13年間過ごした愛犬が子宮蓄膿症で旅立ちました
私が10歳の頃に我が家にやってきた柴犬♀が2年前に子宮蓄膿症を発症してから急変した時の記録です。子宮蓄膿症の犬さん、これから避妊手術をする方へ少しでもお役に立てればと思います。(余談は多いのでスルーしてください)
11/7
この日の深夜も変わらず落ち着きがなくウロウロ、キョロキョロと家の中を徘徊していた。夜中はヒィヒィと鳴き、毛布も怒り狂ったように噛みつづけ、またか…と私は無視していた。これはただのわがまま、毎年の偽妊娠だと思っていたからだ。この時期は毎年偽妊娠する時期でもありその異変が命に関わるものだとは思っていなかった。
朝起きて私はいつものように声をかける。いつもなら散歩!?とピンと顔をあげるのだが、全く無関心な様子でぐっすり眠っていた。散歩に行こうと首輪とリードをつけるが、しっぽを振らないし、喜ばないのだ。でも散歩に行けば食欲不振も治るかもしれない。様子がおかしければ途中で帰ればいい。とりあえず散歩には行った。
歩いて間もない小学校当たりでもう歩けないのでは?という速度になっていった。
「うーん、食べてないから貧血?」
私は発送する荷物を持っているのでpudoまで行こうとしたが坂を登りたくない様子。…これはただ疲れているのではないかもしれない。疲れくらいなら率先して歩くくらい散歩が大好きだから。何となく嫌な予感がしそのまま帰ることに。公園には寄らなかった。(まさかこれが最後の散歩になるとは知らずに…)私は一旦家に帰しpudoに行った。(引きこもりにはかなりの運動量)
昼頃、いつも通り眠っている感じだが少し呼吸が荒かった。散歩の疲れならもう止まっている頃だし…。この時また嫌な予感がし、夜急いでかかりつけ病院へ。午前中散歩に行ったし、これ以上歩かせることは出来ないので、父にも仕事早く帰ってきてもらって車で病院へ。実は11/5にも病院に行ってて(この時は外耳炎と食欲不振) 血液検査で炎症数値が最大値だったのがずっと気がかりだったのだ。獣医の判断で抗生物質(4日後~10日間効く)を打った。
子宮蓄膿症であることは2年前から知っていた。というのも獣医の判断ではなくこちらが調べたからだ。しかしあれから更に詳しく調べると抗生物質の効果は初期のもので閉鎖型には効果がないとのこと。手術出来る状態ではないことから抗生物質にしたとのことだが納得出来ず。余命宣告などされなかったので悠長にしてたけどもう一刻争う状態だった。本当に1日でも早く手術しなきゃいけなかった。
このままでは助からないだろうと確信した。もうゴリ押しで。当時手術をする決意をした。ここがダメなら他探す!
朝…母は即病院へ掛けた。
私はかかりつけ医がダメなら他の病院も探す予定だったが以外にもあっさり当日手術の予約ができた。夜になるらしくただただ子宮が破裂しないようひたすら祈っていた。ずっと容態を心配して私もかなりのメンタルすり減られた日だった。ここで寝たきりになったらもう…という愛犬の生きたい気持ちが伝わった。
午前中までは少しうろうろしてたけど、明らかに昨日とは違う。水だけはひたすら飲んだが、呼吸が荒く脚が痙攣し徘徊したりする。明らかに死が近づいていると感じた。ずっとおふせ状態で横になって眠ることも出来ない。13:00くらいから全く歩けなくなった。
17:00
飲水禁止から数時間、毒素が回っているのかグッタリして寝たきりに…朝とは比べ物にならないくらいお腹がパンパンになっていた。横から見てもわかるくらい破裂しそうだった。これ本当に間に合うのか?もう私は冷静さを失っていた。容態を伝え少しでも手術を早めてほしくてお願いしたが診察があるからとあっさりと断られた(命を優先しないのか?) もういつ破裂してもおかしくない状態で、まだかまだかと手術時間を待った。
19:50 ギリギリ間に合いそう…!!!
