ベンチでごろ寝が癖になるかも
居酒屋が好きなんです。それほど飲めませんが。以前は飲んだらそのまま駅のホームに向かいました。しかし一度、酔い覚ましで公園のベンチでごろ寝してやったら、これが妙に来るものがあったのです。何が来たのか知れませんが…。
真っ暗よりもできれば夕方が良い。街灯が点灯し始めてまだ明るさのある頃、これからの時期は段々そうなる。七時近くでも明るかったりするから。
昼と夜の間。確か江戸川乱歩が、一日の中の宝石のような夢のようなひと時とか言ってましたっけ。よく覚えていないけれど、彼の小説の一部にそんなのがあったのを薄っすらと記憶しています。
寝っ転がってぼんやり空を眺める。半ばウトウトしながら遠鳴りで聞こえてくる街の雑多な音をそのまま耳に受け入れる。ひとつ目を開ける度に空の色が濃くなる。
日頃のあれこれや、今日歩いた街のシーンが走馬灯のように蘇る。誰かの言ったセリフ、返した言葉。見かけた気になる人。描けども描けども全然進展のない絵画。脈略も意味もなく通り過ぎる。
ひとりキャンプの経験はないけれど、あれってどんな感じなんでしょうね。やっぱり怖いかな。他にすることもなくじっと夜を過ごす。家に居たって眠れずに過ごす夜はあるけど、ちょっと違うでしょうね。それともキャンプの場合は昼間の行動で疲れているのですぐに眠れるのかな。でも…。
ああ、何だかこのまま深いところへ沈んでしまいたいとか、ぼんやり考えてしまいそう。だから、私にはひとりキャンプは無理だろうと思います。時間が長すぎるとろくなことを思い出さない。適当に街の騒音が聞こえる程度が良いのですね。
ベンチでごろ寝など、以前なら考えもしませんでした。それは単にだらしないオッサンの所業だった。この頃は敢えて、わざと駅から離れた居酒屋へ出向いて、駅までの帰り道の途中にある公園でベンチを探す。これが何故か癖になりそう。
ちょっとウトウトした後でペットボトルのお茶を飲みながら目の前のマンションをぼんやり眺める。何人住んでいるんだろうなとかとりとめもなく思ったりする。この頃はGoogleのストリートビューで寝っ転がれそうなベンチのある公園を探すという、奇妙なことになっています。
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最近の自分って、なんだかこんな感じなんですよね。