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品川海雲寺へお札をいただきに行く。

毎月1日15日30日は、法要日。
夫の実家に荒神様の厨子がある。毎年12月に御祈祷を受け、お札をいただきに行く。元気だった頃は姑が、その後は夫の長兄の妻が品川海雲寺へ行っていた。昨年、一昨年は私が行っている。今年も引き受けた。夫は末っ子であり、兄弟とその配偶者のなかで、元気なのは私だけだ。また、こういうのを引き受けるのが好きなのだ。

トイレ・玄関、水回り・火のそばに紙のお札を貼ってあるのを見たことがありますか?

火の回り、水回り、トイレ
玄関(四角)

姑が子供たちの世帯の分のお札を毎年いただきに行って、年末に分けてもらっていました。姑がいつから始めたかは不明。30年位前からか。

青物横丁

品川海雲寺は青物横丁駅から徒歩5分だ。
旧東海道に面している。Googleマップで、南へ一方通行の道が旧東海道だ。

マピオンの地図の方が分かりやすい。⇩

品川海雲寺

境内案内


平蔵地蔵
江戸末期の頃、鈴ケ森処刑場(おしおきば)で番人をしていた乞食の中に正直な乞食がいて、大金を拾い、落とし主を探して届けました。
そのために仲間の乞食から、山分けをすれば乞食も廃業ができたのにと、小屋を追い出されて凍死してしまいました。
これを聞いた落し主が手厚く葬り、地蔵尊を立て供養しました。
その地蔵尊が当寺境内の入り口に立っています。
「ぼろは着てても心は錦」
お参りの人が絶えません

HP

烏枢沙摩明王

烏瑟娑摩明王は「この世の一切の汚れを焼き尽くす」功徳を持ち、仏教に包括された後も「烈火で不浄を清浄と化す」神力を持つことから、心の浄化はもとより日々の生活のあらゆる現実的な不浄を清める功徳があるとする、幅広い解釈によってあらゆる層の人々に信仰されてきた火の仏です。
意訳から「不浄潔金剛」や「火頭金剛」とも呼ばれました。
日蓮宗では「烏蒭沙摩明王」の表記を用い、火神・厠の神として信仰されます。

護摩に立ち会う

厨子に入った御神体と、昨年頂いた木のお札を預けて三千円を支払う。護摩炊きに立ち会うことができる。30人ほどが護摩壇の左右に二列に座る。「ノーマクサンマンダ」は聞き取れた。護摩木の並べ方をじっくり見ることができる。ろうそくから小さく細い木に火を取り着火する。みるみる燃え上がる火🔥に厨子と木のお札(新たに授けるもの)を控えの僧侶がかざしていく。主の僧侶が、新しく木の札を頼んだ人の名前と願いの種類を読み上げる。「新願成就」「商売繁盛」「身体健全」「合格祈願」「安産祈願」・・・

護摩焚きが終わると、僧侶は護摩壇を降りご本尊へ般若心経を上げる。太鼓を叩きながら。

終了すると、祈願が済んだ厨子と木のお札をいただく。
本堂横の頒布所で紙のお札を分けていただく。一セット4か所分で800円だ。


旧東海道へ 隣の品川寺に寄ってみる

自宅に戻って調べると、空海が創設した古い歴史を持つお寺だった。「ほんせんじ」って読むんだ。今度行く時は予習をしてじっくりお参りしよう。

七観音霊場 聖観世音菩薩
江戸三十三観音霊場 第三十一番札所
江戸六地蔵 一番


江戸六地蔵 一番

銅造地蔵菩薩坐像 - 東京都指定有形文化財(彫刻)[7]
山門前左手にある露座の仏像。宝永5年(1708年)に造られた、江戸六地蔵の第一番。現存する江戸六地蔵像のうち唯一頭上に傘を載せていない。

Wikipedia

溺死者供養之塔

品川寺の梵鐘

梵鐘
明暦3年(1657年)の銘があり、徳川幕府第四代将軍徳川家綱の寄進とされる。鐘身に六観音像を鋳出する。この鐘は幕末に海外へ流出し、パリ万博(1867年)・ウィーン万博(1873年)に展示されたと伝えるが、その後所在不明となっていた。
大正8年(1919年)、文部省学芸部長の石丸優三は鐘がスイスジュネーヴ市のアリアナ美術館ドイツ語版)に所蔵されていることを発見[2]。石丸から連絡を受けた当時の住職仲田順海は返還交渉を開始した。外務大臣幣原喜重郎ほか多くの人々の尽力により、ジュネーヴ市議会は鐘を日本へ戻すことに同意し、昭和5年(1930年)、同市の好意により品川寺に返還された。その際、返礼として品川寺から美術館へ石灯籠が贈られている[3]

梵鐘の返還が契機となった交流は戦後も続き、昭和39年(1964年)の東京オリンピックには仲田の招待でスイス選手団の歓迎パーティーが催された[4]。また、平成3年(1991年)5月には品川寺からジュネーヴ市に新しい梵鐘が贈られ[5]、同年9月には品川区とジュネーヴ市が友好都市となった[6]

Wikipedia

入るとお参りができるのかなと思いつつ、入らずに。入りにくい。入って良いのか。

品川寺のイチョウ

本樹は、幹周り五・四、樹高二五・〇メートル、推定樹齢約六百年である。

「洋行帰りの鐘」(国重要美術品)のある寺として知られ、入口左側には、江戸六地蔵の一鉢が安置されている。

 本樹は、品川寺山門内のすぐ右脇に整然とした樹姿を見せ、その樹勢も旺盛である。幹や大枝からは、多くの乳が垂れている。また、このイチョウの根元には、庚申供養塔二基と道祖神一基がある。

 本区内にはイチョウの大樹が多く、本樹もかなり離れた地点から眺めることができて壮観である。本区内のイチョウの中では、光福寺のイチョウに次ぐ立派なもので、貴重なものである。

品川区文化財係

道祖神 みちしるべ

庚申塔があった

これは大きい庚申塔

犬も歩けば棒にあたる
yumiパンダの行く所に何かある

仰ぎ見る師走のイチョウ品川寺

だが、品川区で二位。一位はすごい。樹齢800年! ⇩


※ 東海七福神の毘沙門天が品川寺にあるんだ。これもお参りしなかった。

1932年に定められた。長く続いているんだ。
ああ、品川区も面白い。

2300字
まとまりなく、終わります。

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