実に12時間後、何とか手術時間を迎えた。犬を車に乗せ、病院へ。(自力では起き上がれない状態で大変だった。本来ならお腹に負荷をかけず抱っこするのが正解だろう。)持病持ちの女の力では無理な体重だったから何とかして起きて歩いてもらう…。説得しているがこんな状況で辛うじて歩けているの凄い強い子だなと思った。本当にえらい…。私は筋力はあるものの重いものを持つとすぐに呼吸困難になり気胸が再発してしまうのでなんとも悔しかった。(信じられないだろうがこれで何度も再発してます) 父はそれがいいという、、私の再発等お構い無し。本当に私が役立たずに思えてきた…私はメンタルの配慮から一緒に病院へは向かわなかった。
しかーしここで更なる悲劇が…父が空腹へどっかへ行き(まぁいつものこと)、獣医も手術後は自分たちも休養が必要だから直ちに家に帰ってもらうと。。つまり術後の管理は家族がするか、入院先は勝手に連絡しろというのです。マジかよ…。どっちも信じれん。。ていうか父もどっか行ったって母一人なんじゃ??いやなんなんほんま。普通こういう時って父が寄り添うよね?いてもたっても居られなくなって私はその足で動物病院へ向かった。トラウマもあり夜間の一人歩きは控えていたため結構怖かったがそれどころではなかった。またしてもルビーの指輪が行動を起こさせてくれました。これが役立たずなりの精一杯の行動です。医療説明好きだし臓器見ても全く動じないしね。
容態を見た獣医には(呼吸が異常、弱っているなどの理由で)手術をもう反対されたが、私たちは今朝から手術を予約してそれを信じて12時間も待った。ここまで待って今さら緊急手術してくれるとこもないし、引き帰すなどあり得ない。このままでは死を待つだけなのが確かなのでやってくださいと半ば強行突破した。それもここまで病気を放置したのは獣医なので、弱っているのは当たり前。病名も不確かで余命宣告なんか受けてないので全てが私の判断です。うちの子は耳の病気でほぼ毎週通っていたというのに今回食べなくなった原因がこれだと気付けなかったんです。子宮蓄膿症は1年前に発祥してましたが当時は開放型でどれも1ヶ月で自然に症状が収まりました。でも膿が自然に消えるなんてことはあるのか謎でしたし、表の症状が消えていただけで実際は膿が体内に蓄積したままだったのではと思います。ゆっくりじわじわ弱らせていく恐ろしい病気…。
手術は無事終了
ひとまず手術は成功しました。この時は意識朦朧としており、でも声は聞こえてる様子。←ここまでは私も経験してたから恐れてはいなかった。摘出するまではただの子宮蓄膿症だと思っていたが、(子宮も膿でパンパンだった)巨大な卵巣腫瘍があったことに驚きを隠せない。これはガンなのか腫瘍なのかは組織じゃないとわからないと。(でも冷凍されてしまって結局とれなかった。こんなに頑張ったのに) 子宮洗浄もしたとのことでとりあえず助かった一安心…と思ったが、以上に苦しそうな呼吸をしていた。顔をあげると窒素するとのことでスタッフが慎重に車に運びました。かかりつけ医で手術の腕は確かなのでこの病院でさせましたが、対応が酷かった。反対おしきったからなんでしょうけど(これでも予約制)、手術終わって入院させず速攻で家に帰らそうとしました。看護師もクスクスと笑って「死ぬんじゃない?w」って言ってた。あり得ない。こんなに苦しそうな犬を見て何故そんな事が言える??…信じられない。。。それを知っていたら違う病院探したのに。せめて入院手配くらいしてほしかったな。(夜間の病院はあらかじめ調べてたけど)
かかりつけ医を信用しすぎた結果です。
夜間病院へ移動、入院へ
次の病院へ移動中40分はかかった。呼吸が荒く低体温だった。正直ずっと苦しそうな愛犬を見るのは自分が気胸で入院した時より辛かった。ひとまず摘出は成功したんだ。でもさっきより苦しそうだった。「これでよかったよね?あのままじゃ死は確実だったし…」と言い聞かす。我が身のように考えてしまう。ずっとなでなでして名前を呼び掛けるようにしてた。そうしないと今にも逝ってしまいそうだったから。
夜間病院へ到着…
すぐに運ばれて、私たちが呼ばれる頃には目を開けており意識が戻っていた。先程苦しそうだった呼吸はすすり泣きしている時の感じに変わっていた。(ススッスーー)
時間かかってたしその間応急処置してくれたのかな?
