私にくれたご褒美です。