出産という未知の体験③
【アラサーOLの出産体験③】
医師と助産師から、本日中の出産は難しいとの判断が下った。
正直、私の体力は限界だった。
※この辺りから意識が朦朧としてて、医師や助産師さんの話を私が勘違いしてる可能性もあるので寛容にお読みください※
助産師さんの話では、夜中は一旦陣痛を抑える?点滴をして少しでも私の体力回復を測るとこの事だった。
「まだ子宮口があまり開いておらず、体力回復が優先」との話だった。
点滴が始まると確かに陣痛の痛みが少し弱まった気がしたが、やはり痛かった。痛みが引いた瞬間に寝そうになるのだが、また痛みで起こされる。その繰り返しで夜を過ごすこととなった。
立ち会いに来ていた夫は一旦病院から帰され、私の実家に泊まる事になった。
つまり1人で夜を越えなくてはならないのだ。
このご時世、コロナの感染対策が厳しく、立ち会いができない産院も今だに多い。最近の妊婦さん達は心細いながらも一生懸命出産に挑んでるんだな…とそんな事を考えながら自分を鼓舞し続けた。
夜中は陣痛に耐えながらも、吐き気がおさまらず、水を飲んだだけでも吐き続けた。また、少し過呼吸気味になってきてしまい、手足も痺れてきていた。
「終わらない出産は無い」
そんな事を誰かから聞いたような気がする。10ヶ月楽しみに待ち続けた我が子との出会いが刻一刻と迫ってきているのだ。そう自分に言い聞かせて耐えるしかなかった。
陣痛に耐え抜いたこの夜を私は決して忘れないだろう。水分をとっても吐いてしまい、スマホを持つ余裕もなく、寝たいのに眠れない。ずっと痛みに耐え続ける…こんなにしんどい事がこれまでの人生にあっただろうか。
やっと朝になり、院長先生が内診してくれた結果、点滴を促進剤に切り替えてお産を進めようとの判断だった。促進剤に切り替わった瞬間陣痛が痛みを増した。だがもはや、早く我が子に会いたい!という気持ちが優っていた。
夫も再び駆けつけてくれて、ようやく安心した。
陣痛室で隣にいた妊婦さんが先に分娩室へ入る様子を見た。心の中で「頑張れ!!!!」と何度も応援した。先に分娩室に入った妊婦さんは分娩室に入ってから出産までかなり時間がかかっていた。しかし、産声が聞こえた瞬間、姿は見えなくても私が感激して泣きそうになっていた。
私ももうすぐで我が子に会えるんだ!!
分娩室から院長先生が出てくると、今度は私の方を内診した。子宮口はだいぶ開いているのに完全に破水していない為、無理やり破水させるとのことだった。助産師さんに代わり、子宮の入り口をデコピンされるような感じがあった。すると、ものすごい量の水がドバッと出てきた。
後で聞いた話では、私は羊水の量が多く、なかなか赤ちゃんの頭が降りてこられず、骨盤に頭がハマらずにいたのが長引いた原因だったらしい。
破水してからは早かった。子宮口もしっかり開き、助産師さんが内診するともう頭が出てきているとのことだった。そしてついに分娩室へ。
分娩室に入って、10回もいきまないうちに我が子が生まれてきた。
産む瞬間の痛みはほぼ感じなかった。というかそのあたりは覚えていない。陣痛に耐える方がずっとつらく,いつ生まれてくるのかわからない不安でいっぱいだった。覚えているのは助産師さんの声と院長先生の声、そして、夫の声が聞こえる中で必死にいきんだことだけだった。
産まれてきた我が子を見ると不思議な気持ちがした。
「やっと会えた…。よく頑張ってくれたね」と我が子に声をかけた。
立ち会った夫は感激してこれまで見たことない、嬉しいような泣き出しそうな不思議な表情を浮かべていた。
私はとんでもない経験をしてしまった。
今までの人生で1番不安を感じ、1番しんどい経験、1番痛い経験、1番幸せな経験をする、壮絶で劇的な出来事。それが出産だったのだ。私はそう感じた。
ちなみに、出産を終えた直後の満身創痍の中、ようやく水分を取ることができた。恐々と飲み物を口にしたがもう吐かなかった。
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