さよならを教えて - 2024/02/26
通り過ぎる人たちが、みんなこちらを凝視しながら横切っていく。
首がグルっと回って、有り得ない動きでこちらを見ていく。
僕はただ真っ直ぐ前を見る。しかし、視界の端で横切る人たちが僕の顔を、凝視する。
右側から、左側から、次々と人々の顔に覗き込まれる。
胸のあたりから肩にかけて、力が抜けるような感覚がする。「ふぅ」と息を吐いて、胸に手をあてる。
落ち着け、いろんな人が自分の顔を見ながら歩くわけがない。前を向いて歩いているはず。誰も気にしてない。見られているように見えるだけ。
そう言い聞かせても、見えるものは見える。
俯きつつ歩いて、人が真横を通るときは瞬きしてやり過ごす。
とにかく、なんとかして帰宅しなければならない。
地面を見詰めながら、時々、信号などを確認するために前を見る。
車通りのある道から曲がって、人通りのほとんどない道まで来た。
しかし、周りに人がいなくても「なんとなく見られている感覚」がある。
自分の死角に視線を感じるのだ。
肩に重くのしかかるような、複数人に集中して見られている感覚。顔を上げるのが恐い。周りには誰もいないと分かっているのに、前を見ることができない。
早く帰りたい。
マンションの階段を上がる。廊下を歩きながら、ポケットから鍵を取り出す。ガチャ。ガタン。バタン。
「ふぅ」
もう大丈夫。安全だ。良かった、帰って来れた。
やっと、顔を上げて過ごせる。家の外に出なければ、落ち着いて生活ができる。
そこからは、パートナーと話したり、ご飯を食べたり。ゆっくり過ごした。
そして、今は調子の悪いパートナーに「おやすみ」と言って、これを書いている。
書きながら、僕は抗っている。
昼間に横切った人たちが凝視してきた様を思い出して、誰もいないのに、急にまた首を曲げて、僕の顔を覗き込む、大きな目をした人たちがいる気がしてきた。
そんなはずはない。ここは家だし、パートナーしかいない。
ああ、でも、なんだかいる気もする。自分の死角に、背中にいて、急に覗き込んでくるかもしれない。
そんなわけはないのに、恐い。
明日も食べ物を買いに行く必要がある。パートナーのことも心配だし、自分が出る方がいいと思う。
明日、出ずに済んでも、明後日、明明後日もある。ずっと引きこもるわけにはいかない。
通院もあるし、調剤薬局へ行ったりもする。
いつまで続けるのか。続くのか。
終わりの見えない世界を繰り返している。
この世界から離れたい。しかし、離れられない。
世界の方から「さよなら」と言われたい。
そしたら、何も気にせず、違う世界へ行けるかもしれない。
どうか、「さよなら」を教えて。