聞けば沢山処置をしなければならないらしくかなり危険な容態とのこと。食べられるようになるまで入院することになった。夜間病院で重病もあり数日入院で費用は25万くらいするとのこと。命に変わりはない、ここまでやったし最善を尽くす。親のお金に頼る、、、これもまた自分が無力な感じはして凄い嫌。
帰りにセブンイレブン
余談だけど推しグルのクリスマスキャンペーン見に行ったよ。入り口にポスターあった。しかしながら今までのように大喜びするものではなかった。今期のカムバのビジュアルに失望したせいか、不安事が多いせいか、ほんとにここ数日は推しを見たいという意欲もないくて好きなビジュアル見てもときめかないしもうペン卒きてるんかなぁ。
11/9
今朝は明るい女性獣医が出てきて容態が安定したとの報告。腎臓が弱っているが、命に別状はない。しかしこの日の夜間は看護出来る人がいない。それが不安でならなかった。
11/10
再び容態が悪くなった。やっぱり昨夜、12時間ほど看護がなかったためか…腎不全と貧血で血液検査も酷かったらしい。懸命に治療をしてくれて、その夜にはまたしても回復した。水分はちゃんと採れてるしごはんも補給だがペロッとなめたらしい。退院の目処も決まりそうで家に帰ったら栄養剤とか持ち運びケージとか買ってあげよ!とアマゾンのカートに入れた。でもまだ油断できないから何となく買わなかったのです。
11/11
今朝の容態も安定してて回復に向かっていた。今日は家族でお見舞いに行こうと好きなものを色々持ってきたのだ。そう、きっと食べれるようになってて退屈してるだろうなぁって思ってた。本当に、病院で待ってる間まではそう思ってた。これからのリスク考えてシニア保険の話もしてた。長い間待たされていた。混んでいるからかな?ついに階段に案内され、看護師が冷静にこう言った。「今人工呼吸と心臓マッサージしています」と。え??嘘でしょ???信じられなかった。私は見た。そこには人工呼吸機の管が入れられ舌がベージュ色になっている愛犬の姿。お腹も白くなってて何が起こったのかわからない…。獣医「敗血症を起こしてます。本当についさっきまで元気でした。」なんで………懸命に蘇生を20分も続けていたらしく「どうされますか?」という。まだ心臓は動いているが、これは蘇生をしている限りであり、もう助からないらしい。電源を切る瞬間もう私は涙を耐えられなかった。辛い……当然いつ急変してもおかしくないしこうなることは覚悟してた。でもお見舞いに食べ物を持って来た途端こんなことになるなんて……奈落の底に落とされた気分だった。笑顔の再会は果たせなかった。11/11 10:56、蘇生終了。。。でも目を瞑っていて眠っているようだった。病院の看護のおかげか、人工呼吸機をしたおかげか。手術して2日間生きられたのと「旅立つ時に苦しい思いは絶対にさせたくない!」それを叶えることは出来たのかな…と思うと手術したことを後悔してないです。
死因は一応、「子宮蓄膿症」「卵巣嚢腫」ということになるのだろう。手術した時には既に毒素(膿)が周っており、腎不全と敗血症を起こしたということだ。この病気に気づいていたのに助けられなかったことが何より悔しい。「すぐに手術しなくていい」、「悪くなったら手術しよう」、そんな悠長な気持ちで過ごしていれば間に合わないのだということをこの子の命が教えてくれた。子宮蓄膿症、卵巣嚢腫、急変するのが早すぎる病気だということを雌の犬を飼う全ての人に知ってもらいたい。かかりつけが杜撰すぎて。かつて耳の持病も持っていたのだが、永遠に通院させ(もう末期の時は毎週通院してた)完治させることはなかった。この経験から早期発見について考えると
