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苦しみの中から這い上がることが出来た理由

前回の記事でも紹介した、
島の自然農園の山岡さんとの動画の中で
私が苦しみの中から抜け出し、進むことができたのはどうしてか?
というような問いかけがありました。

私は、苦しんでいる最中にも、どこか「このままで終わる私じゃない」というような意識があった、とお伝えしたのですが、
そこから、私には「もう一つの視点があった」、「“空間”があった」から
進むことができたのかな、と山岡さんがお話しされていました。



このことを、私自身の内からのことばとして
整理して言語化したいなと思い、振り返りと内観したことを綴ろうと思います。
 


以前、noteにも書きましたが、
私は数年前に神経痛のような、身体の強張りと痛みが出たのですが
それに対して、最初から自分を客観的に観れたわけではありませんでした。

というか、この時が初めての苦しみ、挫折体験というわけでは決してなく
それまでの人生において、
肉体的にも、精神的にも、私は数えきれないほどの痛みを経験してきていて
その時々で、そんな自分を、自分の境遇を恨んでいました。


でも、歩けなくなるほどの痛みが出たとき、
ただ悲観に暮れるだけの自分で終わらなかったのは
多分、同じようなパターンを繰り返す自分に、心底うんざりしたから。


うんざりして、もう変わりたい、と思ってからも
これまでに書いてきたように、
相当彷徨い続け、もがき苦しむのですが。

 

なぜこの時諦めなかったのかと考えると、

この道を歩むと、決めてきたから
これをしにきたから

そして、そのタイミングがきたから
 

それしかないんじゃないかな、と感じるのです。



落ちるとこまで落ちて、絶望して
その結果、反転して
その時の自分に必要なものが入ってくる

決めてきたのもあるし、
腹を括れたから
自分自身で決めることができたから

そして、それが、そのタイミングだった、ということなのかな、と。



ただ、思うのが、
何かを受け取るのも、それぞれにベストなタイミングがあって

私は身体を壊したことがきっかけだったけれど、
そのきっかけも人それぞれだということ。


そして、みんながみんな、
人生を方向転換しないといけないことはないし
そのままでも、
進んでも、戻っても、
逃げても、辞めても、
何でも大丈夫。

すべて好きなようにやればいい。


私は、「すべて自分が創りだしている」ということに
この神経痛をきっかけに、紆余曲折の上辿り着いて。

はじめこそ、ただ楽になりたい一心で
自分に真正面から向き合い続けてきたのですが、

今は、訳もなく、ただやりたくて、やっているだけ。

 

 

正直、自分と繋がっていくこと、非物質の世界を探究することって
やればやるほど色んな意味で
肉体的にも精神的にもしんどい場面も出てくるし
やったらいいですよ、なんて簡単には到底言えない。

 

これも、自分で決めて、自分のタイミングで
やりたい人がやったらいいし

自分に向き合う人がすごいとか進んでるとか
そんなのもどうでもよくて

全部、「それで」いいんだと、今の私は感じているところです。



 






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