筆記具にも因縁があるだろうか
BOXYというのは、三菱鉛筆のブランドだったのでしょうか。私は万年筆はともかくシャーペンにはそれ程の思い入れはなくて、これも自分で買ったものではありません。記憶に間違いがないとすれば、上京して間もない時期に当時バイトをしていた会社のゴミ箱で見つけたものだったと思います。だから、そんなに大事にしたものじゃありません。時代は1985年くらいだったかな。
ボディーに熱で溶けた部分があります。これも、自分でつけたのか元からあったのか、それももうはっきりしません。そんなことを覚えているようなものですらなかったのです。だからこれっぽっちも大事になんかしていない。見る通り、随分汚れています。うっすらと思うに、自分で半田ゴテで焼いてしまったかも知れませんし、こんな状態だから捨てられていたのかも知れません。ほんとにもう、はっきりしません。
拾ったものだから、元から愛着なんてものがあるものでもないし、デザインも特に好みでもありません。その後何度も転居した間に紛失しても意識にすらなかったでしょう。それが、いつまでも失せずに手元にある。ちょっとばかり、そんなことを不思議に思ったのです。その間に紛失したペンなどいくらでもあるのに。
こんな姿だから、外で使う訳には行かない。でも自宅でだって、大事に使っている訳じゃない。ちょっとメモと思ってその辺を探って見つけて使う程度のものです。しかしこれで、無印良品の安い紙を閉じた手帳とも言えぬものに色々メモをしていた時代がありました。その手帳は、多分何かの表紙に挟んで使うようなもので、紙が黄色くて安っぽくて薄すっぺらだったので、こいつのクリップをバインド代わりにしていたのだと思います。それだって特に意識してそうしていたのではありませんでした。
で、その時に思ったのですが、不思議にこのペンは描きやすい。同じ芯を使っても滑らかな感じがする。しかも折れにくい気すらするのです。
不思議なもんだなと思いつつも、だからと言って尚も丁寧に扱うことはありませんでした。保管場所だって適当。でも、ふと気が付くといつも目に付くところにある。何かの因縁でしょうか。
ところがそう思うとふと消えるものなんですよね。noteにあれこれ書き始めて、こいつのことを書いてやろうと思ったらもう姿が見えません。さっきまであったのにと思いつつあちこち探して引き出しの奥からやっと見つけました。
以後、だからちょっとは気に留めてやろう--などと思うとダメなんですよね。これまでと同じように、ゾンザイに扱う。それが良いのだろうなと思っています。
余談ですが、ものには実戦タイプと言うのがあります。あまり例えは良くないかもしれませんが、兵器にもそんなのがあるようです。大戦末期に登場した英国の戦車センチュリオンがそうだったと聞いています。英国は戦車では苦労しましたからね。あれこれ工夫して信頼性の高いものを作ったのでしょう。あまりかっこよくないけど実戦では信頼が高い。このペンもそんなタイプかも知れせん。
え、カッコいいの?ファンが居る?
失礼しました。