日本文化の魅力とは何だったのか
東京オリンピックの開会式と閉会式で、儚く散り去った日本文化。
画面の向こうで世界が欠伸をする音が聞こえた。
悔しい、を越えて悲しくなってしまった。
何故日本人は自分たちの魅力に鈍感なのだろう?
いつだって世界で評価されてから初めてハッとする。
そもそも日本人は日本文化に自信がない。
それゆえ欧米文化の安上がりなコピーをして、しかもそこでのみクオリティーを高めようと変な努力をしてしまう。
音楽の教科書にはまずはクラシック、美術の教科書にはまずは西洋美術。
スポーツで例えるならば、柔道を後回しにしてバスケやバレーにだけ全力を注ぐようなものだ。いや、それも悪くはないのだけれど。
ただ当然世界を驚かす日本文化はそんなところにはなくて、いつも日本人的には「え!?そんなものが!?」と思うものにスポットライトが当たる。
アニメや漫画を筆頭に、初音ミクやらビジュアル系やら原宿ファッションやら。日本人が勝手に「勉強不足」「浅はか」だと自嘲しているものばかりだ。
それでも少しずつアニメや漫画がマスメディアで取り上げられるようになってきて、ようやく日本人が自分たちの本来の魅力を自覚し始めてきたタイミングだった。
東京オリンピックの開閉会式は、「これが日本なんだよ!自信持っていこうぜ!」と、これまでいまいち虐げられてきたクリエイターの努力やファンの気持ちを温かく包みあげ、これからの日本文化の未来を優しく鼓舞するような、そんな場になるものだと勝手に期待をしていた。
だから。
これまで日本文化を虐げてきた側である政治、企業、不祥事、仲違い、忖度。
一番見たくないものをひたすら陳列させられて、本当に、本当に落ち込んだ。
ふーん、任天堂さんは仲違いしたんだなぁ。
ふーん、辞任した人たちの面影がところどころ残ってるなぁ。
ふーん、この辺は3日間くらいで仕上げたのかなぁ。
ふーん、電通とソニーミュージックって仲良かったんだなぁ。
深追いする気がなくても、ただ眺めているだけで伝わってきてしまう薄汚い人間関係。
年末の特番レベルの安上がりなコンセプト。
海外が見つけてくれた日本文化の魅力を今改めてみんなで共有して、愛と感謝で世界が1つになるべき場で、何故国内でだけちょっと人気な人たちを起用するのかも正直分からなかった。
もちろんところどころに「そうそう!それそれ!」と思うシーンもあった。
ゲーム音楽や上原ひろみ、宝塚に和太鼓。個人的には冨田勲なんかもアツかったり。
ただこういった魅力的な点たちが、線で繋がることもなくぶつ切りにされていた。台無しだ。
また日本人は日本文化に自信を持つ機会を失ってしまった。
また自分たちの浅はかさをちょっと自嘲しながら生きていくしかないのだろうか。
久々に、5年前の閉会式のパフォーマンスを見返す。
私は口うるさい人だから、当時これはこれで「何だかなぁ」と言っていたような気もするけれど、今見返すと郷愁で心がキュッとなる。
日の丸、スクランブル交差点、アニメ、テクノロジー、ビル、富士山、ごった返しのクレイジーな魅力がきちんと線で繋がって、1つ1つが堂々として見える。
多様化の進む現代に、日本人が、日本文化が、などと騒ぐのももう時代錯誤なのかもしれない。
そんなに必死にならなくても、今じゃネット回線1つありゃ気軽に日本文化の魅力は逆輸入できるのかもしれない。
でもやっぱり、自分たちに自信を持つための最大の機会を水に流してしまったことは確かだ。
不祥事だらけの開閉会式がようやく幕を閉じて、どこかホッとしているのは私だけではないだろう。
振り出しに戻ってしまった感は否めないけれど、0からのスタートだと思って頑張るしかない。
いつか近い将来、日本人が日本文化に胸を張れるときが来ますように。
若いクリエイターたちがもっと伸び伸びと活躍できるときが来ますように。
新しい発想を互いに認め合い、高め合えるような時代を、心から待ち望んでいる。