・散歩で落ち着きがない、同じところをうろうろする、徘徊する
・食欲不振(最終的に好きなものも食べない)
・突然脚が震えだす、ヒィヒィ鳴く、しっぽを追う
・水を飲む量が増えた
・下痢、便秘を繰り返す(特に食べてないのに下痢は危険)
・生理の出血が突然止まる(膿混じり)
急変する数ヵ月前からでは散歩で落ち着きがなかったり、食べ物を与えてもお皿とは違う所をクンクンしていて目が見えていない?と疑うように食べ方がおかしかったりした。(これは白内障があったからかも)自分の意思で食べている時でさえ脚がガタガタに震えていることが多かった。
何よりちょっとの異変に気づいたら一刻も早く病院でエコー、レントゲン、血液検査してもらいましょう。犬の急変は人間とは違い早すぎます。うちのように病院が見過ごすなんてことはあってほしくない。
【飼い主の行動力で救えた命かもしれない】
うちの子が子宮蓄膿症と判断されたのは2年前11才の時。当時は開放性でしばらくすると膿が流れていました。その時にこちらは手術を検討していると獣医に言うと「高齢だから…」などという理由だけで何の治療もしてくれずこの病気をスルーされ現在に至ります。この病気は急変してからでは遅いです。(もちろん助かる場合もあるので手術させましたが、巨大な卵巣嚢腫腫まであって手遅れでした…) いつも病院に連れていくのは親ですが、私はその獣医に前から不振があったので直ちに新しい病院探して親に説得すべきだったと強く後悔しています。すでに説得はしてたけれど手術となると新しい病院でさせるのは不安でした。この不安、交通が…などと考えていたら手遅れになるということもあるのです。子宮蓄膿症と言われたら持病がないうちにすぐに手術することで助かるはずです(麻酔が合わないなどない場合は)。うちの子も子宮蓄膿症は発症していたものの食欲不振になるまでは何の持病もなく健康でした。
11/12 葬式の日
やっぱり今日も3時間しか寝れない。あ、もういないのか…目覚めると涙が止まらなかった。朝日が昇る時間、外からウ"ォン!と鳴く声が2回聞こえたのだ。(それは生前家に入れてほしいという合図だった。見かけによらずおっさんのような声なのですぐわかった) この日は涙雨だった。急激に気温も下がり更に寂しさを感じた。
病院へ遺体を引き取りに行き、葬儀へ向かう
大好きだったおじさんの車だよ…
いよいよお別れの時。。。
やはり眠っているように見えた。なんだろう…本当に今にも起きて反応してくれそうなくらい…。氷のように冷たくなっているのに、体はやわらかかった。相変わらずモフモフでお腹も腕もぷにぷにしてた。だけどそれはオブジェのように全く動かない。呼吸も止まっていて瞳は半開きで干からびて光がない…これで本当に死んだのだと確信したのだった。
親の別れさえそんなに泣かなかった父でも今回は号泣してた。葬儀が終わって運転中も泣いてたし一番泣いてたんじゃないか。(私より泣く人初めて見たしまさかあの父がここまで感情があったなんて) だから愛犬の存在って家族なのは当たり前だし、人によってはそれ以上だと思った。
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