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狐火


それは遠い昔の話。
遥か北の国の村に飢饉が襲いました。
村の畑は干からび、水も底をつき始めました。
村にはもう食料がほとんど残っていません。
このままでは飢え死にしてしまいます。村の若い男たちは食料を調達するため、山狩りに行きました。
 
秋だと言うのに木の実一つない山。
男たちは動物の小さな足跡を見つけました。
 
「随分と小さな足跡だな。この分だと大した獲物ではなさそうだが・・」

「背に腹は代えられない」
 
男たちは、その小さな足跡を辿って行きました。
足跡は洞窟の入り口で消えていました。
 
「この中だな。気をつけろ!行くぞ!」
 
洞窟はかなり奥まで続いていました。
男たちは用心しながら、鉄砲や槍を構えて進みました。
暫く行くと、洞窟は二手に分かれており、一つは行き止まりでもう一つは更に横に繋がっているようでした。
男たちが横穴に進もうとした時、行き止まりの穴の方から「コォ~ン」と小さく鳴く声がしました。
 
「今のは狐か?」

「そうみたいだな」
 
声がした方向へ足を向けると、そこには4つの目が光っていました。男たちがそれに向けて鉄砲を撃つと、闇の中でドサッと倒れる音がしました。
男たちは二匹の獲物を仕留めたようです。
 
「やはり狐か・・この辺りには狐が住み着いているようだな」
 
「こんなに瘦せた狐二匹では、村人たちの腹の足しもならないな」

横穴のすぐ傍には、生まれたばかりの子狐と母狐がいました。直ぐに危険を察知した母狐は、二人が話している隙に子狐を連れて逃げました。

 「よし、この辺りをくまなく調べてみよう」
 
それから暫くの間、山の中には銃声が幾度も響き渡りました。
 


その夜、小夜は格子窓から、暗い山に灯る幾つもの狐火を見ていました。
 
「死んだ狐たちの魂が山に帰って行く・・・」
 
小夜の頬を涙がつたい、狐火が滲んで見えました。
小夜は夫を亡くし、更に数日前には赤ん坊を亡くしたばかりだったのです。
小さくこの世に生まれてきた赤ん坊は栄養が行き届かず、お七夜を迎える前に逝ってしまいました。
そして狐たちが殺されている今、小夜は痛哭しているのでした。

小夜は小さな時から狐たちと友だちでした。
狐たちとは秋から春先まで、毎日のように遊びました。野を駆け回って野ウサギを追いかけたり、木の実を集めてままごとをしたり、木陰で狐の背中を枕に居眠りもしました。小夜と仲良しだった狐は、今では母となり子狐を連れて時々小夜に会いに来ていました。
小夜はわずかな豆と干し芋とで、なんとか今日まで食いつないで来ましたが、それも今夜でなくなってしまいました。
しかし、近所の男たちが捕らえてきた狐の肉を、小夜はどうしても食べることが出来ませんでした。
 
その明け方、村には初雪が降りました。
 物音で目を覚ました小夜は、狐たちが来てくれたのかもしれないと思い、急いで戸口へと駆け寄りました。
軋む引き戸を開けると、そこには見覚えのある布にくるまれた赤ん坊がスヤスヤと眠っており、その傍らには野ウサギが添えられていました。
そして、うっすらと積った雪の上には、狐の足跡が残されていたのでした。

「紅・・・・・」

小夜は赤ん坊を抱き上げ、残された足跡を雪が消していくのを見つめていました。
 
『小夜、こゆきを頼みます・・』

紅は離れたところから小夜に抱かれた我が子へ別れを告げ、痛めた足を庇いながら山の中へと消えて行きました。
 


洞窟に人間たちがやって来たあの日、紅は夫と息子が撃たれるのを目撃しました。そして危険を感じた紅は、まだ生まれて間もないこゆきを連れて逃げました。暫く身を隠してから洞窟に戻ってみると、夫と息子の姿はなく、血の痕だけが残されていました。
 
『ああああああああ!・・・アオ・・ハル・・・』
 
紅は人間に見つからないように声を落として泣いたのでした。
その後も銃声が轟く山の中で、紅はこゆきの身の安全だけを考えていました。
 
― 小夜・・
そうだ!小夜にこの子を託そう
人間でいればきっと大丈夫・・・急がなければ!―
 
紅は人間に見つからないよう警戒しながら村に向いました。その途中、何度か銃弾が飛んで来て、その内の一発が紅の足の付け根をかすめました。

初雪がちらつく明け方、やっと小夜の家の前に着きました。
紅は人間の姿をしたこゆきを小夜から貰った着物の切れ端で包み、先ほど奇跡的に仕留めた野ウサギと一緒に家の前に置いて去りました。
 
