わたしが世界を引き受ける~被害者意識からの脱却
最近、「自分の人生に自分で責任を持つ」ということに
反応する私がいました。
多分、これについて、まだ言い訳をしている自分がいたから
ざわざわしたんだと思います。
頭ではわかっているつもりだったし、
過去と比べると、少しは変わってきているのは確か。
でも、自分のことを俯瞰したとき、
日々のちょっとしたことでも、
どれだけ「かわいそうな私」、「大変な私」をまだやっていることか・・・
愕然としました。
例えば、ここ最近でわかりやすかったのが、天候について。
農業をしていると、日々の天候がかなり重要となってきますが
「暑すぎる」、「雨が全然降らない」、「天気予報と違う」
と、ただ嘆いているだけの自分がいたのです。
「かわいそうで、大変な私」にまだ留まっているということ。
あんなにも、自分の世界は自分が創っている、と言っていたのに。
これに気がついたとき、
自分の中で何かが切り替わったような感じがして
「あ、もうやめよ。」と初めて、はっきりと思えたのです。
もう、ここから抜け出す。
自分の中心に、すっと軸が通ったような
かといって、頑張ろうと前のめりになるわけでもなく
ただ、「すべて引き受ける」という感覚。
頭でわかっている「つもり」だけでは、全然わかっていなかった。
やっぱり、身体で、感覚として、「わかった」までいかないと
本当の意味でわかったことにはなっていなくて、
前に進んでいけない。
ドラマの中にいるときは、つい忘れちゃうけど
いつも、「わかってから」感心することです。
目の前に現れる出来事も人も、
それをどう受け取るか、どう反応するかは
すべて自分次第で、自分の状態を表している。
それを、苦しいけど、認めるということ。
自分の目に映る世界に対して
ただ嘆き、被害者で居続けるのではなく
かといって、それに抗うのでもなく
すべて引き受け、ただ、自分を整えるということ。
結局は、すべて、わたし。
本当に世界がひっくり返ったよう。
この感覚になれたこと自体も、
地道に自分自身を整えてきたからなのかな、と思うのです。