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ともだちにたった一言が送れない

流産の報告について。

親友と思うともだちが2人いる。
ふたりとも独身で、1人は転勤で遠くにいる。
高校から同じ部活で、青春して、文化祭や受験をいっしょに乗り越えて、大学生になっても社会人になっても3人で遊んで…
もっとともだちはいたけど、自然と、あるいは意図的に、ともだちは減っていって、連絡をマメに取るともだちはこの2人だけになっていた。

厄年にはいっしょに厄払いに行ったし、1年経てば、なんだかんだ生きてたねーなんて美味しいものを食べて笑いあって、趣味の話や時事ネタ、仕事や健康の話なんかして。
それでも良いと思っていた。


2人には、二度の妊娠と流産のことは話していない。子待ち夫婦であることも話していないから、わたしがどうゆう人生設計なのか、2人は知らない。結婚して4年こどもがいないけど、聞かれたことは一度もない。
そういえば、2人のプライベート、どんな恋愛をしたとか、ここ何年も聞いていない気がする。
それでもよかった。人生何事もないときは。



わたしの人生にどん底が訪れたこの夏。
だれにも伝えていなかったことによって、1人で抱え込むつらさを感じた。
こんなこと、ともだちに話したらめんどくさいだろうか。
暗い気持ちにさせてしまうだろうか。
妊娠報告すらしていないのに、流産の話なんて。
気にしないでって言うくらいなら、最初から話してくれるなって思われるかな。


いろいろ思って、たった一言のLINEが送れない。


伝えたいと思うのは完全にわたしのエゴだ。
つらい、だれかに聞いてほしい。もう過ぎたことだし話さなくてもなんとかなる。なぐさめてほしいわけでもない。励ましてほしいわけでもない。それこそ自分が独身だったら、興味ないわと思われても仕方ない。迷惑だと思われて、ともだちに嫌われたくない。
でも聞いてほしい。



ともだちだったら、話してもいいのかな?
楽しい時間を共有するのがともだちなら、つらい出来事も共有したっていいのかな?頼ってもいいのかな?
2人が心のよりどころで、聞いてほしい存在だと気づいた。わたしはともだちという存在に、つらいことも共有できる関係を求めている。楽しいことの共有だけだったら、他の人ともなんとかできる。つらいことの共有は、したい人としたくない人がいる。



この先、愛犬や両親や大事な人が病気になったり、亡くなるようなことも避けられない。そうゆうつらいことも、聞いてほしい、と思う。
流産のことも同じ。
自分がつらい思いをしたとき、どん底から浮上するために、つらいことを共有して、美味しいものを食べて笑って…そんな関係でありたいと思うのは理想が強すぎるんだろうか。

わたしだって、ともだちにつらいことがあれば寄り添いたい。もしかしたら今までは経験が足りなくてうまく寄り添えていなかったかもしれないけど。これからは。


勝手な想像だけど。
つらかったねといっしょに泣いてくれる姿が思い浮かぶ。気遣ってくれて、遊びに誘ってくれる姿が思い浮かぶ。
高校から変わっていないと思う。

たぶん、初めてともだちに話すと思う。
まだ覚悟は決まっていないけど。
これから遊びに行ってきます。




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