「ノーパソコンデー」から見えてきたこと
昨日は朝起きてから寝るまで、パソコンを一度も開かなかった。スマホは使ったけれど。iPadは使わなかった。
パソコンを持たずに出かけた旅行のように、物理的に使えない場合を除いて、一度もパソコンを使わなかった日って今までにあっただろうか。遡っても記憶にないくらい、そういう日は相当長い間なかったと思う。
意識的にパソコンの使用時間を最短にしてみようと試みたことはあった。ネット依存気味を自覚してのことだ。それでも30分程度は使ったし、高熱が出た日でさえパソコンを開いていた。
昨日丸一日、パソコンを起動しなかったのは意識的に「ノーパソコンデー」を実行したのではない。
ただ、パソコンの電源ボタンを押す気にならないままに一日が終わったというだけなのだ。
仕事上、差し迫ってやらなければならないことがたまたまなかったということはある。しかし、それを差し引いても、このことは私にとってはちょっとした事件と言えるだろう。
それでは「ノーパソコンデー」は、いったいどういう一日だったのか。
ありふれた、普通の日だった。
「ノーパソコンデー」を実行することで何か特別なことが起こったのかと期待してここまで読んで下さった方には申し訳ないけれど、パソコンを起動しないまま終わった一日は、いたってありがちな一日だったのだ。
パソコンの作業をしなかったからって、特別に何か捗ったということはなかった。私が怠け者だからかもしれない。全体的にゆるゆる過ごし、台所に立って作り置きのおかずをせっせと作っただけだった。
でも、それは、見方を変えてみると
一日中パソコンを開かなくても、特に困ることはない
とも言うことができる。
パソコンの作業に限らず、自分では「やらなければならない」と思っていることも、案外やらなくてもいいことなのかもしれない。
「やらなければならないこと」の大部分は、やらないよりもやったほうがいいとわかっていることだ。だからこそ自分の中の「To Do リスト」に入っている。
それでも、必ずしも、今すぐ全てやらなきゃいけないわけではない。むしろ、今はやらない方がいい場合もある。例えば、身体や心を休める方が必要だという時もある。
「To Do リスト」が増えすぎて、まるで自分の自由になる時間がないように感じてきたら、敢えて
今やらなくていいことリスト
を考えてみようかと思う。
今やらなくていいことをあぶり出して、潔くやめてみる。
やることも、やらないことも、全て私の自由だ。
「To Do リスト」の中には、習慣的に行っていることもある。家事はそういうことが多い。ルーティーン化した「今日やるべきこと」は実はそれほど優先度が高くなかったりする。
例えば
・「夕飯を作る」→確かに、作った方がいいけれど、テイクアウトでもいいよね
・「掃除機をかける」→明日でも問題なし
・・・だんだん、単に「家事をサボりたい人の戯言」みたいになってきた。
永遠に終わりそうもない「To Do リスト」が出来上がってくると、つい「○○のせいで時間がない」などと人や物のせいにしてしまいがちだ。でも、もう一度振り返って考えてみると自分自身で決めている「To Do リスト」だったことに気づいた。
それならば、「今やらなくていいことリスト」をピックアップして、やることを減らしたほうが、イライラせずハッピーに過ごせるかもしれない、そんな風に感じた「ノーパソコンデー」だった。
(ただし、「To Do リスト」の中身を全部後回しにしたら、当然いつかツケがまわってくることは大いにありうるとも思っている。)