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わたしが死んだ日

18年前の夏。わたしは自宅の二階から飛び降りた。

いつものように晩ご飯を食べ終え、二階にある自分の部屋へ向かう。そのときは、いつもと何も変わらない夜だった。
しかし、部屋に入って窓を見た瞬間に「落ちたい」思ってから一変する。それは衝動に近いものだった。

窓を開けて下を見る。真っ暗闇に小雨が吸い込まれていく。
わたしは窓に乗って、しゃがんだ。体重を後ろにすれば落ちる体勢。しかし、踏ん切りがつかない。

窓から部屋に戻り、どうしようかと考えた。落ちたい衝動は無くならない。
ぼんやりと辺りを見ていると、隣の部屋の窓から屋根に降りれることがわかった。今までなんで気づかなかったんだろう。

わたしはすぐさま隣の部屋へ行った。

窓を開け、裸足で屋根の上に立った。そして、ゆっくりと横になる。このまま転がってしまえば落ちていける。
わたしは目を閉じて、しばらくぼんやりと過ごした。

そうしていると、急に身体がふわっと浮いた。

「落ちて…

る?」と思ったと同時に身体が叩きつけられ、心拍が跳ね、息ができなくなった。ドクドクと心臓が脈打ち、少しずつ息を取り戻していく。右手を見ると、手のひらから血が流れていた。

雨の冷たさなど、感じなかった。ただ、地面の上に横になって「どうして死ななかったのか」と後悔した。

遠くからサイレンの音がしてきた。

即入院、全治半年の重体。病院に着いてから、そう知った。わたしは、大した怪我じゃないと思っていたので、このまま入院することに驚いた。

入院期間は短かったが、自宅で半年は療養しなければならない。入院先の病院は、あまりいいところではなかったが、看護師さんたちは、まだ子どものわたしには親切にしてくれた。

ある日の朝、7:00のチャイムと共に看護師さんが部屋のカーテンを開けて回る。

部屋のカーテンが開けられ、まぶしいなと思いながら身体を起こしたとき。急に「こんなに大変なら、頑張って死ななくてもいいのではないか」と思い浮かんだ。

その時、今までのわたしは死んだ。

これからは余生のつもりで生きていこうと思った。おまけの人生。

おまけが長引いて、こんな歳になって、いろいろな経験もできた。わたしは死んだけど、おまけのわたしは生きている。

一歩、間違えれば、この身体は死んでいたのだけど、わたしにとってこの体験は重要なものになっている。

今までのわたしが死んでからは、希死念慮がだいぶ薄まった。無くなりはしなかったが。
しかし、落ちたときに首を痛めなかったのも、後遺症が残らないのも、何かに「生きろ」と言われているようだ。

18年経った夏、わたしは生きている。
もう落ちたい窓はない。

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