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「善い人」と「善性の開花」の違い
「善い人になろうとすること」と「善性を開花させること」は、
一見似たように思えますが、そのベクトルは真逆です。
前者は他者からの評価を意識した外向きの努力であり、
後者は自己の内面にある本質を引き出そうとする内向きのプロセスです。
例えば、「陽気な人に見られようとすること」と
「その人自身が本当に陽気であること」の違いを考えれば分かりやすいでしょう。
前者は演技(ウソ)であり、後者は自然な状態です。
同様に、自分を無邪気に見せようとすればするほど、
その人の内面には逆に邪気が溜まることになります。
「自分は善い子なのに、周りが理解してくれない」という不満を抱く人がいますが、
これは多くの場合、外見上の「善い人」を目指す行動に起因しています。
本当に自分の善さを理解してもらえない場合、
それは自分の問題ではなく相手の問題です。
そして、人は他人を変えることはできません。
理解してくれない相手を無理に説得するのではなく、
理解してくれる人を探すか、
自己の在り方を見つめ直すことが必要です。
無邪気さや明るさを手に入れるには
無邪気になりたいのであれば、
自分の中にある邪気を取り除くしかありません。
明るい人になりたければ、
自分を暗く、重たくしている原因に向き合い、
それを解決していく必要があります。
嫉妬や比較心、恐怖、支配欲、
そして焦燥感や罪悪感を抱えている人は多いです。
特に日本人は、自己を責める傾向が強いように感じられます。
自責の念が強い人は、他人を責める心も強くなりがちです。
そんな余計なエネルギーを引き寄せたり、
他者に押し付けたりしているうちは、
本当の問題が見えてこないのです。
逆に、軽やかに手放すことで、
ようやく根本的な問題に気づくことができます。
善い人に見られたい欲望の限界
善い人に見られたいというのは、単なる承認欲求に過ぎません。
欲望は際限なく、どこにも到達できません。
自分の内面的な善性を他人に評価してもらう必要もありませんし、
評価を求める限り真の幸福にはたどり着けないのです。
善性の開花と本当のつながり
善性の開花は、内面的な成長を指し、
他人に認めてもらう必要はないものです。
しかし、その善性が開き始めると、
不思議なことに、理解し合える人々が自然に集まってくるものです。
そして、同じ人であっても、
かつては気づかなかった新たなつながりを見出すことができるのです。
私たちは、そうした不思議な時空の中で生きています。