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真珠とお地蔵さまと歯医者さん


私と歯医者さんとの初めての遭遇は、もうかれこれ半世紀も前に遡る。
小学校5年生の時、歯科検診で右の奥歯に虫歯が見つかり当時住んでいた東京「目白」駅前にあった歯科医院に母に連れて行かれた。
「虫歯さえなければ、健康優良児になれたのに」
と担任の先生に言われたのを妙に覚えている。

豊島区立目白小学校
今は建て替えられ近代的な校舎に。

遠い昔の事なので歯医者さんの顔は全く覚えていないが50代くらいの男性だったと思う。が、
サザエさんの波平さんが54歳なのだから案外もっと若かったかもしれない。記憶は曖昧だがガガガガガ!ギギギギギ!いう工事現場のような爆音と振動が口の中で炸裂したのは今でも鮮明に覚えている。
単純に怖かったし、痛かった。

今は虫歯になってもすぐ削ったり抜いたりはせず1本でも多くの歯を残す事を優先するようだ。が、当時はとにかく削って詰め物をする、ダメなら抜く、みたいなのが主流だったと思う。
思えば縄文時代から近代的な歯科治療が始まった明治初期までは虫歯になったら引っこ抜く!の精神なのだから麻酔があった時代に生まれただけでもよしとしよう。
その後は歯医者に行きたくない一心で、食べたら磨く!ぶくぶくぺっ!を心がけた結果、虫歯らしい虫歯は無く過ごしてきた。

          ◇

大学を卒業し、就職後結婚して数年が経った頃、なんか奥歯が少し疼くな、と思ったが育児に忙しく歯科医院には行かなかった。
数年後、やたら奥歯がズキズキするなと思った時も、親の介護やらなんやらで痛み止めの薬を飲んでやり過ごし、そのうち痛みも軽くなって結局その時も歯医者さんには行かなかった。
奥歯の変色が少し気になってはいたけれど、忙しさにかまけて見て見ぬふりをした。
そんな事を何度が繰り返しているうちに、ある日いまだかつてないほどの激痛が私を襲う。


い、痛い!とてつもなく痛い!!!

古代メソポタミアだったら神官の書いた呪文の紙を齧らされただろう。
がしかし、呪文の紙を齧っても治まるレベルの痛みではなかったので当時子供たちが通っていた小学校近くのT歯科医院に駆け込んだ。

「あたまがカチ割れるほど奥歯が痛いんですが!」

レントゲン写真を見て、大きな熊さんみたいな院長先生は私に告げた。
「うーん、これは神経がもうダメだねえ。
もう少し早く治療してたらねえ」
どうやら右奥から2番目の歯の神経が死んでしまっていて、しかも死んだ神経の根っこの先からばい菌が感染し膿が溜まっていると説明された。
(もっと早い段階で膿をとって消毒してばい菌を無くしていたら、、まさに後悔先にたたず、だ)
奥歯の抜歯後の治療はブリッジを提案された。
「残念だけど」
クマさん先生は本当に残念そうな顔をしていた。

こうして私は30年以上、人生を共に過ごした右の奥歯に別れを告げることになる。奥歯を抜いた後はなんだか大切な宝物を1つ失った気がした。
母から貰った真珠のネックレスから一粒が突然抜け落ちた、、そんな感じ。


その日から今まで以上に食べたら磨く!
ぶくぶくぺっ!食べたら磨く!ぶくぶくぺっ!
が徹底され、更に歯科医院で半年に一度の定期検診が我が家の第一目標となった。


          ◇

その甲斐あって息子も娘も虫歯一つ無くスクスク成長したのだが、、


あれは息子が小学校6年の夏休み。
家族でグアム旅行に行った時のことだ。
息子はプールや海で散々遊んだ後もまだ遊び足りないのか、ホテル敷地内のローラーブレードのコースをグルグル何周もしていた。そろそろ晩御飯なのに、と若干イラつきながら見ていたその時、息子が前のめりに転倒した。
思わず息子の名前を叫ぶ。

