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メメント・モリ。世界一周して、はからずも死を思う

11月30日

もう何十年も前のこと。
両親がヨーロッパ旅行のお土産に、カメオのペンダントをくれた。ヘッドの裏には私の名前が彫ってあって、きっと高かっただろうと思う。だけど当時の私は、カメオなんてダサいおばちゃん趣味のアクセサリーにしか思えなくて、結局一度も身につけることがなかった。もう亡くなってしまった両親に、一度ぐらいつけたところを見せてあげればよかったな。
当時の両親よりずっと年を重ねた今頃になって、そんなことをふと思い出す。

だってさ。
お土産を整理してたら、トランクいっぱいになっちゃって、それがまあ全部おばちゃん趣味なわけですよ。
子どもたちやお嫁ちゃん、さぞかし困惑するのではないかと思う本日であります。

なんで買っちゃったのか、よくわからんものもある……


明日は日本に戻る。
旅はトータル106日になった。
世界をぐるっと回って、いろんな場所でいろんなものを見て、それはやっぱり得難い体験だったと思う。船で世界一周なんて、とんでもない非日常だもの。

だけどどんなに特別なことも、3日もすれば日常になっちゃうんだよね。

足元がいつも揺れていること。
食事はバイキング形式その他のレストランで、好きな時間に好きなものを食べられること。
吹き抜けのアトリウムではいつも音楽が奏でられていること。
お風呂はシャワーだけなこと。
窓の外はいつも見渡す限りの大海原なことetc.

5階〜8階は吹き抜けになってる。高所恐怖症の私は、こういうのもやや苦手
バイキング形式のレストランでは、いつもいろんな種類の果物が楽しめた
こちらは飲み物だけ有料のカフェ。ホットサンドやドーナツなどが人気
コース式のレストランで、お誕生日会
船の廊下はこんな感じ
なんかイベントを主催するらしい。通行人にアピールするのに、ドアにホワイトボードを下げてメッセージを書く人も
シャワーは狭いっす

たかだか100日余りで、こんな暮らしがずっと続くような気分になってる。
だから家に戻れば、またすぐに「普通」の暮らしに戻るんだろうな。

日常の雑事から解放されて、どれだけ深く思索するのかと思っていたが、な〜んも考えなかった。
あちこち見て回って、感動したり感激したり。へー!ほー!と口を開けてたよ。

一つ感じたのは、人間の暮らしはどこに行ってもあまり変わらないんだな、ということ。
出会った人たちが旅人の私に見せてくれたのは、よそ行きの顔には違いない。それでもしばらく話していれば、どこでも人はみな喜怒哀楽に翻弄されながら生きて、そして死んでいくんだなって思わされた。

そうなんだ。
この旅を経て、私は死をとても身近に感じるようになった。 

世界中に紛争や虐殺があることを知るにつけ。
それは歴史上の出来事というだけでなく、今でも続いていると聞くにつけ。
行く先々で先人たちの苦難や功績に触れるにつけ。
久しぶりにたくさんした読書で、人がいろいろな場面でちょくちょく死ぬのを読むにつけ。

多くの死に触れて、死はごく日常的なことだと、自分の身に今日降りかかってきても不思議ではないのだと、当然すぎるぐらい当然のことを改めて痛感したのだった。

自分が死ぬのは何となく特別なことのように思いたいんだけど、ぜーんぜんそんなことはないんだよね。人は生まれて、生きて、死んでゆく。
生まれたからには、寿命が来るまで一生懸命に生きる。数多の先人と同じように、私も。

……とまあ、そんな心持ちになっているわけですが、病気もケガもなく無事に帰れそうでよかったよ。いずれ死ぬ身ではあるけれど、なるべく長く元気で生きたいからさ。

家族には「だっさ!」と言われても、お土産どっちゃり押し付けたろ。
で、机の引き出しに放り込んであるカメオのペンダント、引っ張り出してみようかな。正真正銘のおばちゃんになったから、おばちゃん趣味のアクセサリーが意外と似合うかもしれないからねー。

面白い3ヶ月半だった。
さて、次はどこへ行こうかな。

船は虹に向かって進んで行くのだー!

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