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今こそガッシュを楽しみたい--3

水彩の世界では、不透明に描く方法を、修正ができる簡単な描き方であるとの考えを持っている人がいくらか存在することを存じています。現にはっきりとそう仰っている方を知っています。不透明でやれば簡単だが、私はその方法を採らない---と。

しかし、それはいささか不幸な考えではないかと過去に述べました。他を侮らず、思考はプラス方向であった方が良いと私個人は思います。そっちの描き方に興味がなければ、放置すればそれで良いのです。他を簡単と、わざわざ言う必要はありません。

不透明は、修正できる方法だと考えるより、下が何であれ明るい色やトーンを上に置くことができる方法だと解釈した方が良いと思います。そしてこれは、不透明故の独特の絵画的表現にもつながります。それでしか表現できない雰囲気が生まれてきます。それが好きになれなければ、単にそれだけのことです。

これは飽くまで私の考えなのですが、大体人というのは年柄年中同じことを繰り返すばかりじゃ面白くない。絵を描くという行為をとってみても、試してみたい様々な方法があって、ここへの好奇心は大事にしたいと思います。しかし一歩未経験な領域に踏み出すとなかなかうまく行かないので気が萎えます。誰しも見栄があるので、そこを隠したがる部分もあるかも知れません。

しかし、未熟はそのまま受け入れたいと思います。その方が人的に素晴らしいと思います。私は透明水彩は全然不慣れな領域で、まったく情けない状態ですが、しかし感ずる魅力は双方同じです。ここではガッシュを応援しますが、ゆくゆくはそちらもやってみたいところです。更に言えばバステルだって大好きです。残された時間が多いとは言えないので、あれこれと手が届かないだけのことです。

私は元々はSF関係が好きで、主体になるもの、つまり宇宙船とかヒロイックな人物とかは好きで描いていたのですが、背景の部分がどうしてもうんざりでして、この部分を何とかしたいということで風景画なども始めたのです。いささか抽象混じりですが、今ではそれが最も多くなったかもしれません。最初は苦手でもやっている内に楽しくなる。ここがなかなか良いのですよね。

現在は既に、商業美術はほぼ全てがデジタルになっていると思います。アニメの背景などでポスカラが使われているそうですが、それもいつかは全てデジタルに移行するのではないかと思っています。ガッシュやポスカラの生産という面では、将来どうなって行くのか、ちょっと心配です。画材屋さんが減っていることを考えれば絵描き人口も減っているのでしょうね。

私は実際に媒体の上に絵の具が乗っている感じを好んでいまして、油彩ほどではないにしても、不透明な描画では物理的な絵の具の厚みがあります。デジタルと違って、この辺がなかなかいいなと思うのですね。透明水彩を嗜む人は不透明に比較すると多いように見えるのでその心配はないと思うのですが、メーカーがいつまでガッシュを生産してくれるか、こっちはちょっと心配になります。危惧かな?

とはいえ、どんな描き方をしても個人の勝手です。私は敢えてポスカラを使って透明水彩の方法で描くのを好んでいます。絵の具の輝きそのものは透明水彩に比べると幾分落ちますし雰囲気がかなり違ってきますが、それはそれなりに味わいがあります。

受け止め方は勿論、人に寄るでしょうが…。

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