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「あなたらしい・らしくない」の言葉の功罪と「らしくない」を選ぶ勇気

こんにちは。
セールスコンサルタントの小野結未です。

今日はコミュニケーションに関するお話。

会社員を卒業し、今は充電期間の名のもと
少し自由な生活を
送らせてもらっている私ですが
心から『自由だなー!』と思えるように
なったのには、物理的な自由に加えて
精神的な不自由からの解放が
大きなポイントになっていると感じています。

精神的な不自由とは何か。
人によっていろいろ感じ方はあると思うのですが
私の場合は「らしい」「らしくない」
の言葉に強く縛られていました。

それも、人からの強制ではなく
自ら進んで・・・

正直に言うと、この
「らしい」「らしくない」
私にはとっても窮屈で不自由で
苦しかったんです。

「あなたらしい」「あなたらしくない」
そんな言葉を聞いて、モヤっとする方は
きっと私と同じような感覚を
一度は味わったことのある方ではないでしょうか。

おそらく、人の気持ちを感じやすい繊細さんや
他者思考の強い頑張り屋さんには
少し苦しい言葉に感じられるかもしれません。

そんな方の何かのヒントになれば、と思い
今日の記事を書かせていただきます。

「らしい」「らしくない」で縛られていた私の経験談

人の期待が沁みてくるクセ

【期待される】
【期待してる】
こんな言葉を聞いて
みなさんはどんな印象を持たれますか?

おそらく、どちらかというと
ポジティブなイメージが
強いのではないでしょうか。

もちろん、この言葉自体は
非常にポジティブです。

「期待してるね」と言われて
嬉しくない人はいないと思います。
(私ももちろん嬉しいです)

アスリートの方が、ファンの方に向けて
「期待を背負って」とか
「みんなの期待に応えられるよう頑張ります」
というスピーチをされる姿も
見る側に希望を与える素晴らしい場面ですよね。

ですが、いつからか
私はこの「人からの期待」を
重く苦しいものと
とらえるようになっていきました。

思えば、幼い頃から
「両親の期待」「先生の期待」
を感じる場面が多くありました。

特に私は長女だったので
共働きで忙しい両親にとって
『頼りになるお姉ちゃん』
『手を煩わせない子供』でいることが
父と母にとって非常に喜ばしいのだということを
幼いころから感じていたのです。

自分が頑張れば両親が喜ぶ。
両親を困らせない子供でいることが大切。
私はしっかりしていないと。
家族のために頑張る私に価値がある。

誰かから言われたわけでも、
ハッキリとそのように
求められたわけでもありませんが
無意識のうちに、自分のことを
そんな存在として認識していたのです。

これには
もちろん良いこともたくさんありました。

人からの期待を感じ取る
 ↓
頑張る
 ↓
成果が出る

このサイクルを回し続けることで
色んな事をまっすぐ頑張り続けるための
大きなモチベーションが生まれました。

どんな場面でも、
自然と周囲の人が自分に何を期待しているのか
心にジワっと沁みてくるように分かるのです。

相手からすると、何も言わずに
自分の嬉しいことをしてくれる相手
ということで、あちこちで
重宝もしていただきました。

自分としては無意識の行動ですが
人間関係の構築や仕事の場面で
大きく役立ったことは言うまでもありません。

ただ、いつからか
この『人からの期待』が
自分への重圧として
重く鈍くのしかかるようになっていったのです。

他人の気持ちしか優先できなくなっていった

年を重ね、キャリアや社会的立場
自分の仕事での立ち位置が
確立していく中で
この『人からの期待が沁みてくる』というクセが
非常にネガティブに
働くようになっていきました。

会社・上司からの期待には応えねば。
部下にとってはこんな上司であらねばならない。
仕事においてはこんな自分でいるべき。

とにかく、周囲からの期待に応えようとして
自分自身を『~べき』『~ねば』で
ぎゅうぎゅうにしばりつけるように
なっていったのです。

結果、『私はこうしたい』という
自分の意志・気持ちの優先順位が
どんどんと下がっていってしまいました。

常に、他人の正解、誰かの思い通りを
実現するために自分を押し殺すような感覚。

そして、何か行動しようと思ったときに
真っ先に気になるのは
周囲の人はどう思うのか、という
他人からの見え方。

そうなってくると、
自分の意見や考えを求められる場面でも
「こう言っておけば安全」
「このように言っておけば相手は喜ぶよね」
という他人の意見に飲まれた
発言しかできなくなりました。

そうして、出来上がったのは
他人の気持ちしか優先できず
自分の感情が分からない私の姿・・・。

恐ろしいのが、その渦中にいるときは
その状態の自分の異常さに気付かないこと。

自分の感情・意思を押し殺すことが
組織のため、周囲の人のためになっていると
本気で思っていたのです。

そんな私に出てきた副作用

そんなわけで、常に人の意志、
誰かの意見に沿うことに
全力を尽くしてきた私に起きた
重篤な副作用がいくつかあります。

まず、自分の好きor嫌い
何がしたいorしたくない
が本当にわからなくなりました。

「どうしたいの?」
「何がしたいの?」
と聞かれても、自分の「これしたい」
という情熱のような意志が湧いてこないのです。

また、そんな私にとって
最高に辛かったフィードバックが
「あなたらしくないね」と言われること。

仕事でミスをした時に
「ミスするなんて、らしくないね」とか
「どうしちゃったの?」
という言葉をかけられたときに
心の底から落ち込んで
消えてしまいたい気分になりました。

