期限付きモラトリアム、計画編
お金がない。
でも旅行に行きたい。
このような場合、どうすればよいのでしょうか。
旅行を諦める?
それは残念ながら不可能です。
旅行に行くというのは大前提、必須条件。
それでは、どうするか?
答えはひとつ。
ない金で旅行にいく。これしかありません。
てなわけで、クレジットカードという現代人の弱みに付け込んだ悪の産物を大五段活用し、「今しかできない経験」の名の下、私は旅路に出ることに。
しかし、
威勢がよかったのも束の間。
いつもの「一抹の迷い」が私を襲った。
本当にこんなことして良いのだろうか。
本来感じるべき罪悪感がここで邪魔をしに来る。
9月に内定を得るまでの間、すでに半年間にもわたるニート生活を送っており、情けなさと自己嫌悪メーターの針がすでに振り切れそうだった。
軽く旅にでられるような心持ちではなかった。
いろいろと悩んでいるうちに、どこにも行かないまま(広島のおばあちゃん家くらいは行った)気がつけばモラトリアムは残り3週間ほど、という局面に(なぜ)。
最初の威勢だけは良い。いつもそうなのである。
どこに行こう。
なにをしよう。
旅先に、何を得に行こう。
なんのために旅に出るんだろう。
本当に旅に出る必要があるんだろうか。
迷えば迷うほど、行かなくて良い理由の方がむくむくとわいてでてくる。
もともと私はインドア派で、怠惰なやつだ。
腰がどんどん重くなってくる。
旅に出る理由を探しに、近所の本屋などに出てみたりなどする。
旅行本を読んだり、
カスタムの自転車屋さんに行ってみたり。
でも、旅に出るきっかけなんて、そんな素敵なものはどこにも転がっていない。
しかし旅に出るなら、残された期間を鑑みるに、今すぐにでも出発しなけりゃならない、、
と、ここで、
そうだった、と思い出す。
私は、
思いつきで、勢い任せで、行動できる自分であらせたい。今まで、そういう時ほどうまく事を運べたような気がする。
それが、すぐに努力を怠る私の、唯一の生きる戦略みたいなもん。
旅は、そのためのトレーニングなんだった。
旅に出る理由なんて、旅に出てから見つければいい。
今、時間がある。そして心が若い。これらは十分に、旅に出るに足る理由だ。
旅に出ないと、旅に出ないと、旅に出ないといけないんだ。
自らを一種の強迫観念に襲わせつつ、私は旅先を決め込む段階に入った。