#1 八木ひろ子「海辺の世界の物語」
「ゆめみるけんり vol.1」(2017年2月発行)から、一部修正のうえ、転載します。
表紙デザイン:つぐみ
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一.ユーリー・ノルシュテインについて
ロシアのアニメーション作家。第二次世界大戦中の1941年に、疎開先のアンドレエフカ村で生まれ、コムナルカと呼ばれる市営共同住宅で幼少期を過ごす。戦後、元々は画家を志していたが、家具職人を経て、サユズムリトフィルム(連邦動画スタジオ)に入所する。画家志望であったため初めはアニメーションに心惹かれずにいたが、この時期に、エイゼンシュテイン6巻選集に出会い感銘を受け、アニメーションの道に進むことを決意する。ノルシュテインはスタジオで、イワノフ・ワノー監督や、チェブラーシカで有名なロマン・カチャーノフ監督などに師事した。またこの場所で、妻のヤールブソワと出会い、民話を元にした作品、動物を主人公とした作品など数々の名作を生み出す。そして1979年に自身の幼年時代からインスピレーションを受けた「話の話」が公開され、国内外で高く評価を受ける。現在は、1983年からずっとニコライ・ゴーゴリ原作の「外套」というアニメーションの制作を続けている。
二.ユーリー・ノルシュテイン『話の話』より —海辺の世界の物語—
ミハエル・グジメクは、アフリカのンゴロンゴロへ向かう小型飛行機の中で、不思議な夢を見た。彼は動物学者の父親、バーナード・グジメクの助手として働いている。今回彼は、火山噴火口付近における野生動物の生態を調査しようと試みていた。
南スーダン、ウガンダを抜け、ヴィクトリア湖にさしかかる頃、彼は幼い頃に父親から聞いた冒険譚を思い起こした。マラ川を渡るヌーたちと鰐の闘い。バオバブの木陰で休む、美しいバーチェルシマウマの群れ。螺旋状の角を持つ驚くべき動物、クーズーとの出会い。
ミハエルは目を輝かせて聞いていたが、父の話はしばしば尾ひれがつき、現実に即したものだけではないということもわかっていた。時には、「私は二足歩行のウシや、言葉を話すネコを見かけたこともある」と全くの作り話をして、父親は幼い息子の世界に対する好奇心と想像力をふくらませた。
セレンゲティ平原上空で、小型飛行機に突如黒い物体が近づいた。青白く大きな翼を持った何かが、真正面から飛行機の風防にぶつかったようであったが、はっきりと確認する間もなく、飛行機はコントロールを失った。クルクルと落下する機体とともに、ミハエルは大地に飲みこまれた。
一時意識を失ったミハエルは、暗闇の中で目を開けた。目の前に、光を放つドアがある。向こう側からかすかに、波の音が聞こえる。まっすぐに進み、彼はドアをくぐり抜けた。
ドアの向こう側の世界には独特の色彩があった。空も海も、色の褪せた羊皮紙に描かれたような色をしていた。海はすぐ目の前にあり、ゆらゆらと巨大な魚が揺れている。岸辺では、少女と二足歩行のウシが縄跳びをしていた。視線を横にずらすと、今度はネコと詩人が目に入った。ネコは木のテーブルの上に寝そべり、その横で椅子によりかかる詩人は、気だるそうな表情をしている。ミハエルは目の前の不可思議な景色に途方にくれ、縄跳びをする少女に話しかけた。
「ここは一体どこなんだ? 君たちはどうしてここで遊んでいるんだい?」
少女は答えた。
「ここは海辺の世界。私達はあなたがどうしてここへ来たのか知っているわ。」
横から、詩人がつぶやいた。
「市営共同住宅の中庭で……白いテーブルクロスが風に舞っている。住人たちは毎夜集ってささやかな宴を催していた。作家はこの幸福な場所で育ちながら、毎日、我々のことを考えていた。」
「もう少し詳しく聞かせてくれないか。」
ミハエルが頼んだ。詩人は答えた。
「我々は、ある人の記憶から生まれた存在だ。彼の名は、ユーリー・ノルシュテイン。彼はいわば創造主だ。そして、私たちは観客に見られることによって存在が確立する。」
縄跳びをする少女を呼ぶ声がした。洗濯をしていた彼女の母親らしき女性が、赤ん坊の面倒を見るようにと少女に命じていた。彼女は傍にある揺りかごを揺らしはじめたが、すぐに飽きてしまった。父親らしき裸足の男性が歩いてきた。漁から戻ってきて、背中には巨大な魚を背負っている。
「一緒に食事でもどうですか。」
彼女の父親に呼び止められ、ミハエルは食事の席に呼ばれた。その席で、詩人がまた口を開いた。
「私たちは記憶という詩の中に捕えられている。作家の幼年時代の記憶、それも実際にあったことではなく、当時彼が考えていたこと、想像していたものの記憶自体が我々なのだ。彼は、記憶そのもののように構成された詩を作り上げ、その中に自身の生の一部を閉じ込めた。」
詩人は続けた。
「君は事故で命を失った。けれどもそれは、ある一つの世界の出来事にすぎない。この世界に来る者たちは皆、作家の考えによってここに存在し始める。君がシマウマと写っていた写真が偶然に、ノルシュテインによって選ばれて、君は今ここにいるのだ。」
「私は命を失って、今はあの世にいるということなのか?」
「ここは、あの世とは少し異なる。初めはノルシュテインが作り出した物語があった。それが、至る所で人々の目に触れる形で物質化し、現に今ここに存在している。作家の想像力がこの世界を生み出しているが、それを持続させているのは、観客の想像力だ。」
「彼は一体何を想像していたのか?」
ミハエルが問うと、隣にまどろんでいたネコが答えた。
「あらゆることさ。不運な飛行機事故で命を落とした動物学者の息子について。ウシ、ネコ、少女、赤ん坊、灰色オオカミ…。それから、記憶そのものについて。戦争、祈り、痛み。ありふれている日常について。市営共同住宅。車。ナイトテーブル…本当にあらゆるものが、ノルシュテインの作り出した物語に、断片的に浮かんでいるんだ。」
ネコは続けた。
「彼が自身の幼年時代の記憶を物質化させたとき、この海辺の世界は生まれた。彼のシナリオでは、海辺の世界には、旅人が訪れることになっている。仕留められたシマウマと君が写った写真を彼は発見し、そのとき、君は旅人のモデルとなった…」
「それならば、私はノルシュテインという作家の物語の登場人物になったということか。」
詩人が頷いた。
「幼いころ、父親から聞いた話を覚えているね。君自身が個人的な記憶を持っているように、海辺の世界を俯瞰する観客もそれぞれが個人的な記憶を持っている。海辺の世界は、作家の記憶そのものが素材となり物質化したものだ。観客たちの記憶が共振すれば、この世のあらゆる想像力が呼び起こされる。つまりここは極めて原始的な世界でもあるのだよ。けれども、我々の世界がいつまでそうした形で存在するかはわからない。人々の想像の仕方は、日々変化しているからね。」
詩人は話し終えた。少女は母親に手を引かれ、向こうへ去っていく。父親はゆっくりと船を漕ぎ出し、海へと出て行く。跳び縄をまわしていたウシはまどろみ、ネコは巨大な魚を眺めている。
旅人と観客はゆっくりと立ち上がり、丘の向こうに広がる道へと歩き出した。
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[作者より]
大学生の頃、ユーリー・ノルシュテインに出会いました。今でも心の奥で時々思い出す、不思議なアニメーションです。
原作の映像→https://youtu.be/vTowzpTwv4s
[八木ひろ子:東京在住の元会社員。90年生。]