トイレの問題ーわたしの意思表明ー
みなさん、こんにちは。今回は前に考えたトイレについて、更に考えたことを書きたいと思います。
前に考えたのは、「『男性用』『女性用』『その他』というかたちでトイレを作ればいいのではないか」ということでした。
この文章はわたしの意思表明であり、多くの人に楽しんでもらうために書くものではありません。「わたしが今、考えていることはこういうことです」と明らかにするために書きたいと思っています。
上記の前に考えたことを否定する部分もありますが、それは間違いではなく、実際に「今は考えが変わった」「前回、考えたことは誤りである」ということです。それを踏まえて読んでいただければと思います。
それに加えて今回は「シングルイシューな考え方の人」への配慮を意識的にしない書き方をしています。それは優先順位があり、その上で選択しているということです。これがわたしの特権で、この文章が読めるというのもひとつの特権であると思います。
多くの人がわたしと同じようにこうして文章を書いているように、文章を書いているすべての人は「日本語が読めて、文字や漢字が読めて、見える人」を無意識に選んでいるのです。それは、誰しもに加害者の面があり、誰かを無意識のうちに排除しているということ。人には加害者の面も、被害者の面もあるということです。
シングルイシューの弊害
トイレの話をする際に必ずと言っていいほど、見られるのがシングルイシューな意見です。わたしのツイッターにもかなりの数のそういったコメントがやってきました。
自分の被差別の部分だけを見てしまうことによって、それに反するであろう意見に過剰な反応をしてしまう。しかも、自分の持つ他の側面が見えなくなってしまう。それらは「シングルイシューの弊害」と言えるであろうと思います。
このように、どの立場から見るか、どういった視点から誰を見るかによって、権力の強い弱いは変わってきます。誰もが被害者であり、加害者でもあるのです。どちらの側面も持っているのが人間なのではないでしょうか。
性別指定のあるトイレを作るということ
次に書きたいのは「トイレと『シスジェンダー特権』『性別二元論主義』のこと」です。
トイレに難なく入れるのは、シスジェンダー特権ではないかと考えています。なぜなら、トイレには「『女性』もしくは『男性』しかいないという幻想」を前提としているからです。それは事実と異なります。実際には「女性に見える人」と「男性に見える人」がなんとなく入っているだけに過ぎません。そこに無自覚でいられることこそが、シスジェンダーの特権です。
そして、男女でわけるトイレを設置することは性別二元論主義を強化することになります。「この世には『女性』と『男性』しかいない」というのもまた幻想だからです。性は多様であるのにも関わらず、それをたった二つにわけてしまうのは乱暴(暴力的)なことなのです。男女しかいないという幻想を男女でわけるトイレを設置することによって強化してしまいます。わたしたちはそんなに単純な存在ではありません。
このように男女別のトイレを設置する/性別指定のあるトイレを設置することは、シスジェンダーの特権があるために出来ており、それは更に性別二元論主義を強化することに繋がっているのです。
「犯罪への抑止力」と「男女別トイレ」は関係ない
トイレにおける犯罪への抑止力と、トイレを男女別にすることを一緒にして話してしまいがちですが、実はこれらは別々の問題であるとわたしは考えます。
トイレで起きる犯罪が男女別トイレによってなくなっている、少なくなっているというのは、男性からの加害のみを見ているからそう思っているのではないでしょうか。実際は女子トイレでも性犯罪は起きており、女性から女性への加害もあります。(もちろん、男性から男性への加害もあります)このように「男女別トイレで性暴力が減るという主張」は、今、実際にトイレで性暴力を受けている人たちを不可視化してしまいます。その上、そういった性暴力への抑止力にはなりません。
また、「女性はどのような場所にいるか」「どんな格好をしているか」「どんな人か」などによらず、男社会という社会的な構造において狙われやすい存在です。こういった構造を変えていくことが根本的な解決に必要であるにも関わらず、「男女別であれば安心であると思い込み、根本的な解決を遅らせられている」という状態にあると思います。
男社会における女性が弱者になってしまうような構造を変えていくことが必要なのであって、男女別にすべきか否かで諍いをしている場合ではないとも思います。
女性にとってもトランスにとっても「苦しいトイレ」
上記で書いたように、男女別のトイレは性犯罪の抑止には繋がりません。その上、女性に安心な場所を提供しているという幻想を強くし、性別二元論の強化、シスジェンダーの特権を不可視化することに加担しています。
それは、実はトランスだけではなく、女性にも痛みを押し付けているということではないでしょうか。女性が犯罪に遭いやすいという社会のつくりそのものを変えなければ、トイレも安全ではないのですから。男社会において、弱者である人たちの苦痛をなくしていくことを考えると、性別指定のあるトイレをなくし、性別指定のないトイレを設置できるような社会にしていくことこそが必要だと考えます。
そして、性別指定のあるトイレの設置は、女性よりも更にマイノリティであるトランスへの差別に加担しているということについても考えてほしいです。誰しも、被害者の側面と加害者の側面を併せ持ちます。そういった、あらゆる側面に気づいていくことこそが今すぐにできる反差別の方法だと思っています。
ここまで読んでくださってありがとうございました。わたしは誰かと喧嘩をしたり、言い合いをしたいわけではありません。コメントをされる際は攻撃的な口調は控えていただき、シングルイシューな考え方にならないように考えてほしいと思います。