叱咤激励とケナスの違い/レッスンは安心安全の場
こんにちは、ウチダユメミ(@yumemi_uchida)です。
毎日、note更新してます。
おもに
音楽する人の身体と心の関係のこと、
自己肯定感のこと、
毒親サバイバーのこと、
生理痛対策のこと、
ぶどう農家のこと、、、などなどを
ミックスしたりして書き綴ってます。
今日は、
以前、開いた演奏時の身体の使い方のワークショップのお話。
* * * * *
以前、Twitterで、
と呟いたところ、
「いいね」がたくさん、つきました。
受け取る側が、
怒ったり
落ち込んでしまうような言葉は、
すでに叱咤激励ではないのです。
安心して、音を出せないですよね。
そういう言葉のやり取りは、
教える側と受け取る側の信頼関係によっては
受け取り方は変わってしまいます。
そこは、
関係性に観察と分析が必要だと思うのです。
レッスン受ける側の心境は、
ワナワナしたり、
泣いてしまいたくなったり。
平常心では居られないですね。
平常心ではない状態で、自分のしたい音楽をイメージできるでしょうか?
私も以前、学生の頃、
「レッスンが怖いなぁ」と思った経験もありますし、
その当時は、そういうピリッとした雰囲気こそ、
レッスンなんだと勘違いしてました。
(自分が習ったレッスンでもピリッとしてても
感情的ではない、
理論的なレッスンを受けてる時はそんなに恐れる事はなかったのです)
そして、そういう怖がらせるレッスンの方法しか
知らなかった私は
生徒を怖がらせたレッスンをしてた時期もありました。
(特に音大・音高受験生…懺悔!)
どういうレッスンだったかというと…
ずばり、【ダメ出し】ばかり。
「あれができてない」
「そんなんじゃ、聴こえない」
「なんで、できないの?」
などなど
(もう少し、柔らかい言い方だったけど、だいたいこんな感じ・・・)
否定形の言葉って、
脳みそ的にうまく受け取れないんですって。
否定した言葉の方にフォーカスされて、逆に失敗しちゃう、みたいな。
例えば、「こぼさないでね」→「こぼれることを想像しちゃう」
音楽のレッスンだとしたら
例えば、
「音を伸ばしすぎないないで」と言われれば、
のびのびに伸びきった音がイメージされちゃうって事でしょうか?
なんと悪循環!
否定的な言葉がおよぼす影響については、
また今度、詳しく書こうと思います。
今日のテーマはレッスンは安心安全の場でした。
過去には、ダメ出しばかりで恐怖のレッスンをしていた私ですが、
「ダメ出し」のレッスンって、一方通行なんですよね。
いろんなレッスン、
またはクラスを受けて行くにつれ、
自分がレッスンする側に立った時、
「生徒さんとレッスンを作っていきたい」と思うようになりました。
それからはレッスンするのは、前より何十倍も楽しいです。
生徒さんが何か望みをもってるなら、それに沿ってレッスンしたり、
何かできないことがあれば、
原因を一緒に探るべく、
まずお話を伺って、
質問していったり、
一緒に考えたり。
恐怖に怯えるような暇なんてないし
そんな時間作ってる暇もないでしょ?…笑
安心安全の場でないなら、
いろんな力は引き出せない
それでも、また別の要因で緊張してしまうなら、
その原因も探るべく質問してみたり。
最近はそんな感じでレッスンをしております。
安心して、音楽して。
レッスンで理解したこと、習得したことを
持ち帰ってもらえる、
それが理想のレッスンかな、と思います。
アマチュアさんであれ、
音大受験生であれ。
レッスンじゃない場所でも
再現できるものを持ち帰っていただく。
これに努めてます。
それと、
自分が学生時代に受けてきたレッスンが超恐怖の時間で
そういう洗礼を次世代も受けるべきだとか、
レッスン方法が自分が受けてきたレッスンの方法のまま、
アップデートされてないのは、
単に思考停止状態かもしれないです。
無駄な苦労は別にしなくていいのかな、と。
大事にしてるものは、
きちんと大事に守るべきだけど。
その人なりのプライドだとか、
常識とか、ルールとか。
考え方をアップデートしてみたら、
もしかしたら必要の無いもの、
逆にもっと必要なものがあるかもしれないですね。
お問い合わせ、ご質問は
yumemi.hautbois@gmail.com まで。