起き上がった息子は何かを拾うと、よろよろと私と夫の近くまで滑ってきて右手を差し出した。
その手には一本の血だらけの歯が!
びっくりして口をみると前歯が一本ない!
上唇から鼻の下にかけてざっくり切れてる!
気が遠くなるのを必死で堪える私に比べ、息子は痛みよりショックが大きいのか、泣くことも忘れてただ呆然と立ちすくんでいる。
取り敢えず1番冷静だった夫がホテルのフロントに駆け込み、すぐに救急車が来た。
救急隊員はまず息子を乗せると、次にそばにいた私を指差し「MOTHER?」と聞いた。
イエスと答えると「MOTHERだけ一緒に来い(多分そう言った)と手招きする。
こうして異国の地で私と息子は救急車に乗せられ、夫はホテルの車で救急車の後を追走した。

息子がERのような病院の手術室に入る時、今度は金髪の若い医師からMOTHERも来いと手招きされる。
MOTHERはどこでも忙しい。
手術室のベットに寝かされた息子は、痛み止めの注射が効いているのか普段は超の付く怖がりのくせに妙にちんまり大人しいのがかえって不憫だ。
金髪ドクターは私が見守る中、手際よく黒い糸で傷をザックザックと縫っていった。

どうでもいいけど、その糸、太すぎない?

そんな事をぼんやり考えているうちに無事縫合は終わり、ドクターは私を振り返ると
「MOTHER、、、可哀想そうに、娘さん少し傷跡が残るかも」(たぶん、そう言った)と顔を顰める。

うちの子、ピンクのポロシャツ着てるけど、色白で髪も長めだけど、男の子だよ!
とりあえ日本男子だよ!と心の中で叫ぶ。
が、出た言葉は
「NONO!This is a boy. NO girl!」
英語の先生が聞いたら卒倒しそうなセンテンスだが、何故かこの金髪ドクターには通じたようで、
「Really?   ならオッケー」と笑顔で答えた。
いやいや、全然オッケーじゃないし。
男の子でも傷が残らないよう縫ってよ。
そもそももう少し細い糸で縫ってよ。
と思ったがもうとっくに縫い終わっちゃってるので取り敢えず
「Thank you!doctor」と友好的に礼を述べた。
(追記....帰国後、グアムではあんなに大人しかったくせに抜糸の時には大暴れした息子だった)

息子は傷口が塞がるまで、前歯1本欠けたままだったので人前ではマスク生活。
まあお年頃だし、絶対に友達には歯っ欠け姿は見せたくなかったのだろう。残りの夏休みの間ずっと家に閉じこもっていた。
漸くT歯科医院で差し歯が入ったその日、息子は今まで見たことがないような笑顔で一目散に外に飛び出して行った。その後ろ姿を見送りながら、歯って大事だな。1本ないだけで、気持ちも生活もこんなに変わっちゃうもんなんだな。折れたのは残念だけど、無事差し歯が入って本当に良かった。傷口も目立たなくて本当に良かった。と心の底から安堵したのを覚えている。



          ◇


それから9年後。

娘が高校生になってすぐの頃。
馬術部の体験入学中の土曜日だった。
昼の焼きそばを夫と食べていると電話が鳴った。受話器を取ると
「こちら救急隊のものですが、〇〇〇〇さんのお宅で間違いないでしょうか?」

一瞬で全身から血の気が引いた。

部活を終え自転車で帰宅中の娘が、高校近くの道路で自転車ごと転倒。その場に居合わせたサラリーマンの方が、娘の顔や膝から出血があったのですぐに救急車を呼んでくれたらしい。
搬送された救急病院に急いで夫と駆けつける。
私達が着いた時には既に娘は手当が終わっていて、薄暗い待合室でポツンと1人座っていた。
駆け寄ると娘の白いブラウスには点々と血がついていて、右膝には大きな絆創膏が貼られいる。
そして顔にはマスク。
不吉な予感が頭をよぎる。
「顔、打ったの?痛い?大丈夫?」

娘はくぐもった声で
「痛み止め打ったから、今は痛くないよ。
唇、少し切って少し縫った。あと...
前歯、1本、折れた」

マスクを外すと、上唇から顔の右下半分にかけて青黒く腫れあがっている。
歯を見ようにも口が開かない。
結局その時は前歯が1本ない娘の顔を確認することは出来なかったが、私の脳裏には9年前の息子の歯っ欠け顔がくっきりと浮かんでいた。


兄妹揃って、前歯が差し歯になる確率ってどのくらいだろう?


