高じる好きが欲しい
この文章は、
大学を卒業してから就職活動をはじめたものの、
えっちらおっちら、どこにたどり着くのかも分からずに漂流していた、
2022年07月02日に書いた日記を手直ししたもの。
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POPEYEの「20歳の時、何してた?」特集号を、2冊もっている。
これは、いろーんなジャンルの著名人を集結させ、
タイトルのとおり、20歳のときになにをしていたか、とか、それが今にどうつながっているのか、などなどインタビューしたものをまとめた特別イシューだ。
私がのうのうと今の生活をくらしていられるのは、1/3はPOPEYEの中の大人たちのせいだとおもっている(よくない)。
現実の世界でも私は、就職活動に悩み始めた頃から、
いろんな大人たちに、なぜいまの仕事をしているのか、昔何をやっていたのか、と根掘り葉掘り聞きだすという経歴ハンターと化している。
それらの中で、「好きが高じて今の職に、、」という話をいろんな大人から聞いたけど
明確な好きがあるって、本当に羨ましいなぁ。
何もないところからは見つからないもんな。
話が飛ぶようで飛ばないんだが
日本のフィギュアスケート人口は、サッカー人口と比較すれば、あたりまえに少ない。
でも、素晴らしい賞歴をのこす日本のフィギュアスケーターは、他国と比較しても多い。割合以上に、絶対的な人数が多い。
サッカーを始める人くらいの人数の日本人が一度だけでもフィギュアスケートを試してみたら、たぶんもっと凄い逸材が間違いなく現れるはずだと思う。
何が言いたいかというと(まわりくどすぎる)、
普通に生きていたら交わる機会が無いんだけども、試してみるととんでもない才能を発揮する、
みたいな分野が、誰にとっても、どこかに用意されているのかも知れない。と思ったというわけです。
もっといろんなものと交わらないといけないのかもしれない。
たくさんのものと交わる必要はないのかもしれない、「思わぬもの」「思わぬ体験」に自分を出会わせ続けなければならんのかもしれない。
食べたこともない食材を食べたら、案外おいしくて、意外と大好きになって、その後・・・その後、なんか、好きが高じるかもしれない。
わさびとかからしとかネギとか(薬味ばっか)、そうだった。
なにかの好きが高じて、あわよくば、仕事になるかもしれない。
まあ、そんな単純明確に、「私これ好きかも、これで生きていくのかも」ってな運命の時が訪れる訳ではないのかもだけど。
適性くらいはみえてくるのかもしれない。
意識して、いろんなことに触れてみないと。
ホントに意識して。
就活だけ、とかコピー講座だけ、とか
活動の幅を限定してたらだめだな。
スズキナオさんもエッセイの中で、意識して、いつもと違う自分を選ぶって言ってた。
そうしよう。
たかが23年生きてきた中で得た知識や考え方で将来を左右できる訳ないんだし、どう動いたって正解だわ
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P.S.
なんかどんどん概念的になっていた危なめな時期の文章でした。
毎日おなじことを繰り返し、考えていた毎日でした。
寝て覚めると、同じ一日が今日も明日も明後日も、毎日やってくる、みたいな感覚の日々でした。
今この文章を読んで、そんなに内側のことばっか考えずに、いろいろ試してみればいいのに、
と一瞬おもったけど、あの頃の私(というか今もだ)はそれなりに脱却しようとしていたんだった。
とりあえず映画見てみるとか、とりあえず外で何かするとか、知らない音楽を開拓してみるとか、
なんとなく試してはいたけどどこにもハマれず、なんでだろう、が続いていた時期でした。