私は、本当は細かい仕事が苦手で
ミスをする人間なのです。

本当は、間違うことも多い人間なのです。

本当は心が弱くて
ハードなトラブルや人との軋轢も
とにかく苦手なタイプなのです。

でも、相手が
「ミスをしない」
「手助けしなくても一人で仕事ができる」
「いつでも冷静に対応できる」
そんな私の姿を求めていることが
ジワジワと沁みてくるが故、
その相手の無言の期待に応えられるよう
必死に頑張っていただけなのです。

でも、そうやって張りつめて仕事をしていても
完璧ではいられません。

時にミスをしたり
失敗をして、周囲の人の力を借りねば
ならなくなった時の
「なんか、らしくないね」の一言が
怖くて怖くてたまりませんでした。

相手の期待に応えられない私。
人から望まれた姿でいられない私。
ガッカリされてしまった残念な私。

そんなレッテルを貼られたような気分になり
(本当は自分で自分を追い詰めていただけ)
立ち直れないほど落ち込んだ経験が
何度もありました。涙

「自分らしい」は私が決めるもの

自分らしさを見つけるのが難しい理由

私も含め、他者思考の強い人は
本当の意味での「自分らしさ」を
見つけることが非常に難しいと感じています。

それは、まるで呼吸をするかのように自然と
「相手はどう感じるだろう」
「周囲の人はどう思っているのだろう」と
他者>自分を優先させてしまうためです。

それはまるで
熱いものを触ったときに、頭で考える前に
「熱い!」と言って手を引っ込めるような
無意識で反射神経的な反応。

いくら頭で「自分の気持ちを優先する」
と決めても、これまでの思考のクセを
覆すのは容易なことではありません。

「他人のことを考えない」はムリ

周囲の人を気にしすぎる人は
良くこんな風に言われませんか?

「そんなに気にしすぎないで」
「他人より自分を大切にね」

良かれと思って声をかけてくれていることは
百も承知なのですが、正直にいって
「それが出来ないから苦労しています」
の一言・・・

私にもありました。
「人からの見え方を気にするのなんてやめよう」
と決意してチャレンジしたことが。
しかも何度も。

でも、結果ムリでした。笑

「熱いフライパンを触っても5秒我慢してね」
と言われても難しいように
「人からの見え方は気にしなくていいんだよ」
はどうしたってムリなんです。笑

そもそも、自分の気持ちが分からない
不感症の状態が長すぎたことと、
他人とぶつかる可能性があることは
どうしても出来ないのです。

【自分らしい】は「いつもの自分らしくない」を選択することで見えてくるかも

会社を退職してから
自分の中で、一つ明確に決めたことがあります。

それは、13年というキャリアを手放して
自分の人生を変えたいと思ったからには
本気で自分の人生を変えに行こうと。

そのために、これまでの自分だったら
やらないこと、選ばないことに
出来る限りチャレンジしよう
ということを決めたのです。

つまり
「いつもの自分らしくない」ことに
積極的にチャレンジしていこうと。

これまで、長らく人生に葛藤していたので
そんな自分を変えたくて
色んな事にチャレンジしました。

でも、お金の不安を無くそうとしても、
大金を払って人から学んでみても、
副業にチャレンジしてみても、
やっぱり私は私のまま。

たくさんの失敗を経て気づいたのは
自分の状態は全く変わらないままに
外側にいくらオプションをつけても
何の変化も生み出せないのだということ。

いくらお金を払って
いくら新しい何かをやってみても
自分が100%これまでの自分のままでは
変わるものも変わらないということに
色んな失敗をしながらようやく気付いたのです。

人生を変えたい。
もっと違う世界を見ながら生きたい。
私は私の人生を生きたい。

そう思った私が決めたことは
「(これまでの私だったら)らしくない」を、
怖くても、敢えて選んでいこう
ということでした。

例えば
・これまでだったら
 「欲しい!…でも、お金がもったいないから」
 と買わなかったものを買ってみる

・「楽しそう!…でも、ちょっと怖いし疲れそう」
 と思うイベントに参加してみる

・「やってみたい!…でも家族に反対されるかも」
 と思ったことにチャレンジしてみる

・「うわ、誘われたけど行きたくないなぁ…
 でも断るの申し訳ないなあ」ということを断る

冷静に考えてみると
自分の気持ちが分からないながらも
一応感情が動く場面はありました。笑

ただ
楽しそう!行ってみたい!
やってみたい!やりたくない!
と思うと同時に、頭の中で
『でも・・・』と瞬時に何かと理由をつけて
その気持ちを打ち消す私がいたのです。

思考で決めること=これまでの私らしいこと
感情で決めること=これまでの私らしくないこと
      (人の期待に沿わないこと)

自分の中に、無意識に
こんな方程式が出来ていたことに気付きました汗

思考ではなく、かすかな明るさで
薄く灯った感情を優先させてあげる。

私のように
自分の感情を蔑ろにして生きてきた人には
「いつもの自分らしくない」
ことを選ぶこと、チャレンジしてみることが
真の『自分らしさ』を
発見するカギになるかもしれません。

無理のない範囲で大丈夫です。

いつもならAを選んでいたところを
A'に少し変えてみる、からの
トライでも大きな意味があると思います。

私も、まだまだ自分の人生を生きる
スタートラインに立ったような状態です。

でも、毎日の
「今までとは違う選択」の積み重ねで
少しずつですが、何かが変わってきたような
確かな手ごたえがあります。


私と同じような
苦しい気持ちを抱える方の
何かのヒントになれば幸いです✨

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