― 今日も人間たちが狐狩りに来た
いったい何匹の仲間たちが殺されたのだろう ―
 
その後も、紅は身を隠しながら逃げていましたが、足の痛みが増し、人間に見つかるのは時間の問題だと感じていました。
 
― どうせ死ぬのならばあの洞窟で死にたい ―

そう思った紅は草むらから立ち上がりました。
 
 「パァーーン!!」
 
 その時、銃弾が紅の腹に食い込みました。

 
 
三年後
こゆきは美しい女性に成長しました。
村は豊かとまではいきませんが、澄んだ小川の水が流れ、田畑の作物もすくすくと育っています。山には木の実が生り、川の中には魚が泳ぎ、近傍からやって来た狐や動物たちが住み着いていました。
小夜は山道をゆっくりと歩きながら、横に並ぶこゆきを見つめました。
 
「こゆき、あなたはもう大人よ。いつまでも人間の姿ではいられないと
私は思うの」
 
「でも・・」
 
「この村も変わったわ。もう誰も襲ったりはしない。こゆきもそろそろ家族を作って幸せにならなくちゃ」
 
「はい。でも、もう少しだけ小夜さんの傍にいさせて下さい」
 
「こゆき、寂しいのは私も同じよ」
 
小夜は翌日から、こゆきが他の狐たちと早く打ち解けられるようにと、ひとりで山に行かせるようにしました。
そんなある日のこと、こゆきがいつものように山を駆けまわっていると、木々に覆われた洞窟に辿り着きました。
その洞窟の中は薄暗く、夏だというのにヒンヤリとした空気に包まれていました。何もないただの洞窟なのにどこか懐かしい気がして探索していると、背後から声がしました。振り向いた先には、一匹の大きな狐がこゆきを見つめて言いました。
 
『かあさん?・・・』
 
こゆきが驚いて後ずさりすると、その狐はさらに『アオだよ』と言いました。
 
『・・・兄さん?』
 
アオがこゆきを母親と見間違えたのは、こゆきが母親の紅に瓜二つだったからでした。
こゆきは小夜から家族のことを聞いていたので、それが兄の名前だと直ぐにわかりました。しかし、死んだとばかり思っていた兄が目の前に現れた事にこゆきは戸惑い驚いていました。

『お前は・・・もしかして、あの時赤ん坊だった、こゆきなのか?』

『ええそうよ。兄さん、生きていたのね!』

目の前にいるのが母でなく妹のこゆきであることが分かったアオは、再会をとても喜びました。
ニ匹はお互いのこれまでのことを語り合い、そしてあの時、生き延びた狐たちがいた事をアオから聞かされたのでした。
 
その日、家に戻ったこゆきは兄が生きていた事を小夜に伝えました。
 
「アオが生きていたの?
ああ、良かった!ほんとに良かった!」
 
小夜は心から喜びました。
しかし、こゆきはこの時、小夜の喜ぶ顔を見ながら胸騒ぎがしていたのでした。
 

アオは住み慣れた洞穴で毎夜、狐たちと集会を開いていました。
人間たちに襲われ、家族を失った者。
傷を負いながらも難を逃れた者。
他の土地へ逃げて舞い戻った者たちでした。
三年前、この山に百匹近くもいた狐たちは人間に殺され、生き残ったのはアオを入れて九匹だけでした。
 
― 人間が憎い
ここにいる皆がそう思っている
だから復讐する
死んだ仲間のためにも ―
 
洞窟の中で、アオたちの尻尾の先には青い炎が揺らめいていました。
それは怨念がつくりあげた魂の炎であり、妖狐と化した印でもありました。



あの忌まわしいことが起こる前までのアオは、妹思いのとても優しい兄でした。赤ん坊のこゆきの傍でいつも笑っていたアオの面影は、もうどこにもありません。アオとこゆきは時々会ってはいましたが、アオは小夜には会おうとしませんでした。

