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ブランドとは何かというお話

ブランドという言葉を聞いて、皆さんはどんなイメージを持つだろうか。

ファッションブランドをはじめ、高級車や中には、高級住宅街などの土地のブランドを思い描く人もいるかもしれない。

日本は欧米諸国に比べ、若い世代もいわゆる高級ファッションブランドを身につけている人が多いという印象を受ける。

私自身は、長年米国ブランドに勤めてきた。

米国ブランドは、アクセシブルラグジュアリーとかアフォーダブルラグジュアリーなどと呼ばれる部類になると思う。

簡単にいうと、手に届きやすい高級品。

ヨーロッパの代表的な高級ブランドなどと比べ、価格が求めやすく品質も良い(本当に良いかは別として)というジャンルである。


さて、人はなぜブランドを身に付けるのか。

ブランドと呼ばれるものには、それぞれのブランドの背景やストーリーがある。

家族経営で始まったブランドもあれば、女性の自立をテーマに初代の女性デザイナーが立ち上げたブランド、馬具から始まったものや、トランク職人からの始まりなど、背景は様々。

顧客の中には、もちろんそのブランドの背景や歴史、デザイナーのコンセプトに共感してファンになっている人や、純粋にそのクオリティーやデザインが気に入ってなど、様々な理由で所有している人もいると思う。

が、長年店頭に立っていて感じていたこと。

それは、このブランドアイテムを所有している人のどれだけの人が、

そのコンセプトや背景を知っているのだろうかという事。

言い換えると、、、


「そんな事は知らない。どうでもいい。」


という人が大半であるのが現状だという印象である。

ここで言いたいのは、知っているから良い、知らないから悪いという二元的な話ではない。

要は、大多数の人のブランド所有欲に関していうと、

「そのブランドを持っている(素敵な)自分」

「高級ブランドが身につけられる自分。」

など、そのブランドという「何か」を身に付ける事で、「何者か」に自分がなれるというエゴを満たすため。

それがブランドを持つ理由なのかなと思う。


私も若かりし頃、(今でも気分は若い!?)ヨーロッパブランドのハンドバッグに憧れた頃もある。

しかしながら、そのブランドを当時の私が持ったとしても、果たして私がそのブランドを身につけているのか、

はたまたブランドのバッグが私を纏っているのか(笑)わからないような状態になっていたと思う。

10代20代の、いわゆるフツーの女の子がそのブランドを持ちこなせるのか、、、

と問うと、私から出てくる答えは「NO」である。

私は、自分の人生の中で、目に見えない世界やエネルギーの存在を肯定しているため、

世の中に存在する全ての物質からはエネルギーが放たれていると思っている。

それを人は時にオーラと呼んだり、存在感と呼んだりするのであろう。

(物から発するものではなく、それを見ている人のエネルギーが反射しているという考えもあるみたいだが、ここでは私の表現方法で書かせていただく)


少し話はそれたが、そのため、歴史あるブランド店やそのアイテムは、高級感やそれを作るにあたって注がれた想いやエネルギーが詰まっており、

だいたいにして高いエネルギーが放たれていることが多く、たくさんの人の憧れの的になったり、人を惹きつける魅力を感じたりするのだと考える。

また、高級ブランドはその工程に、たくさんの人が関わり、また、手をかけた作業があるため、価格に反映されている。

※中には有名ブランドだが、そうでないものもあります。Made in Franceとなっていても、工程のほとんどをアジアの工場で行い、最後の一工程を本国Franceで行っているものもあります。極端に言えば、最後の1針の作業を行なった国で作った(仕上げた)と明記できるそうです。正直、そんなブランドばっかりです。そうじゃなかったら、これだけ世界にたくさんの商品をとりそろえられないですよね。。。そういった輸送費や手間の価格も、私たちが購入する際に反映されているんですよね。


しかしながら、長年そういったアイテムを見てきながら、同時に違和感も感じていた。

果たしてそれを身につけたら、自分自身もそれと同等のエネルギーを発する存在になれるのか。

言い換えると、ブランドものを身につければ、その人はそれだけで魅力的になれるのか、という事。

もちろん、憧れや欲しかった物を身につけた本人は、その時の自分の満足度で言えば、満たされるとは思う。

しかしながら、私の尊敬するYogaの先生もおっしゃっていたが、

物質的な欲は、その一瞬は心が満たされるが、それはとても一時的なもので合って、永続的なものではない。

手にした瞬間、私たちの興味は薄れていき、またすぐ他の物質が欲しくなっていく。

その繰り返し、、、となる。

要は、私たちの本質的な欲望が満たされたわけではなく、表面的なものであるがために、

エゴ(欲)はまたすぐ次の対象物へと移ってしまう。


私たちは、その高級品を身につけたり所有することで、幸せになれるわけではないということ。

もちろん、そういった物を身につけたりすることを楽しむためにこの世に生まれてきたということもあるので、

それを悪いと言っているわけではない。

そこに、過度に固執し、持っていない自分は不幸だとか、あの人は持っていないから可哀想だとか、

そいううジャッジをする必要はないし、そんなの持ってなくてもずっと幸福感を感じている人は沢山いるであろうという話である。


街中で、とても魅力的に映る女性に出会うことがある。

私はもちろん、ファッションは好きなので、身につけている物にも目を向ける。

その時、必ずしも高級ブランドを身につけているわけではないと気づく。


気づかされるのは、その人の身につけているものが、その人を輝かせているのではないということ。

もちろん、ブランドや高価なものを身につけ、キラキラと変身したように輝く女性もいる。

でもそれは、服やバッグが輝かせているのではなく、それは単なるきっかけであり、

その人自身が、内側から輝く何かを発しているからだと、私はいつからか気づくようになった。

どんなものを身につけても、その女性(男性も)の内側から滲み出る何かが、高い波動のものであれば、

それは目に見えない次元で周りに広がり、道ゆく人をハッと振り返らせるものとなる。

ポジティブなエネルギーであふれている人は、必ずと言っていいほど笑顔が素敵であるから、魅力的に見えるであろう。


あなたの内側にあるものは、どんなことがあっても誰にも盗み、奪う事はできない。

反対に、外側に纏っているものは、簡単に失われるし、それがなければ輝けないと思っている人は、

それがなくなれば自分には何もないという事になってしまう。


どちらが良い悪いではない。


でも私たちには、選ぶことができる。


あなたはどうありたい?


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