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ポケモンでイギリスの名門国立大学に合格するまで!(前編)


note「# ポケモンへの愛を語る」

noteでポケモンを検索していたら「#ポケモンへの愛を語る」が出てきました。一瞬目を疑ったほどビックリでした!

あまりにもタイミングが良くて、これは、やはり書くべき時がやって来たんだと再確認しました。

今日から書き始めます。

今から5年前、私の娘がイギリスの国立大学の受験した時の話です。

イギリスの大学受験には学部関係なく小論文を必ず提出することになっているのですが、なんと娘は大学受験の論文にポケモンの事を学術的に書いたのです。

大学へ送る前に論文を読んでほしいと娘から言うわれて読ませてもらいました。

事前に何をテーマに論文を書く事にしたのか?気にはなっていたのですが、、、

幼稚園、小学校、中学校、カレッジとずーとポケモン大好きできた娘でしたが、まさか大学受験の小論文にまでポケモンの事を書くとは!

全く何も聞いていかった私は娘の論文を読んでいる途中から胸がいっぱいになり涙がボロボロこぼれ落ち、親バカかもしれませんが娘のポケモンへの愛が溢れた論文に私は凄く感動させられてしまいました。

娘の論文を読んでポケモンって想像していた以上に奥が深くて、世界中にポケモンが大ブレイクした事も理解出来たのと、娘にとってポケモンがどれだけ大きな存在であるかを改めて知ることが出来たのです。

娘は英国立芸術大学のトップ2大学のハートフォードシャー大学とボーンマス大学が第一希望、第二希望でした。

両大学とも合格し、昨年ハートフォードシャー大学の映像メディア学科の2Dアニメーション、キャラクターデザインの学士を取得し大学を卒業しました。

娘は大学卒業後、現在フリーランスのキャラクターデザイナー、2Dアニメーター、Live2Dリガーとして活躍中です。

いつか機会があれば素晴らしいポケモンをこの世に生み出してくださったデザイナーの方々やポケモンを制作してくださった会社に感謝の気持ちをお伝えしたいと、娘の論文を読んで以来ずーと思っていました。

それから私はnoteに4月に参加したばかりのnote初心者ですが、昨日までは、まさかnoteで#ポケモンへの愛を語るのテーマで投稿して感謝とお礼の気持ちを伝えれる事が出来るなんて夢にも思っていませんでした。

noteって本当に素晴らしい!

noteを始めて本当によかったと改めて実感中です。

イギリスで娘を出産して幼稚園、小学校、中学校、高校、カレッジ、昨年娘が大学卒業するまでの私がイギリスで経験してきた個性を育てるイギリスの教育、支援制度などをまとめ私のイギリス子育卒業論文として書く準備をしていたところでした。

#ポケモンへの愛を語る に記事を応募して、私のイギリス子育て卒業論文の前書きのような感じで「ポケモンでイギリスの名門国立大学に合格!」でスタートします。


1999年イギリスにポケモン上陸!

私の娘(仮名)ヒカルは1999年にロンドンで生まれ5歳からオックスフォードで育ったイギリスで暮らす日本人です。

ヒカルが赤ちゃんの頃イギリスではBBCの子供向け番組テレタビーズが大人気でした。

ヒカルはテレタビーズの黄色のキャラクター、ラーラが大好きで1歳半ぐらいまではいつもラーラの人形を抱っこして、寝る時もラーラの人形がないと寝つけない子だったのですが、、、

ある日突然、同じ黄色のキャラクターでも日本のポケモンのメインキャラクターであるピカチュウが娘の目に止まりました。初めてテレビの画面に映ったピカチュウ見て立ち上がって指差し大興奮。

ポケモンはイギリスではヒカルが生まれた同年の1999年3月29日にテレビで放送開始されるようになりました。

ピカチュウに一目惚れして心を奪われたヒカルは、その日以来ラーラの人形を手放しテレタビーズを卒業。

今思えば、それがヒカルのポケモンの世界を旅する入り口であり人生を大きく導いてくれたピカチュウとの運命的な最初の出会いだったのです。


イギリスでバイリンガル教育に日本語でポケモン!

イギリスのテレビで放送されているポケモンは日本語から英語に吹き替えられているので、文化の違いもあって翻訳が出来ていな部分やイギリス人には理解しにくい部分もあったり、日本人の私にとって英語の吹き替えでポケモンを見ることに違和感がありました。

日本の私の両親に頼んでヒカルのためにポケモンをビデオに録画してもらって毎月大阪の実家からイギリスにビデオを送ってもらうことにしたのです。

あの頃はまだインターネットが普及していなかったですし、もちろんYouTubeなんてなかった時代です。

私の両親は遠く離れたイギリスにいる孫のために毎日NHKの子供番組やポケモン以外のアニメも録画してビデオを作り、ビデオ2本と一緒に日本のお菓子やポケモンカード、ポケモンの本やグッズなどを毎月イギリスに送ってくれていました。

今でもたまにポケモンの日本限定モノや吉野家のキャンペーンの時は日本の両親に頼んで牛丼を何度も食べに行ってもらったり、両親にはいつも感謝しています。

こうして私の両親のおかげでヒカルにイギリスでの日本語のオリジナルのポケモンを見せる事が出来、ポケモンで日本語に慣れる環境が出来上がっていきました。

やっぱり語学は好きなことや興味のある事やジャンルで学ぶのが一番です。

娘のバイリガル教育にポケモン!

ポケモンはオリジナルの日本語で見せる!

その結果どうなったのか?

最初は日本語の言葉はピカチュウが話すピカピカーとかのピカチュウ語ばかりになってしまって、日本語を覚えるというよりもポケモンの絵を真似て毎日描くようになりました。

(前編)はここまでです。

続きは(後編の予告)ヒカルの通っていた小学校ではポケモンカードを学校に持ってきてはいけないとポケモンカードが禁止されしまいました。しかしヒカルは先生を説得してしまい、なんと小学校の理科の授業にポケモンカードを導入させることに成功。ヒカルがどのように先生を説得したのか?を後編でお話します。

ここまでお読みくださった皆様、どうもありがとうございます。この記事を気に入ってくださったらスキしてくださいね。♡ 励みになります。

(上の写真はヒカルの持っているポケモンコレクションの一部です。)

では、良い週末をお過ごしください。

宮下ゆめ子




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