戦後78年に想う、遺骨収集が語る今
戦後78年、世界ではロシアによるウクライナ侵攻という戦禍が続き、我が国でも“台湾有事”を扇るかのような報道、沖縄の島々では自衛隊拠点が増え、“新しい戦前”と危惧されているが、「遺骨収集事業」をご存知だろうか。根拠法の改正が今国会でされたが、まだ課題は残るという。戦争を知らない世代が今、“いのち”とどう向き合うか、本事業を通し考えてみたい。
戦後78年目の夏、千鳥ヶ淵で
玉音放送ー昭和20年8月15日正午、昭和天皇がラジオを通して、戦争に負けたことを国民に知らせた。
それから78年後の2023年(令和5年)、筆者は東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑の式典で黙祷を捧げていた。当時の人々はどのような想いでその時を迎えたのであろうかと。
戦争は、人々の記憶に様々なもの・形を残し、継承されていく。
他方、突如にして人のつながり・いのちを断絶する。
筆者にとって“戦争”の印象は、亡くなった祖父が寝ている際、フィリピン山中の闇夜を歩き、恐らく人を殺めた場に遭遇してしまった時のことを思い出し、叫ぶ夢を見ていたこと。
そんな祖父は、終戦をGHQ占領下の当地で迎えカトリックに改宗。日本帰国時は、“耶蘇”と言われ、相当の覚悟で故郷を離れたと話していた。
筆者は、そうしたことから、戦争は文化・宗教と密接に関わっているものだと幼少期よりなんとなく考え、フィリピンにも幾度か訪問、学生時代も研究に取り組んだ。それも戦中を知る一つのきっかけだったのかもしれないが、戦没者の“遺骨”を通して、戦中を知らない私たちがどう歴史と向き合うべきだろうか。
遺骨収集事業とは何か
筆者がこの事業を知ったのは、恥ずかしながらも1年ほど前。昨年、戦没者慰霊の式典に参加した頃だ。もちろん、戦中・戦後に日本(故郷)に帰還できなかった方のご遺骨が東南アジア諸国を中心に残されていることは知っていたが、実際はどのようなものであるか。
まずは、文献にあたろうということで大変参考にさせていただいた本を紹介する。
・栗原俊雄「遺骨戦没者三一〇万人の戦後史」、岩波書店、2015年
・同「硫黄島に眠る戦没者 見捨てられた兵士たちの戦後史」、同、2023年
の2冊。栗原氏は、遺骨収集事業の歴史と実際に硫黄島での収集作業にも参加され、非常にわかりやすく解説・紹介しておられる。本稿でもご著書の内容・問題意識を多く踏襲させていただいた。
現在のご遺骨収容状況は、第2次大戦での海外戦没者概数 約240万人のうち、約112万柱の遺骨が未収容とのこと。
事業所管は厚生労働省だ。
同HP内に、戦没者の遺骨収集について審議会、「戦没者の遺骨収集に関する有識者会議」(以後、有識者会議)が設置されている。
2017年から年2回のペースで開催され、直近開催は、今年の7月19日。遺骨収集事業の状況、例えば、収集している国・地域に残り何柱残っているか、また収集にあたっての渡航における留意事項、それは外交上の問題も含まれてるとはいえ、国が積極的に同事業を遂行していると読み取れる。(実際はどうかということは後述)
※「戦没者の遺骨収集の推進に関する検討会議」も2019年5月〜7月にかけて、平成28年度から令和6年度までを遺骨収集の集中実施期間と定めたことに伴い、4回開催されていた。当時、「中間とりまとめ」も公表された。
また、本事業については、「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」(平成二十八年四月一日から施行)によって定められている。下記引用の通り、(国の責務)としての位置付けられていることや外務・防衛省との連携が記された点、非常に重要であるが、戦後71年にしてようやく、といったところもあるのではないだろうか。
では、現況はどうか?「有識者会議」の資料をもとに概観する。
はじめに、事業の推移も含めて下記ご参照いただきたい。
昭和27年から実施されているが、本格化したのは、昭和42年頃。
そして現在に至るまで、約128万柱の遺骨が収容されているとこと。
戦没者のご遺骨は、どこで収容するのかは下記の通り、東南アジア諸国が多く、国内で言えば硫黄島や沖縄県も含まれる。
特に外国となると、先方国との外交上の関係性等も鑑みられるので、容易ではないが、国内でも硫黄島は自衛隊基地関係者のみが住んでいるゆえ、民間人の立ち入りができない。こうした状況下、島内にある基地滑走路の下にもご遺骨があるという。
普段は、使用されているのでこれまで着手できていなかったようだが、この件同様様々な問題で世界各地で(日本国に限らず)戦争によってご遺骨が眠っていることを忘れてはならない。また、その亡骸に会えなかった・会えていないご家族の想いも…。
そして、こうした遺骨はどのようにご遺族のもとに届くのかは下記チャートをご覧いただきたいが、2003年から始まったDNA鑑定が非常に重要である。
とはいえ、全てが順調ではなく、先述の栗原さんのご著書から引用すれば、主に以下の二点が懸念事項と言える。(詳しくは、上述した栗原さんご著書を参照されたい。)
1.「遺品縛り」
