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漫画家残酷物語--2--うすのろ

更新が随分間延びしてしまいました。あれこれと悩むことが多くて…。

先日から、私が貸本屋さん全盛の時代に読んだ永島慎二さんの作品について述べております。ここで紹介させてもらっているのはある程度大人になってから手に入れた復刻本で朝日ソノラマさんからの出版物であることも先日述べました。私はこれを今も大事に持っています。ちょっとしたバイブルのようなものでした。

一連の作品のなかで、二つ特に印象に残っている作品があると申しました。その一つ----については前回に記しました。今回はもう一つの作品--うすのろ--です。

漫画家になることを夢見た五人の少年たちが居ました。学生仲間の漫画サークルのメンバーで、立派な漫画家になって子供たちに夢を与えるのだと希望に燃えていました。しかしちょっとのんびりした一人だけは、自分は分からないとポツンと言います。あまり自信がないようでした。


一人の発案で年に一度、卒業した日を記念してどこかで集まる約束になりました。会って自分たちの近況を確かめ合うのでした。会合にはいつものんびりした人が遅れてきます。この人がうすのろさんです。


事情は皆様々で、印刷会社に住み込みで働きながら描く者、牛乳配達をしながら描く者、勤めている工場が潰れそうで不安な者(男前の美青年)。なかでも元から自信家であった人が少年雑誌での連載が決まっていることを彼らに告げ、余裕ありげにタバコを吸うのでした。


会は続き、何年目かの集まりでは皆それぞれに積み上がりがあるのですが、余裕タバコは連載を減らして既に落ち目に向かいつつあり、入れ替わって出世頭になっているのは牛乳配達でした。売れっ子の人気漫画家になっているのでした。男前の青年は単行本(多分貸本設定か)を書いて、一人はまだ芽の出ない時たま入選。うすのろさんはカットを受けて凌いでいるとかでした。自分はカット屋だと自嘲します。


また何年かしての集まりは料亭でした。やっぱりうすのろさんは遅れてきました。彼が姿を見せる前にカットの仕事なんか楽だが面白みがない、よくあれで満足しているよと余裕タバコに陰口を叩かれています。単行本を書いていた美青年は既に亡くなっていました。当時も単行本は言わばメジャーではありませんが、その仕事さえなかったようでした。この時の集まりは彼のためのものだったようです。ここで余裕タバコは既に漫画家を辞めて職替えをしており、出世頭もその勢いはありませんでした。漫画を通しての彼らの繋がりは既に切れかかっていました。


更にまた何年かした集まりは料亭ではなく普通の公園でした。やはりうすのろさんが遅れてきますが、車を乗りつけてきました。この時には、皆はもう漫画を諦めていました。俺はやっぱり才能がないのだと一人が言い、余裕タバコは田舎に帰ると言い、出世頭は今は若造のアシスタントをしていると言います。うすのろさんは相変わらずカットで仕事をしていると言い、でも仕事は割とあるので仲間と五人でやっていて他に外回りも居て自分が給料を払っていると報告します。

お前が給料を払っているのか、偉くなったもんだなと皆笑いました。そこですっかり彼らの糸は切れました。面白くねえ、もう次からは来ないと言って皆去って行きました。


後日、あるデザイン商社から出版された単行本が爆発的な人気を博し、漫画界の一つの事件になりました。この原稿を書いた人が、報われぬまま亡くなった美青年でした。ミカン箱いっぱいの彼の原稿を引き取り自費で出版したのはうすのろさんでした。彼は既に大きなデザイン商社の社長になっており、その出版は夢を抱いて集まった彼らに読んでもらいたいためのもので、皆それぞれに、それぞれの場所で涙を浮かべてその本を読むのでした。

まったく、漫画だからこうなるという典型のような話です。実際は若くして著名になる者にはそれなりの才能があり、多くの場合それは持続するものだと思います。しかしそうでないこともあるのでしょう。私が何故この作品を心の内に持っていたのかと言えば、それは私と作品のなかのうすのろさんとを不遜にも重ね合わせたと言うしかないでしょう。私はカットでさえ食べて行く才能が有りませんでした。しかしメンバーの中では今ひとつ自信がなく、手に届く範囲のことを実直にやって控え目で大口は叩かない。そのキャラクターに親しみを持ったのです。

子供の頃、私は漫画家に漠然となりたいと思い、それがいつしかイラストになって、またまた変化して油彩を描き始めました。その多くの場面で随分な人たちと遭遇してきました。余裕タバコなど比較にならない程の自信過剰や他を嘲笑する性格の人を何人も見てきました。ある人などは自身が小さなデザイン事務所に勤めていた故か、当時有名であったアートディレクターを君付けで呼んで、いかにも付き合いがあるかのように演出していましたし、何かにつけて他人に--10年早いぜ--というのが口癖でした。私は内心馬鹿にしていましたが、本人は得意満面でした

またある絵描きさんなどは、絵描きが特に優れた者でしかなれない職業であるかのように振る舞い、実際に美術雑誌でもたまに紹介されていましたが、写っている写真が如何にもポーズをとった気取った感じでした。もちろん、修練を積んだ人でしかろくなものは身に着かないでしょう。しかし自分がそうであるかのように振る舞う人が、私は昔から好きになれないのです。例えそうであるにしても。

そんな私と作品のなかのうすのろさんを重ね合わせてしまうのは、これは単純に私の知性の幅の狭さとしか言いようがありません。作品のうすのろさんはかなりの能力者でした。それでも、人としてとるべき態度の一つを教えてくれている気がするのです。全然身につきませんがね。

仲間たちとの糸が切れる時の皆の言葉。面白くねえ、俺はもう来ないぜ--これは悲しいかな物事の実際を物語っていると思います。仲間と言いつつ、腹の中でどこか馬鹿にしていたのがいつの間にか上に行くことを、誰も歓迎しません。私の言えた柄じゃないですが、絵描きにも他のあらゆることにも同じことが言えるかも知れません。褒めてくれている間は誰の脅威でもないと言います。何でもない時、身の周りは褒めてくれます。しかしその充実度上達が冗談ごとでなくなった時、周りは得てして面白くないものです。

世間ですから、色々あるのはしょうがないですね。私は教訓としてうすのろさんを記憶せねばならない程のことは遂にありませんでしたが。

なお、画像についてはもっと沢山のカットを紹介したかったのですが版権の問題もあるかも知れないのでなるべく少なくしました。もしクレームがあるようでしたら削除いたします。本の紹介ですので、それはないと思いますが。

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