世界音痴
「世界音痴」とは、ほんとによく言い得たことばだとおもう
キャッチコピー的だと思う
キャッチコピーとは、世の中のひとたちがなんとなく共通で抱えているモヤモヤを表現するためにひとつのことばを与え、「そうだ、自分が思っていたのはそれだ」と気づかせる役割をもっているものだ
って習ったんだが
まさにそういうことばだと思った
タイトルを見た瞬間、穂村弘という人間を少し理解できたとおもった
てなわけで、
歌人・穂村弘の「世界音痴」というエッセイ本がだいすきだ
歌人として成功していながら、根底にある人間としてのコンプレックスはそのままで、「ほらな、世界は自分みたいな繊細な人間を受け入れてくれないんだよ」とひねくれてて、若くて、
なによりそういう感情を恥ずかしげもなく世の中にさらしてるのがすごいって思う
「自然さを失った」って表現に本当にピンときた
わたしは体育の授業が苦手だった
ほんと仲のいい子たちでないと、自然なやり取りができない
何を口走っていいのか分からず、ひとつひとつの発言をいちいち熟考してから発言しようとしてしまう
ナイスー!とかそういう掛け声はもってのほか
それを発する自分を客観視して、きもってなる
穂村弘の話に戻ると、
同級生にクラスで話しかけられ、憐みの言葉をかけられ、突如タガが外れたように号泣してしまったっていう話があって
それにもめちゃ共感した
普段溜めていたストレスや寂しさ、悲しさが、突然、何かがトリガーになって、感情が爆発する。自分がびっくりするようなタイミングで。
しかもぴえん。とかのレベルではない。大号泣。
当然ながら周りの人たちは困惑し、この子はそんなにつらくて苦しくて哀れな状況にあるのか、と思う
でも自分でもわからないんだよな
なんで自分はこんなに泣いてるんだろう、涙が止まらないんだろう、
そろそろ泣き止まないとさすがにいたたまれない空気感だと分かってても止まらない
こういう時の「泣く」は、ただのガマンの発散としての「泣く」だから、原因によらず、ワンワンいってしまう
実際、人前で泣くってことはほとんどなく、家でひとりで、ってことになるんだけども
もうこれ以上ガマンができない状況、もしくはガマンしなくても良い状況、っていうのが爆発のトリガーになってた
最近、ここまで情緒不安定になることは少なく、というかほぼなくなった気がする
自分の特性をすこしは汲んだ職業に就けて、
まだまだどんな未来がまってるかは分からんが、どこかには漕ぎつくことのできる予感がしてるから、ってのと、
たとえ超少人数だとしても、自分と同じ星の住人がこの世のどこかにはいて、ちゃんとその人に出会うこともできる時はできるんだなってことが、身をもって分かったからだとおもう
世界との自然なかかわり方が分からず自意識過剰になってしまうって人の生き方として、
ひとつの答え、というかそれをそのまま引きずってる大人もいるよ、っていうことを教えてくれたのが、
穂村弘「世界音痴」なのでした
決して解決策を提示してくれるわけじゃないけど
それもひとつの答えなんだよな