『世界秘封倶楽部化計画』の考察 ~究極最後のカミ頼み!(ネタバレ)
滅びるしかない、見放そう、総カルトと物騒な言葉が並びます。仏教の四諦の曲ではないかと考えます。
四諦とは仏教が説く4種の基本的な真理であり、苦諦、集諦、滅諦、道諦からなります。
苦諦
「人生は全てが自分の思い通りにならないことで悩みばかりのもの」
集諦
「人生に苦しむ原因は私たちの欲望(=煩悩)だ」
滅諦
「苦しみの原因である煩悩を消し去り、苦しみのない境地に達する」
道諦
「苦しみから解放された境地(=涅槃)に達するための正しい行動(修行)である八正道を行うこと」
より。
また、仏教用語としての他力本願も含まれていると考えられます。
歌詞分析
世の中は自分の望み通りにいかないことだらけ。
そこで「秘封倶楽部」が現れました。『神聖なるメッセージ』での秘封倶楽部は仏教なら釈迦、キリスト教ならイエス・キリストのメッセージと、メッセージの担い手になった開祖の弟子たちです。
釈迦やイエス・キリストは困難や苦難に対しての答えを知りました。そして、苦しむ人を救おうという人に伝道の道を歩みました。また、後の滅諦につなげるにしても、まず今の苦を認識しないとなりません。仏教の苦は現代用語のストレスに相当する言葉ではないかと思います。
世界宗教と言われるキリスト教も仏教ももとを正せば、イエス・キリストや釈迦と、そのもとに集まった小さな小さな弟子たちのグループから始まっています。
どうにもならないことは、煩悩=欲望を切って諦めるしかありません。逆にそれこそが逆転の発想であり正解だということです。
苦諦として何が苦しみかを認識します。
集諦としてなぜ苦しんでいるのかを認識します。
そして、滅諦として苦しんでいる内容を諦める。それが(煩悩が)滅びるという流れです。
簡単なように見えて難しいです。
凋叶棕の『遙』も四諦の流れではないかと思います。
『NeGa/PoSi*ラブ/コール』で感情・煩悩・欲望が吹き上がって暴走しました。その結果他人を傷つけることもあります。
『盲目の笑顔』として心を鬼にして一度離れます。苦しみを認識して、なぜ苦しんでるのかを認識して、苦しんでいる内容を諦めるのです。盲目の笑顔でも相当苦しみを感じているのが見て取れると思います。
『悠久の子守唄』として休んで、あるべきものや、先の永遠に備えます。
そして最後に
『うつろわざるもの』として永遠をつかむのです。
でもまずは心を鬼にして一度離れるというのが滅ぶということだとおもいます。
諸行無常のことじゃないかと思います。
すべてのものは移り変わり、墓標となる。だから絶望に打ちひしがれている暇はない。
ひょっとしたら欲望を刺激して煩悩が蠢く状況に置こうということで、『屠』の『墓標』と関係しているかもしれませんが。
煩悩は起きていない過去や未来にとらわれることも含みます。だけど時計の針を壊して過去や未来にとらわれないほうがよいと。
さまざまな怒り。貪(怒り)瞋(迷い)痴(わからない不安)こそが三毒と言って一番強い煩悩です。
だけども、これらも諸行無常として後には何も遺らないもの。どこまでこだわるべきか。
煩悩から離れて、いまここだけに集中する。あとは神頼み。
浄土宗系で他力本願という考えがあります。色々怒りや欲望に支配される状態でいるくらいなら、怒りや欲望から離れて、いまここだけに集中して、神頼みをしたほうが問題解決につながるということじゃないかと思います。
どうにもならないことは、欲望を切って諦めて神にでも祈ってたほうが良い。
結論
苦しみの原因を見定めての程よい諦めと、後は神様どうにかしてくれるわという他力本願が救いだという曲ではないかと思います。
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