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女の生き方 今と昔

度々ニュース報道で小さな我が子を置き去りにし 最悪な結末の報道が度々ありその度に胸が張り裂けそうになります。 
3歳・4歳の子供が部屋の中に何日も大人の居ない状態で居るなんて想像するだけでぞっとし報道を直視できません。 自分の気持ちを優先にしてしまう母親の心理をほとんどの女性には理解できません。勿論男性でも同じだと思います。

一人で子を育てるのは想像以上に精神的にも金銭的にも困難な事であるのは解るのですが 命を奪い取ってしまっては どんな理由があろうともあってはならないと思います 
シングルマザーなる呼び名で昔とは違い偏見の見方がなくなってきて片親などという偏見も今ではほとんどなくなり良い方向と思いますが
子供を持ったけど責任は持たない親や子を犠牲にしてしまう親が多くなってきている様な気がします


私の知る ある女性の運命と生き方

明治の後期に生まれ大正時代を生き 昭和の初めに結婚し3人の子をもうけその後の昭和の長い時代を生き抜いた一人の女性がいました 
それは私の祖母です

正直あまり子供の頃から親しみの気持ちの記憶はありませんが 
今の時代の様に孫はとても可愛くて なんでも買ってあげたいなどという雰囲気でなどは無く 祖母と孫ただその事実があるだけ そんな感じの記憶しかありませんが
それでも特に嫌に思う事もありませんでしたが 壮絶な生活を送ってきた過去が有るとは知りませんでした 
自分が大人になりその生きてきた運命を知るようになって祖母に対する見方や 昔の女性の立場 生き方など現代との違いを考える様になりました
そしてもっと知りたいと思うようになりました

明治・大正・昭和を生きた一人の女性
祖母は父の母親で 長男・長女・そして次男(父)の三人の子をもうけました当時で3人の子供は少ない方で 8人 10人の兄弟は珍しくはありませんでした 祖母の夫は林業のような仕事に就いていたらしく その地域も地方の片田舎で 皆貧しい暮らしをしているのが普通でした
祖母もまだ若い20代後半に突然夫を事故で無くしています 木の上から転落し助からなかったようです
父が祖母のお腹にいる時に突然に未亡人になってしまいました
なので父は自分の父親の顔を知らずに育ちました
そんな貧しい農村の片田舎で女一人で3人の子を育てるなど並大抵な事ではありませんでした 長女(父の姉)はこのままでは育てられないとみた親戚が養女として引き取り 次男の父は その当時まだ一人で暮らしていた祖母の実の母親(父にとっての祖母)の元で暮らすようになりました 夫を亡くした祖母は農家の手伝いをして日銭を稼ぎその日その日を暮らしていたと聞いています その後小学校に入学する為に母親のいる家に戻るのですが やはりその日その日の暮らしで母親はせいいぱいだったのではないかと思います
息子達が小学校卒業後勤めに出るようになった後も 再婚する事も無く人生を全うしました
このように戦争などで夫を亡くしたり医療が受けられなかったりと不運にも未亡人なってしまう女性は多くいたと思います。   
戦争があり壮絶な人生だったと想像もできますが 祖母からはその様な話や愚痴や恨み言など一度も聞いた事などなく 周りの人間にもベタベタする印象もありませんでした

この時代でも一人で子供を育てていくのは並大抵な事ではないと思いますがこの頃よりは女性が働く場所や 働く上での権利 生活する上での福祉などもありけして充実しているとは言えないにしても 何かしら頼るものも場所もあります    
命を助けられる行動だけでも 母親としてまっとうしてもらいたいと切に思いました。

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