2021113 NIHONSHU宣言

2012年からフランスでの生活を始めて8年半、ソムリエという自分の職業に、就業先のレストランが日本文化を取り入れた料理を提供するスタイルだということが重なり、Sakeと呼ばれ慕われる日本酒を誰よりもフランス人に提供し説明してきた一人だ、ということは自負している。来る日も来る日も、ランチでもディナーでも、食事を心から楽しむDNAが組み込まれているのだろう彼らに、自分の国の文化と誇りを共有する瞬間を与えてくれた、ソムリエという職業とレストランという場所には心から感謝してもしきることはない。

この8年半でフランスでのSakeの認識は、少しずつではあるが着実に変化している。ここ数年でSakeの提供を軸に置いた飲食店がパリに何店舗も登場したことは、Sakeが日本のアルコール飲料だと一般市民にも伝わり認識され始めたことだということは伺える。一見関係ないようだが、同じくここ数年、料理のジャンルを問わずパリを筆頭にフランス全土で活躍する日本人シェフたちの活躍が華々しいことは大きな要素の一つだろう。ガストロノミー(食と文化の関係、概念)の世界で日本人として結果を出すことで、日本文化への更なる好奇心と理解が進んでいることは、8年半フランス人たちとレストランに関われば自然と解釈できることだ。

プロフェッショナル域でのSakeの勢いはそれを凌駕する。未来のソムリエたちを育成している学校でもSakeの授業は必須のようだ。何度、若い卵のフランス人たちにSakeをもっと詳しく教えてほしいと言われただろうか。(何度、あなたは私と会えてラッキーだったね!とドヤ顔で気持ちよく教えてきただろうか。)あらゆるワイン界の大御所に出会える絶好の機会ともなり始めたSakeコンクールは、今年で第5回目と毎年規模、内容を膨らませながら定着しつつある。

ここまでSakeがフランスに浸透し始めているのだから、お客様一人一人のSakeに対する理解度も増しているのだろう......そう、それが一日本人として、一ソムリエとして年々高くなるそびえ立つ壁のような存在なのだ。ガストロノミーへの探求に情熱を注ぎ続ける国で、確かに目新しい日本のアルコール飲料に興味がある人々は、少しずつであるが増えているのかもしれない。実際に、レストランでのお客様の反応は上々だ。だが一つ、圧倒的にスタート地点から遠ざける欠点がある。フランスでのSakeは食後にクイっと飲むアルコール度数の強い、いわゆる食後酒というイメージがすでに広まっているのだ。

ヘルシー嗜好が世界的に流行り、寿司や刺身といった言葉は世界共通語となった近年、その日本料理ブームに乗っかりもてはやされたのが食後酒としてのSakeだった。外国に行くとまず自国にはない自国を名乗った料理があることは、世界中を見渡しても特に珍しいことではない。しかしあろうことに、ワインの国フランスで日本料理ブームとともに認知されたSakeは、食中酒ですらないのだ。これが厄介極まりない。レストランで前菜のタイミングと一緒に出そうものなら、彼らは目を丸くし「食事を始めるにあたってこんなにアルコール度数が高い飲み物を出すとはこのアジア人、正気か」とでも言わんばかりの剣幕で私を見上げてくる。一つ一つのテーブルに対し丁寧な説明を欠かさないことと、実際に料理と一緒に味わってもらうことで初めてSakeは食中酒だと認識してもらえる。レストランで提供しながら一体何本購入にまで繋げたのか計り知れない。一度味わい方を導くだけですんなりと受け入れる、良いと感じたものを偏見なく受け入れるフランス人の気質と日本酒のポテンシャルの高さとが合間って、私は今日まで地道に向き合いながらSakeへの偏見の解消に、少しずつだが確実に努めることが出来ていた。