『兄さん、小夜が会いたがっていたわ!どうして会いに行ってあげないの?』
 
『こゆき、俺は人間が憎い。小夜もあいつらと同じ人間だから許せないんだ』
 
『小夜は違うわ!』
 
『違わないさ!小夜だって、俺たちの肉を食ったんだから!』
 
『いいえ!小夜は絶対に食べなかったわ!小夜は私たちの味方なの!』
 
『こゆき・・・かりにそうだとしても、俺は小夜が人間だというだけで許せないんだ』

『兄さん!』

『 今夜、村を襲撃する。小夜さんに村から出るようにと伝えてくれ』

『そんな・・・駄目よ兄さん!村を襲撃するなんてやめて!そんなことをしても皆が不幸になるだけよ!』
 
『こゆき、やめてくれ!俺だけじゃない!生き残った者は皆苦しんでいるんだ!お前は小夜と一緒にこの村を出ろ!わかったな!』
 
こゆきが何を言ってもアオは聞き入れませんでした。
 
こゆきからその話を聞いた小夜は、襲撃は何としてでも阻止しなければと、アオの所へ急ぎました。
 
歩く内に日が暮れ、山は闇に包まれました。
その闇の中に近づいて来る九つの灯りがありました。
アオを先頭に、狐火を灯した狐たちが山から降りて来たのです。
 
「アオ・・」
 
アオたちは小夜の前で立ち止まりました。
 
「アオ、あなた達の気持ちは痛いほどわかるつもりよ。
人間があなた達にしたことは許されることではないわ。
だけど、同じ過ちを犯してはいけない!
アオ、今あなたがしようとしている事は、あの時の人間と変わらないのよ。
そんな事をあなたは望んでいない筈よ」
 
その時、アオの後ろにいた仲間が小夜に飛びかかって襲いました。
 
『アオ、心配するな!気絶しただけだ!さあ、村へ急ごう!』
 

村に着いた狐たちは、尻尾を振りかざしながら村の家々に火をつけていきました。
 
「火事だぁー!」「火事だぁー!」
 
火事騒ぎで外へ飛び出して来た村人たちは、待ち構えていた狐たちに襲われ、次々と倒れていきました。その騒ぎを聞きつけた村の若者たちは、槍や鉄砲を持ち出して狐たちに応戦しました。槍と銃弾によって数匹の狐が血を流し、数人の人間が傷を負い、村は戦場となりました。

その頃、山道で気を失っていた小夜は、赤く燃える村を見て駆け出しました。
 

「誰か助けて!ああああ・・・誰か、誰かあの子を助けて!」
 
女の叫ぶ声が村中に響き渡りました。
赤々と燃え、今にも崩れ落ちそうな家の中に、その女の赤ん坊が取り残されていたのです。
無理だもう助からないと誰もがそう思いました。

「お願いです!誰か助けて下さい!誰か―――」

赤ん坊の母親がそう言った時、傍にいたアオが突然走り出し、火の中に飛び込んで行きました。村人と狐たちは固唾をのみ、案ずるように燃え盛る炎を見つめながらアオを待ちました。暫くすると、炎の中からぼんやりと影らしきものが見え、それはやがて赤ん坊をくわえたアオの姿となりこちらに近づいて来ました。その直後には「ドォーン‼」という爆音と共に家が崩れ落ち、アオも倒れました。こゆきと小夜が駆け寄ると、酷い火傷を負って瀕死の状態のアオの傍らで赤ん坊が泣いていました。赤ん坊の母親は我が子を抱き上げ、アオに向かって何度も「ありがとう」と言いながら泣いていました。
 
「アオ、アオ、しっかりして!」

『兄さん!兄さん!』
 
その時でした。
赤い炎がすぅーと近づいてきたかと思うと、アオの前に紅の姿が現れたのです。紅は優しい眼差しで小夜とこゆきを見つめ、横たわるアオを抱き寄せました。
 
「紅・・」
 
小夜が言いかけた時、
紅とアオは、赤と青の狐火となって山の方角へと消えていったのでした。
 
 

その後、焼けてしまった村は再建し、山には狐の石像が祀られました。
石像は青い眼と赤い眼をした狐を先頭に、合わせて九十九匹の狐たちです。
村人の、もう同じ過ちは繰り返さないという思いから、毎年9月9日には石像に九十九本の狐火を焚き、祈りを捧げるという行事が行われるようになりました。
こゆきは生き残った狐と所帯を持ち、子宝に恵まれ幸せになりました。
小夜は再婚して男の子を産み、その子に『アオ』と名付けました。そして時々遊びに来る狐たちを見守りながら幸せに暮らしました。


 
あなたが北の国に旅をして、この村に出向くようなことがあったなら
この九十九匹の狐たちに会えるかもしれません。       
 

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