お久しぶりのパンケーキ/短編小説
「こ、こんにちはー」
そっと扉を開き、席が空いている事を確認する。
「あ、いらっしゃいませ」
そう答えてくれた良い感じのマダムは、
レジ奥のカウンターから、ひょっこりと顔を出してきた。
店頭に置いてある観葉植物を見て思っていたが、店内でもドライフラワーやハンドメイド雑貨など、値札の付いたモノを装飾として飾らせている。
この小さな20畳くらいのカフェ経営以外に、販売で成り立たせている感が否めないが、いやらしくはない。
そう思わせる雰囲気だった。
お久しぶりのパンケーキ
あの日から私は甘いものを食べなくなった。
・・・いや正確には食べられなくなった、に近いかもしれない。
かれこれ1年になる。
当時の私はアルバイトをしておらず、
友達とカフェに行っても、高級そうなモノには手を出せていなかった。
Instagramで見るデザートは、映えを意識しているからか、どれを見ても美味しそうに見え、
その中でも行ってみたいと思わされたのは、
私の好きな芸能人が足繁く通う、南麻布にあるカフェ"パストト"だった。
"あの方が行かれた所だから行ってみたい"と思う反面、
"南麻布だし、相当なお値段するんだろうな"
と思っていた。
この事を母に話したところ、連れて行ってくれるとの事だったが、ある条件を付けられた。
「第一志望が受かったら、行きたいって言ってたカフェに行こうね」
そう。
あの日とは、去年の大学合格発表の日の事である。
*
「手前のソファ席におかけになられてお待ち下さいね」
狭い店内に響き渡る高い声で投げかけられ恥ずかしくなったが、周りの客は気にすら止めていない。
お忍びで来ているのか大きなサングラスをかけている漆黒服の女性と、見かけたことのない雑誌を読み続けている金髪の女性の2組で、
私を入れて3人しか客は居なかった。
全国チェーン展開されているカフェに一人で行った事はあるが、
個人経営のカフェには来たことが無く、メニュー表が見当たらないだけで戸惑う。
数分して、お冷とメニュー表を持ってこられた。
「一人でやりくりしてるもんから、お待たせしてごめんなさいね」
開口一番に謝られた為、こちらこそと恐縮した。
「毎週メニューが変わるから、メニュー表の写真撮影はご遠慮頂いてるけど、
他のものだったら写真沢山撮ってくれて構わないですよ」
そう言われ、だからメニュー表や値段がネット上に記載されていなかったのかと納得する。
決まったらお呼びくださいね。
他の客のデザートの準備に取り掛かるのか、マダムは最後にそう言い、キッチンへ戻っていった。
私は今日、珈琲だけ頂く予定で来ている。
甘いものはまだ食べられずにいるからだ。
あの日を境に、デザートを口にしたら吐き気が襲い、甘いもの恐怖症になってしまった。
きっと、大学受験失敗がトラウマになったのだと思うが、
あれだけ毎日甘いものを摂取し、気になる店を検索していた過去があり得ないと思うほどだった。
たまに、コンビニのデザートで挑戦してみるが、一口にもいかない僅かな量でギブアップする。
甘いものが受け付けないのか、気持ちが乗らないのか。
アレルギーでも無ければ、むしろ大好きだったはずなのにと嘆く毎日を過ごしていた。
メニュー表はデザートとドリンクが分かれており、A4の光沢紙に細いペンで書かれている。
"珈琲、思っていたよりも全然安いな"
単純にそう思えるほど、簡潔に記載されているドリンクメニューだった。
そして食べられないとわかっておきながらも、デザートメニューに目をやる。
こちらはドリンクメニューと違って、文字が多くごちゃごちゃしている。
本日限定や期間限定、残り2品など、どれを見ても気になる書き方で工夫がある。
春だからかイチゴを使うデザートが多く、と言っても全6品だった。
それぞれに、タイトルと内容が記載されていて写真は無い。
実は今日、この店にはお祝いで来ている。
去年受からなかった第一志望校に合格したのだ。
だから多少は贅沢にしよう、そう思いメニューをしっかりみる。
その中でひとつ気になる商品があった。
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◎お久しぶりのパンケーキ◎
当店自慢のパンケーキが期間限定で復活!
是非パストトで、past(過去)に戻り、
食べた時の幸せを思い出しましょう♪
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それを目にした後、メニュー表をじっくり見ると、黒の太文字で
"パストトでは過去のあなたに会いに行ける魔法を買えます"
と意味深な文章が記載されていた。
"過去の自分に会いに行ける・・・?"
魔法のデザートと称するモノを提供するカフェだったとも露知らずで驚いたが、ほっこり笑ってしまう様な温かさがあった。
以前食べた事がある人が懐かしむパンケーキ。
食べたことは無いけど、私は気になってしまった。
"きっと食べられないけどインスタ映え狙おうかな"
そう思い、珈琲と一緒に注文をした。
*
「そこまで甘くないからペロリといけると思いますよ」
数分後、そう付け加えられ運ばれたパンケーキ。
残す可能性しか無いから申し訳ないな、と思いながら楽しみですと返答した。
パンケーキは3.4枚が綺麗に重なり、周りにはホイップクリームやバニラアイス、沢山の苺、キャラメルソースがお皿いっぱいに盛り付けられている。
「すご」
そう呟いてしまいながら、
初めましてのパンケーキだな、と心の中でそっと思った。
写真を幾つか撮り、まずはInstagramに載せる。
そしてパンケーキを一口よりも小さく切り分け、イチゴを乗せ、口へ運んだ。
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「受験のお疲れ様会しようか!
