私たちは、父や母を生きている
自分の本音に寄り添い、
どんな感情も感じ切って出し切る、ということを始めて少しすると、
今起こっているドラマに対して反応している自分の感情が、
人や状況は違えど、過去にも同じように感じていた、ということに気がつき始めました。
そして、その奥をさらに遡ってみると、
「これって、私の父や母を投影しているんじゃないか?」と
感じることも多くなってきたのです。
子どもの頃、父や母に対して感じていた感情。
でも、その頃は出し切れていなかったり、
「こんなこと思っちゃだめだ」と我慢して抑え込んでいたもの。
それを、人を変えて、繰り返し感じてきた。
けど、見ないふりしてきたこと。
感情だけでなく、
自分に染みついた固定観念、
ぎゅっと掴んで手放せない、癖やパターンも。
全部が全部というわけじゃないけれど、
親からもらったものがなんて多いことか。
これに気がついたとき、
「わたしって何なんだろう・・・」と愕然としました。
本当のわたしなんて、何にもないんじゃないか、と。
お掃除ワークを続ければ続けるほど、
どこまでいっても父や母が出てきて、心底嫌になった。
年に数えるほどしか会っていないけれど、
会うたびに、重苦しい気分になった。
それは、きっと、親を通して私自身を観ていて、
嫌でも、自分の深いところを観ないといけないから。
お掃除を始めてしばらくは、親に会うのがしんどくて堪らなくて。
でも、手放しを続けるうちに、
少しずつ、親に対する自分の反応が変わってきたような気がしていました。
私から見る、親の様子にも少し変化が表れ始めたような感じもありました。
1~2か月くらい前、
親のことで私が感じた気づきなどを、夫にシェアした時、
夫が私に、「でも、お父さんお母さんの元に生まれてよかったって思ってるやろ?」と言ったとき、私は固まってしまって。
それは、「よかった」と思えない自分がいて、
まだまだ、こんなにも親に抵抗している自分がいるのか・・・
と、自分に対して愕然としたからだったのです。
この後、「だってこんなにも辛くてしんどい思いしたし・・・」なんて
夫に言ったりして。
少ししてから、色んなことを内観しているうちに、
「かわいそうな私」をやっている自分に気がついて。
その中で、私は、これまで生きづらかった私の人生を、
父と母のせいにしたかったんだなと気づいたのです。
でも、なにもかも、世界をわたしが引き受ける、と決意したとき、
父や母に責任を押し付けるのも、もうやめよう、と自然と思えて。
確かに、父や母から、受け継いでいるものはたくさんあったし、
まだまだ握りしめているものも、ある。
でも、もう、親から生まれた自分の人生を恨み、
そしてその親をも恨むのはもうやめようと
初めて、心から思えたのです。
この出来事からしばらくして、親から連絡がありました。
以前だったら、きっと反応していたところでも
何も反応せず、客観的に受け取っている自分がいました。
反応していたポイントを、お掃除したから、というのもありますが、
親と私を同一化して捉えなくなったというか。
親に感じていた、なんともいえない、嫌悪感のようなものが消えていました。
私が「被害者」でいることを辞めようと決めたら、
やっと、父や母を、受け入れるスペースが、私の中に整い始めたのかな、と感じているところです。