娘が搬送された救急病院には口腔外科が無く、唇の怪我と膝の怪我は治療したが折れた前歯の箇所は消毒しかしておらず、後は歯医者さんで差し歯等の相談も含めて治療して欲しいとの事だった。

今日中になんとかせねば!
何故ならその日は土曜日で、今日のうちに見て貰えないと月曜日まで診察して貰えない。
この頃は同じ沿線で電車で6駅の所に引越していたが、家族に何か不具合があった時には私の奥歯や息子の差し歯でお世話になったT歯科医院まで通っていた。
土曜日で診察時間ギリギリだったにも関わらず、事情を話すと院長先生はすぐ来るよう言ってくれた。初めて診てもらった頃に比べると髪には白いものも増え、更に恰幅も良くなっていたけれど優しい熊さんの様な笑顔はずっと変わらない。
院長先生はマスクをとった娘の悲惨な顔にも驚く事なく
「前歯折れたところ、お兄ちゃんと同じだね。
仲良しなんだね」とちょっとだけ笑った。
先生の冗談で私と娘もちょっとだけ笑った。

「今回も宜しくお願いします」
それだけ言って私は頭を下げた。


          ◇

あれから20年近く経つが、あの時の差し歯は今も娘の大切な一部だ。
ずっとお世話になったT歯科医院はだいぶ前に閉院して、今はもうない。

          ◇


そして今、息子と娘もそれぞれの家庭を築いている。たまに我が家に来て一緒にご飯を食べた後は、子供に小さな歯ブラシを持たせ、自分も一緒に丁寧に歯を磨いている。

食べたら磨く!ぶくぶくぺっ!
食べたら磨く!ぶくぶくぺっ!
まだ小さい孫の歯は、本当に真珠のようだ。


皆それぞれの土地で、それぞれのかかりつけの歯科医院を見つけ通っている。
夫は年4回の定期検診のおかげか日々の努力の成果か、1本の歯も欠ける事なく虫歯もない。
彼の大いなる自慢だ。

そして、この10年で我が家にも家族が増えた。
みんな野良上がりの保護猫だ。
猫にとっても歯周病は大敵で長生きの為には歯磨きは欠かせない。が3匹とも当然素直に磨かせてはくれず毎回四苦八苦、苦心惨憺だ。

ハル♂コナツ♀アッキー♂
本日♂2匹は逃走!


私はといえば、、
前歯一本がインプラントになった。
しかも息子と娘の差し歯と同じ箇所だ。
これは何かの呪いなのか?
否、ここは母子の強い絆という事にしておこう。だが、子供達にあれほど口うるさく歯の手入れを言っていたのに不甲斐ないMOTHERである。
せめてこれ以上真珠を減らすことのないよう、夫と一緒の歯科医院で4ヶ月毎の定期検診を欠かさず受けている。

夫と通うN歯科医院の院長先生は、どことなくあの熊さん院長に似ている。
「痛くないですか?痛かったら我慢しないでね」
「ごめんなさーい。ちょとだけ痛いかもです」
が口癖で、どっち⁈と思うけど。
治療方針、治療方法を丁寧に納得行くまで説明してくれるし、信頼できる歯医者さんに出会えて良かったと思う。これも縁だろう。
これからも転ばぬ先の杖のごとく、歯科医院での専門的な定期検診とクリーニング、家ではデンタルフロスや歯間ブラシを正しく使って毎日の地道なお手入れを当たり前の日常にしていきたい。



          ◇


朝、家を出てから駅まで歩く間、あるいは休日、公園までの散歩の途中、そのお地蔵さまはひっそりと道の傍らに鎮座している。
通りすがりにそっと手を合わせる、そんな日常の一コマ。いつの時代も無病息災を願う人々に、こうしてずっと寄り添って来たのだろう。

決して特別な存在ではなく、特別な場所でもなく、いつの間にか私たちの日常の中に当たり前のように溶け込んいる。
小さな心の拠り所。

そうか、歯医者さんは私のお地蔵さまなんだ。

今日は菊とカーネーション



秋も深まり、そろそろ冬支度の始まる季節。
家路を急ぐ人々の傍らにはいつものお地蔵さま。
私もいつものように暫し手を合わせる。
「明日も健康で過ごせますように。
明日も美味しくご飯が食べられますように」

大切な真珠がもう抜け落ちませんように。


空気が冷えて来た。
かじかんだ手をコートのポケットに入れて、夫と猫3匹と暮らす我が家へと向かう。

そうだ。
前回の定期検診からそろそろ4カ月が経つ。
年末、忙しくなる前に歯医者さんに行こう。
ピカピカの歯でピカピカのお正月を迎えよう。

歯がピカピカならきっと心はもっとピカピカだ。



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