お母さんもあのカフェ気になってたんだよね!
お父さんには内緒で行ってみない?
行ってから、これからの事考えよう一緒に」
無理に声が高い母の顔が見れずにいる私。
「ごめんなさい」
「精一杯頑張ったの知ってるから責めたりしないし、大丈夫よ」
泣いている私の頭を撫でながら、大丈夫を繰り返す母。
「ごめんなさい」
「っもう、ほらカフェパストトさんに行くの楽しみにしてたんでしょ?行くわよ」
そう言って私を強引に車に乗せ、私は気づいたらパンケーキを食べていた。
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・・・っえ?なに今の?
走馬灯の様な光景が脳内を過ぎた。
待て。私、今、何分ここで止まっていた?
落ち着け。なんだ今のは?
冷や汗が止まらず、焦りが消えないが、目の前の光景は一つも変わっていない。
腕時計で確認したが、日付も時間もなにも変わっていない。
けど。けど一つ。
一つだけ変わっているものがあった。
"あ。このパンケーキ食べるの二度目だ"
そう思わずにはいられない。
先ほどまで、見たことない豪華さに写真を撮りまくっていたが、
今となれば、懐かしさが後を立たない。
"な、なんで?"
分からずに戸惑っていたが、あいにく私は一人で、
周りからの目が気になるから大騒ぎする事も出来ない。
口の中の水分が全て無くなった感覚で、息が荒くなっていることが自分でも理解出来た。
"・・・と、とにかくパンケーキをもう一口食べてみよう"
先ほどの量に比べると2倍ほどを口に運んだが、
もう一度あの走馬灯の様な光景が脳を過ぎる事はなかった。
・・・訳がわからない。
私の脳内は、今の状況についていけていない。
私の記憶では、
大学受験に失敗した後、情けなさすぎた自分が嫌いになり過ぎて浪人したはずだ。
勿論、あの日ここには来ていない。
そして、その日を境に甘いモノが身体を受け付けなかった、はずだ。
だが、このパンケーキはここで食べた事がある。
そう確信を持てた。
*
「パンケーキのお味いかがでしたか?」
そうマダムに言われるまで気づかなかったが、私はパンケーキを全て食べ終わっていた。
"う、うそでしょ・・・"
甘いものが食べられる様になった嬉しさよりも、記憶が変わっていく自分の脳に戸惑いが隠せなかった。
すると、その様子を見ていたマダムが私に尋ねた。
「あら?お客様、過去から戻られたのですね。おかえりなさい」
過去から戻られた?
「今、なにが起こったか全く分かってないでしょう?」
はい、と言いたいが声が出ず、首だけ頷く。
「ではご説明致しますが、この様子だともう少し時間をおいた方が良いですね」
そう言いマダムは他の客の精算を済ませに行った。
戻ってきた彼女が言うにはこうだった。
一つ、
このカフェはパストトといって、<pastと>という意味の店名という事。
<過去と〇〇>の様な感じで、何かと結びつく事ができる場所らしい。
二つ、
過去を変えられる人、もしくは何も起こらない人のどちらかになるらしいが、
大抵の場合は何も起こらない。
三つ、
過去を変えられる人には条件がある事。
四つ、
その条件は、パストトに深い思い入れを持つ人であり、来店はお一人様に限る事。
五つ、
過去を変えてしまうのは、良いことばかりではない事。
六つ、
過去が変わった日から今までの記憶は全て、30分もしたら脳内で記憶が変更され、それまでの記憶は消える事。
「さて、お客様はいつからの記憶が変更されてるのかしら?」
マダムはソファに座る私と同じ目線になる様に屈み、大きな目で真っ直ぐに見つめてきた。
「あの、私、ここに来たことありますか?」
「ごめんなさいね、そこまで覚えて無いわ」
ですよね。と言った辺りで脳内がようやく整理されてきた。
「・・・あ、私、去年からの記憶が変わってます」
それはまるでカウンセリングかの様に始まった。
「私、今、大学1年生なんです。
第一志望校に受からなかったんですが、あの日ここに来て、母とパンケーキを食べに来ました」
話しながら、私は大学生になっていた。
「その時に母が、実はこっそり別の学校にも受験の手続きしていることを話してくれました。
強引に連れ出されたのは、お父さんには内緒で手続きを済ませているから、家ではできない話だった様で」
それで・・・、それから・・・、と次の話をしようと記憶を思い出させようとするが、どうしても思い出せない。
その様子を意図していたかの様にマダムは、
もういいわと言い、空いたお皿を片付け始めた。
「ここに来た時のあなたの記憶はもう無くなってきてるだろうから、
これ以上聞いても答えられないでしょう。
だから、この1年の間あなたが何をしてきたかだけ思い出しなさい」
全部思い出せたら帰ればいいわ、とだけ付け加えられ
「私は奥にいるから脳内整理出来たら声をかけて下さいね。無事に家まで帰れるおまじないをしますからね」と言われた。
*
ピコン
携帯がメッセージを知らせてくれた。
Instagramを通して、誰かが返信してきた様だ。
"大学の友達かな?"
大学進学の為に地元を離れた私が、今一番仲良いのは勿論大学の友達である。
もう私は大学の友達との出会いも、関係性でさえも、はっきりとしている。
「またそのカフェ行ったの?」
返信は、懐かしい高校の友達だった。
相変わらずの緩い関係性が心地よい。
そして私は、脳で考える必要も無く手が慣れたように動いた。
「今日で二回目だよ!すごくオシャレだから、是非来てみて!」
チョコレートに牛乳
ファ、ファンタジー笑