それまでの鑑定は、「遺骨と一緒に身元特定につながる遺品や埋葬記録などが見つかった場合に限って鑑定を行う」
ここでいう遺品とは、「印鑑や名前が書かれた持ち物、たとえば万年筆など」
→衣類などは、土に還ってしまい残りにくい。「遺品と一緒に鑑定に耐えうる遺骨が見つかることは、さらに少ない」
☆栗原さんは、毎日新聞で“遺品縛り”をやめるべきだと主張してきたという。厚労省は、DNA採取が難しいことや行政が大量の個人情報=DNAを保存することは倫理上問題があると回答してきた。その後、2016年度沖縄の4地域(真嘉比(那覇市)、幸地(西原町)、大里字高平(南城市)、経塚(浦添市))、2017年度には6地域を加え、10地域になった。
2.日本人の遺骨でない
2009年頃、フィリピンでの遺骨収容数が格段に上がった時期があったが、後にそれらは日本人の遺骨ではなかったことがわかった。日進月歩のDNA分析の緻密さがあるからいいものの、骨を集めればいいというわけではもちろんなく、これでは本来の趣旨から外れてしまうことは明らかだ。
なお、同様の事例は1999年〜2014年にロシア国内9ヶ所(597体分)でもあった。ミャンマーでは、廃棄獣骨に人骨が混ざっていたということも。
なお、米国の場合は、戦没者の遺骨を収容するのは義務としている。遺骨収集、そのあとDNA鑑定、遺骨を遺族の元に返す、という作業を遺骨収容の専門機関DPAA(Defense POW/MIA Accounting Agency)「捕虜・行方不明者調査局」の鑑定ラボが行なっており、どんな小さな骨片からでも鑑定可能とのことだ。
他方、イギリスは、現地埋葬が基本で収容はされていない。それぞれの国の文化性等がこうした点にも現れているといえる。
法律改正と今後の課題は
先述したように本事業は、「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」に基づいて実施されているが、改正後、「集中実施期間」が5年延長され、令和11年までとなった。
また、『「戦没者の遺骨収集の推進に関する基本的な計画」(H28,5,31閣議決定)見直し(案)』によれば、「集中実施期間」にこれまで国内外で調査できていなかった約3,300か所(R4,3月末時点)の調査と新規の情報取得など「集中実施期間に一柱でも多くの遺骨収集を実施する」とされた。
条文だけを読むと、「集中期間」が伸びること、新たに調査箇所を増やすことは評価できるのではないかと言えるが、実施はそう容易でないようだ。
例えば、ご遺族の高齢化が進んでいること、さらには、単に予算をつけ中身(ありかた)の議論をしているかどうかなどである。その点でも、国民我々は本事業を知ることから始めるべきではないだろうか。
【関連記事】
・朝日新聞『戦没者遺骨収集、「集中期間」延長 5年間、改正法案成立へ』(2023,5,28)
・同『戦死した将兵を丁寧に扱う意味 進まぬ遺骨収集「長期的な議論を」』(同)
遺骨収集に望む戦争を知らない世代の声
筆者がnoteにこのことを書こうと思った契機は、同僚が遺骨収集に携わってたからだ。なぜ、携わることになったのか、法改正も含めて今後事業がどうあるべきかなど、ざっくばらんに語っていただいた。その想いを伺って、筆者も何かできることがないか、また祖父が経験した戦争とはどうのようなものであったか、あらためて考えさせられた。以下QA形式でご覧いただきたい。
☆ご協力、ありがとうございました。
結びーいのちを継承するために
今年の終戦記念日は台風が来襲、ハワイ州マウイ島では山火事が発生、13日までに計96人の死者が確認された。異常気象が叫ばれているが、文明の進化による代償、温暖化であることは間違いない。
戦争と温暖化、一見遠いように見えて非常に近接している。
ロシアによるウクライナ侵攻では、戦闘による弾薬や燃料使用、建物や森林、畑の火災、避難民の移動、さらにはインフラ再建により、1億トン分のCO2排出という試算も。戦争は人間のいのちだけでなく、地球をも巻き込むものである。
今年5月には、G7広島サミットが開催、「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」が示されたが、その内容は“核抑止論”が肯定されているとも読み取れた。
また、原子力政策に舵を切った我が国だが、民生用原発とはいえ、最終処分を見出せないままの使用済み核燃料は増えるばかり。プルトニウム保有量は現在、約45・1トン(2022年末時点)、核兵器として使用されるとならば、7,600発以上となり、“核武装”に近づきかねないのではないか。
戦後78年目の夏、今我が国は様々な岐路に立たされている。
戦争を知らない世代が増える今、ご遺骨が私たちに語りかけることは何か。
“反核・平和”、そして二度と戦争を起こしてはならないということは当然。
そして、いのちの尊さと人間のかけがえのない営みを大切にすることではないだろうか。本稿が、多くの方にとって平和を希求する契機となってくだされば幸いだ。
※本事業については、筆者も実際に参加させていただき続編を書きたいと思う。