私たち一人一人の行動から、Sakeが食中酒としてワインと同じようにフランスの食卓で楽しまれる日はきっと来るに違いない。そう信じてやってきたし、今後もより一層力を入れて活動していく。しかしそれは果たして私が生きているうちに見ることのできる光景なのだろうか。東の果てから来た小さなアジア人を受け入れ、ガストロノミーの真髄の中で育ててくれたフランスに対し、私が唯一出来る恩返しであろう『食卓での飲み物に対する選択肢を増やすことで、食文化をさらに豊かにする』という活動が実を結ぶのは、このままではきっと意志を継いでくれる私の後の世代ではなかろうか。もちろんそれでも恩返しになるのだから良いのだと思う。だが遅い。圧倒的に遅い。世界の目まぐるしい変化と比例して、ガストロノミーの刷新も年々早まっている。どう見てもスピード感がまるで違う。そもそも食中酒としてのスタート地点にすら立っていないのだから、私の願いは願いに終わるどころか小さなアジア人の自己満足になってしまうだろう。

そう思いを巡らしていたとき、以前フランス人の上司から言われた一言が頭をよぎった。何より自国とその文化に誇りを持つフランス人らしい、ソムリエとしての高いプライドと謙虚さを持ち合わせた彼らしい一言だった。「本当にSakeをフランスに、そして世界に正しく広めたいのなら、日本人がまず日本酒のことをSakeと呼ぶことをやめなければならない。君たちはNIHONSHUという名前を持っているのに、なぜそう呼ばないのか」......ガツーンと思い切り頭をぶん殴られたようだった。私はそれまで何も疑問に思うことなく、Sakeとしての日本酒を広めたいと思っていた。それがそもそもの間違いだったのだ。日本酒という自国の名前が入った美しい名前があるのに、なぜ使わないのかという疑念すら浮かばなかった。すでに認知されている言葉だからというなんとも安直な考えで、周りと同じようにSakeという言葉を迷いもなく使っていた。激しく後悔した。とは言ってもこんなにも世界に普及した言葉を今さら変えることのできる余地はない、と思い胸の奥にそっとしまいこんだのだった。それを唐突に思い出したのだ。

人にはそれぞれらしさがある。私には私らしさがある。向こう顧みず強く感じたままに突き進んできたところなのかもしれない。ならば今日誕生日を迎えるにあたり私はとにかく『NIHONSHU宣言』をする。今後私はSakeという言葉を使うのをやめ、日本人の呼ぶNIHONSHUをここフランスで、まずはお客様に、同僚に、仲間に使っていく。NIHONSHUが日本の誇る唯一無二の文化とともに洗練された食事のためのものであり、ワインと同じように食卓を豊かに彩る優れた嗜好品であることを一から新たに伝えていく。この活動が途方もない歩みだとしても、少なくともスタート地点から始めることができる。何より私たちの素晴らしい文化を正しい名前で世界に伝えていくことができる。これは願いではなく、ガストロノミーに対する義務のようにすら感じる。この義務が正しく果たされたとき、NIHONSHUはフランスを越えて世界に羽ばたくのだろう。Sakeという言葉すら忘れ去られるのかもしれない。そんな未来が私たちの生きている間に実現するとしたら、こんなに胸高鳴ることはない。

だから私はNIHONSHU計画を立ち上げる。2021年現在に存在するさまざまなテクニックを使い、知識を拾い集め続けながら、NIHONSHU普及に全力を注ぐ。何度も道を間違えるだろう。コロコロと転がりスタート地点に戻ることもめずらしくはないだろう。もしあなたが私の活動に少しだけでも賛同してくれるのなら、そんなときはそっと励ましてほしい。時々で良いから一緒に進んでほしいし、贅沢をいうなら、小さな声で良いからNIHONSHUと呟いてほしい。私は太く大きいどっしりとした一歩をまた踏み出していく。

数日前からインスタで新しいアカウントを立ち上げた。ガストロノミーを謳うのであれば料理との相性を提示するのは必須だ。フランス人向けに始めたから今のところフランス語での表記になるが、あなたがもし興味があればぜひ覗いてほしい。私がこれからNIHONSHUに対し活動していくときは、このnoteやインスタの新しいアカウント名と同じ『yumi_nihonshu』を使っていく。

この日本語での『NIHONSHU宣言』を書き終えたあと、フランス語での表明に移る。その後は二日後に迫ったNIHONSHUイベントが控えている。フランスで何が起こっているのか、私が何を起こすのか......何が待っているのか検討もつかない計画は今、始まったばかりだ。



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