ガンバライン
「ガンバライン」って見た目や音だけだと、何かの工業地帯?とか、なんか健康診断の数値的なやつ?って感じですよね。
正解は、標準語で言うところの「頑張んなさい」「頑張って」の意味なんですが、「ガンバライン」は、東北弁になるのかな?
私は宮城県出身で、県内でも南北では言い方が異なったりしますが、こちらは県南地方の言葉でいいのかしら。
※違ってたらごめんなさい
普段の生活は標準語、実家の家族とは東北弁、夫の親戚とは名古屋弁、なんだろこのバイリンガルっぽい感じww
もう遠い昔のように感じますが、あれはカフェをオープンした頃です。
当時、私の母は闘病中でした。
毎日店が終わって、その日一日の出来事を母に電話で知らせるのが日課になっていて、母も楽しみにしている様でした。
私の実家も自営業だったこともあり、母自身かなり苦労を経験したようで、商売に関しては少々厳しくて、私がちょっとでも愚痴ったりすると、、、
「自分で決めたんだから弱音を吐かない!」
「そんな気持ちでどうするの!」
「そんな話聞きたくない!」
などの鬼監督的なアドバイスが返ってくることもしばしばで、ぜんぜんまだ軌道に乗らない新米の私は、結構凹んだりしていました。
そんなやりとりを日々繰り返していたのですが・・・
確かあれは雪が降った寒い日。
お店が閑古鳥で、ランチタイムもゼロっだったかなりショックな日です。
いつものように閉店後の電話を入れました。
「ハァ、きっとまたキツイ事言われるんだろうなぁ・・・」って思いながら、母が電話に出るのを待っていました。
その頃には、だいぶ母も病状が進んでいて、痛み止めのせいかぼんやりして、言葉に力が無く電話の声も時々吐息のように擦れるようになっていました。
私が話す今日の一日を、只、黙って聞いてくれていた母が、私が話し終えたのを確認したように電話の向こうで息を吐いたのが聞こえ、
「ガンバライン・・・大丈夫だから」
「これからだから、ガンバライン」って、優しくささやく様に言ったんです。
その瞬間、涙が後から後からとめどなく溢れ出て来て、
・・・だって、わかっちゃったんだもん
「お母さんもう行っちゃうんだね、そうなんだね!」
言葉にならなくって、その後どうやって電話を切ったのか・・・
切った後、只々、大泣きした事だけを覚えています。
それから暫くして母は亡くなり、私の中にその言葉と母のか細い声だけがいつまでも残っていて、事あるごとに思い出しては私を励ましてくれているのです。
母との思い出を最後まで読んでいただきありがとうございました。