Episode#6 シドニー・べシェがルイ・アームストロングとの共演をすっぽかした話。
私の敬愛するサックスプレイヤーであるボブ・ウィルバー氏(1928-2019)の自伝"MUSIC WAS NOT ENOUGH " by Bob wilber を読んで、印象に残ったエピソードを紹介します。
今回もべシェの話。もはやボブ・ウィルバーではなく、べシェマニアのnoteのみたい。
べシェはルイアームストロングとは仲悪かったんだな。
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べシェは、Jelly Roll Mortonのように規律が取れた音楽を重視し、各パートが他の楽器の演奏と噛み合っていないような”自由すぎる”演奏を好まなかった。
べシェはソプラノサックスでリードをとることが好きで、バンドにトランペットがいる時でさえ、自分でリードをとることもしょっちゅうだったのだが、自分の演奏を邪魔しないトランペッターをなかなか見つけられず、バンドからトランペットを抜くこともしばしばあった。
あのルイ・アームストロングでさえ、べシェの批判の対象であった。
べシェは1945年のEsquire All-Star Concertでのルイ・アームストロングの演奏が気に入らず、その演奏に対して、「彼の今の演奏は、かつてのニューオリンズでしていたような頃と変わってしまった。」と嘆いたそうだ。
ルイ・アームストロングが「俺のバンドにリードは二人も要らない」と言った時には、かなり激しい口論になったという。
その2年後、1947年の4月にべシェは ”The great reunion of Louis and Sidney" (ルイ・アームストロングとシドニーべシェの再集結!)"と打ち出されたタウンホールでの演奏に出ることになっていたのだが、それをすっぽかしている。
時間になっても姿を見せないべシェ。
プロデューサーのErnie Andersonは弟子であった自分(ボブ・ウィルバー)を代わりにと申し出てくれたのだが、今の自分では余りにも力量不足だと思ったために、断ってしまった。
その日帰宅し、べシェに聞いたところによると、「その日地下鉄で暴漢に襲われてね、数時間意識不明だったんだ」とのことであった。
その時はべシェの話を受け入れたものの、本当はただ、ルイ・アームストロングとスポットライトを分け合いたく無かったのではないか、と思わずにはいられない。
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Jelly Roll Morton (1890-1941) / The Crave
1945 Esquire Jazz concert / Louis Armstrong & the all stars / Basin Street Blues
ここから感想。
べシェの気性が荒い一面が垣間見れたエピソードでした。でもここまで書いてきたエピソードを見る限り、べシェは「俺についてこい、自分の信念に共感できる奴はとことん面倒みてやるぜ」みたいな親分気質なんでしょうかね。自分の音楽家としての成功だけでなく、良いものを伝承する、下を育てる、という意思も強かったんだなあとボブ・ウィルバーの文章の端々から感じます。
共演が嫌で大きいステージをすっぽかしてしまったエピソードも(暴漢に襲われたのが本当かもしれないけど)、人間らしいというか。
この本を読むと、べシェをとっても尊敬しているボブ・ウィルバーが書いているからというのもあると思うけれど、べシェの人としての奥行きの深さを感じます。
この本、日本で買ってる人ほとんどいないと思うけど、面白いのです。
では、また次回〜。