【vol.2】最初の紛争地、イランへ行った話(その2)
こんにちは!コロナウイルスの影響で講座のキャンセルが相次ぎ、ひとりぼっちの時間が増えました。読書をしよう!と本屋に行き、田中みなみさんの写真集をうっかり衝動買いしちゃった…元戦場カメラマン、社長になる!出口友子です٩( 'ω' )وみなみさん、かわいかった!
さて、本題。
最初の紛争地、イランへ行った話(その2)イランの首都 テヘランはどんなところ??
まずは成田から上海を経由し、イランの首都 テヘランに降り立ちました。穏やかで、親日的な国。いたるところにビルに書かれた壁画が書かれているのが印象的でしした。
現地の方に壁画の意味を聞くと、殉職した兵士の魂を鎮魂するために書かれたレクイエムのような壁画が多いとのこと。他にもアメリカ中心の世界を風刺した壁画も多く見られました。
イラン・中東でやってはいけないこと。危険に巻き込まれる可能性が高まるのでファションや音楽なども気をつける
「家族をアメリカのせいで失った」と考えている方は非常に多く、アメリカの話をするとかなり敏感に、感情的に激昂される方もいます。英語が流暢なだけで敵対視される方もいますので、安易にペラペラな英語は危険だなと感じました(私が英語が話せないからという偏見は置いておいても)欧米のブランドファッションを着ること、欧米カルチャーの音楽や文化の話で盛り上がることも騒動に巻き込まれる危険が高まるのでやめた方がいいです。
それだけ戦争の傷跡は大きく、数多くの方が身内を戦争で、テロで亡くしているのです。
テヘラン市内の混乱は?昼間は日本と変わらないほどに牧歌的な平和な時間。ただし選挙期間中などは特に、人が多いところに行かないように!
ニュースでは、危険な情報をみることが多いですが、現地の方に聞けばいたって平和な街、とのこと。私自身もスリや強引なタクシーに引き込まれそうになるくらいのもんで(海外あるあるなので、あまり気にしてない)特別、中東だから危険なことはありませんでした。
先にイランのいいところを紹介します!
とにかく裕福な方が多い!宮殿もいっぱい!
家でパーティと聞いて、軽い気持ちで行けば、宮殿のようなおうちに招かれることもありました。土地も広いし、オイルマネーで潤っている方が非常に多い!ペットがトラ、とか趣味で地元サッカーチームのスポンサー、とかとにかくスケールが大きいのが中東です!
中東は商売上手な方が多く、ビジネス面で賢い人が多いです。世界各地にいくと、資源が多い地域は歴史的に見ても争いが起きやすい。一方で資源が乏しい地域は、家族の絆が強く、豊かな暮らしをしている人が多い印象。お金って人を幸せにできないのかなーと考えてしまいますね。
一方で、
東南アジアなど見かけるストリートチルドレンや物乞いをしてる方はイランではほとんど見かけませんでした。産油国なので、国自体が大変裕福なんですね。学校だけではなく、病院も無料なのだそうです。
人生を変えた出会い。イラン・イラク戦争で出征した兵士が「なぜ戦地に行ったのか」教えてくれた
このとき私は、医療支援のNGOの帯同カメラマンとしてイランに行きました。そして、医師の交換留学などをしている病院で取材することができました。
※下記の写真は兵士が入院してきた当初のものを病院からお借りしました。
Q現在の状況はいかがですか?
A 体調は良くはないよ。でも、こうして話ができるほど回復している。
これも日本を含む世界からの支援のおかげだ。ありがたい。
Q どんな状況で、この病院に入院されたのでしょうか?
自分から名乗りを上げて兵士になって、前線に行った。
敵と戦った。でも、僕はそこで撃たれた訳じゃない。
どこの国か分からない飛行機が爆弾を落として炸裂した瞬間、意識を失った。
目が覚めたら、病院だった。
それから何年もこうしてベットに縛り付けられている。
(医師からヒアリング)
彼はマスタードガスという毒ガスによって被爆した。日本人が分かるようにいうなら、「サリン」のようなもの。ツーンとしたマスタードのような匂いがついた「致死性の高い毒ガス」だ。
彼の場合、全身の皮膚が被爆して焼けただれ火傷のような状態になっているのと、致死量にならない程度の毒ガスを吸い込んでしまったために、内臓も被爆している。
特に肺や気管支の症状が重く、酸素吸入器が手放せない。
毒ガスの被害とは。体内が焼けただれ一生治ることはない。彼は一生を病院で過ごし、酸素ボンベがある範囲でしか行動ができない。
イランの医療ではおそらく一生退院することはできないし、食べ物や飲み物を自分の口から摂取することはできないだろう。
(この時点で、なんと言ってよいか分からない気持ちでしたが、取材を受けている元兵士本人がもう少し話したい、と言ってくださったので続けました)
Q なぜ、兵士になったのですか?
A 平和な国に生まれたら、この気持ちはわからないかもしれない。
物心ついたときには、危険は隣り合わせだった。それでも最初は、遠くの地域の話だった。でも、だんだんと僕の街に戦争が近づいてきたんだ。
国の事情は分からない。でも、家族を守るためには、銃を手に取るしかなかったんだ。何もしないで家族を殺されるわけにはいかなかった。
Q 私はこのインタビューを日本に持って帰ります。伝えたいことはありますか?
A 確かに僕は戦争に参加した。家族を守るためには仕方なかったんだ。それをわかってくれとは言わない。でも、ひとつ言いたいことがある。
僕が参加した戦争は、「目の前の敵を殺す」だった。相手にも守るべき家族がいることはわかっていた。だけど、今起きていることは違う。全然違う国の飛行機が突然やってきて、海の向こうの安全地帯から、まるでゲームのように僕たちを撃ち殺していく。それはまるでルールが違う。
僕たちは、自分たちの家族を守るために戦っていたはずだ。彼らは、何を守るために、僕たちを殺してるんだろう。それだけはどうしても伝えて欲しい。
〜〜〜
いま、世界で起きている戦争の前線では、人が人を撃ち殺すのではない。アメリカなど平和な土地にいながら本土で操られている無人機が人を撃ち殺していく。まるでゲームのように。そこには感情はない。
正義とは何か。戦場カメラマンとは、常にその問題と向き合うことだった。一方の国から見たら、テロリズムとの戦いという名の「正義」なのだろう。では、殺された側はどうか。
私が会った多くの元兵士は家族を守るために銃を手に取ったにすぎない。
そしたらある日、海の向こうから無人爆撃機がやってきて、街ごと焼き払っていった。正義はいつも強い。
圧倒的な力で小さな力をねじ伏せていく。
その声なき声を、伝えたい。
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