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#心に残る上司の言葉

2011年から働き始めて、はや14年。え、14年!?わりとちゃんと社会人してる自分にびっくりです…。14年社会人をしていて、上司がいたのは9年かな…?

自衛官だった時は、上下関係がかなり厳しかったので縦の関係を徹底的に叩き込まれました。もちろん私が心に残っている上司の言葉は自衛官の時のこと。

当時20歳。人員や車両、物資を運ぶ「輸送艦しもきた」に乗っていました。私は通信員だったので、しもきたに乗っているホバークラフト(LCAC)との交話などをしていました。

艦艇勤務と聞くと、大変だと思われるかもですが私は自衛艦に乗って仕事をするのが本当に好きでした。もちろん大変だし、体力勝負だし、閉鎖されている空間なので精神的に疲れることもありました。

でも自衛隊だからこそ行くことができた地域、自衛官だからこそ得られた感情。嫌なこともあったけど、楽しみながら仕事をしていました。

そんな時、私は妊娠しました。海外に行く直前での妊娠発覚でした。妊婦は艦艇勤務はできません。ただでさえ、バタバタしていて人員不足なのに妊娠による転勤。

相手も同じ船での勤務だったので、2人で艦長に呼ばれて艦長室に行きました。信じられないくらい、怒られました。本当にとんでもなく怒られました。

20歳だった私は「いや、妊娠しただけでなんでこんなに怒られないといけないの?自衛隊って意味わからんし」って思ったんです。

でも今でも心に残っている言葉は分隊士から言われた言葉。

「お前には期待してたのに、なんで今妊娠なんだ?」

分隊士は、会社で言う課長のようなポジション。幹部自衛官です。分隊士は、細かくて厳しい人ですが隊員のことをよく見ていて可愛がってくれる方でした。

艦長にめちゃくちゃ怒鳴られても逆ギレしていた私ですが、分隊士のこの言葉は結構刺さりました。

「なんかよくわからんけど、私はとんでもないことをしてしまったのかもしれない」

そう思いました。組織に迷惑をかけたと、当時は1ミリも思いませんでしたが、お世話になっていた分隊士の期待を裏切ってしまったことが申し訳なかったです。

社会人になって、いい意味でも悪い意味でもいろんな事をいろんな人に言われましたが今でも心に残っているのはこの言葉です。

妊娠がわかってから、陸上勤務になったので分隊士とは疎遠になりましたが私が自衛隊を退職してからLINEでやり取りさせてもらいました。たしか私が独立した頃だったかな。分隊士は自衛隊を定年退職し、地元である鹿児島にいると話をした記憶があります。

「元海上自衛官」という肩書は、注目されるための私の最大の武器です。

武器を駆使しつつ、実力でもっと会社を大きくして、分隊士含め、お世話になった上司の耳に入るように頑張らないといけないな。

その時は、「お。梨木変わったな。大人になったな」と言ってもらえると嬉しいですね。


#心に残る上司の言葉

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梨木由美|海上自衛隊卒のWebライター
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