現代に響く反戦川柳作家・鶴彬の反骨精神~劇団coffeeジョキャニーニャ「T.AKIRA」


冒頭、獄中で赤痢にかかった反戦川柳作家・鶴彬(岡崎裕亮)が、官憲(中里和寛)によって白い縄で縛られた姿で豊多摩病院へと連行される。病み衰えてベッドに横たわった鶴彬の目には、それまでの人生が走馬灯のように通り過ぎていく。現在の石川県かほく市で産声を上げた鶴彬(つる・あきら、1909〜38)は、大阪の町工場で働いた後、上京して川柳作家の井上剣花坊(新保正)らに師事し、プロレタリア川柳を生み出していく。入隊した金沢の第9師団歩兵第7連隊では雑誌「無産青年」を持ち込み、赤化事件の主犯として逮捕されて懲役2年の判決を受け…。だが、こうした伝記的事実だけでは、彼の人柄までは伝わりにくい。9月21〜24日に金沢市民芸術術村PIT2ドラマ工房で上演された劇団coffeeジョキャニーニャ「T.AKIRA」(作:新津孝太、主催:鶴彬演劇公演実行委員会、共催:鶴彬を顕彰する会)が採用した戦術は、もしも鶴彬が現代日本の企業で働きながら川柳を作っていたら、というものだった。

舞台はいきなり現代に切り替わる。大手企業・山下機械に勤める会社員・鶴田彬(岡崎裕亮2役)は社内の川柳大会に出場することになり、仕方なく腕を磨くために近所のファンキー川柳会に参加するが、甲斐(仁野芙海)や山形(中里和寛2役)、井上(新保正2役)といった個性豊かなメンバーに囲まれて川柳の面白さに目覚めていく。その頃、山下機械は取引先の下請工場・島製作所に対して生産能力の2倍近い機械を来月までに作れと難題をふっかけ、島社長(関家史郎)の個人的な弱みを握って首を縦に振らせてしまう。しかし、無理を重ねた工場では、従業員が指を切断する事故を起こす。そんな島製作所に対し、鶴田の上司である竹山課長(春海圭佑)や同僚の手塚(間宮一輝)はすべて島側が勝手にやったことと切り捨て、労災事故もなかったことにしようと目論む。言うことを聞かない鶴田を監禁して椅子に縛り付ける。やがて事務員の敷島(中山優子)によって助けられた鶴田は、そのまま逃げるどころか、川柳大会に堂々と姿を現し、

「二本きりしかない指先の請求書」

と労災隠しの真実を暴露する川柳を読み上げる。それは実際に鶴彬本人が1930年代にものした作品だ。こうして現代のサラリーマンと重ね合わせることにより、鶴彬の人柄が生き生きと蘇ってくる。やはりこの鶴彬という人、真っ正直な性格で、こんな切れ味の鋭い川柳を発表したら危ないとわかっていながらも、自分では止められなかったらしい。

鶴田の川柳によって大会は大混乱に陥るが、山下グループの井上会長によって事態は収拾される。井上会長はファンキー川柳会のメンバーだったというどんでん返しにより、鶴田の内部告発は受け入れられ、乱れた企業倫理は辛うじて糺されたかに見える。実は工場で指を切断した従業員も、同じ川柳会の甲斐だった。川柳会のメンバー四人のうち三人が同一企業の関係者であることをお互いに知らなかったという設定は少々無理がある。しかし、問題はそこではない。井上会長の登場はまるで印籠を高々と掲げた水戸黄門だった。現実離れしたおとぎ話のような気がした。逆に言えば、川柳好きな井上会長がいなかったら、この不祥事はおそらく闇に葬られていたに違いない。そして、多くの日本企業には川柳好きの井上会長がいるわけがない。

そんな観客の不満を読み切ったかのように、続いてジョキャ必殺の「二段階どんでん返し」が繰り出される。鶴田彬による現代の物語は、すべて死の床に就いていた鶴彬が見た夢だったというのだ。なるほどそれならわかる。ずっと川柳で戦ってきた自分が命がけで追い求めた理想がいつの日にか実現してほしいと鶴彬が夢見ても不思議はない。そして、夢から覚めた鶴彬が、白い枕の上で静かに噛みしめた無念さにこそ真実がある。彼が生きた時代は現代の労災事故とは比べものにならないほど理不尽だったという事実が浮かび上がってくる。

ウィキペディアなどで検索すると、当時の鶴彬は「川柳界の小林多喜二」と呼ばれるほど人気を博したという。今まであまり彼の作品に触れる機会はなかったが、この公演を通じて知った「万歳とあげて行った手を大陸において来た」「手と足をもいだ丸太にしてかへし」などの反戦川柳をはじめ、「暴風と海との恋を見ましたか」「夕方の電車弁当殻のシンフォニー」など身近な情景を鋭い感性で切り取った川柳もストレートに心に響いてきた。

今回の作品は、郷土の隠れた偉人を発掘しながら、アジア・太平洋戦争前夜とどこか通底している現代日本のうすら寒い空気感をあぶり出し、さらにしっかりと笑いも取るという離れ業を披露し、地域演劇の一つの理想形を示していた。オリジナル・コメディを中心に金沢で活動している劇団coffeeジョキャニーニャが、これほどシリアスな社会派の題材に取り組んだことについて、実はそれほど驚きはなかった。私が2年前に見た「青空ハサミ」という作品でも、ヒーロー物のパロディーという形を取りながら、若者たちが置かれた過酷な労働環境についてかなり辛辣に批判していたからだ(【平和とかすでにもうない、若者たちの戦闘員な生活。~coffeeジョキャニーニャ 「青空ハサミ」レビュー】参照)。そんなジョキャニーニャと軽みが命の川柳にアナーキーな批評を盛り込んだ鶴彬。取り合わせの妙に唸らされた。両者の運命的な出会いをサポートした企画の吉田莉芭こそが最大の功労者である。

細かいことだが、病院で鶴彬が草履を履いたままいきなりシーツにくるまったシーン。ここはやはり昔の人らしく、きちんと手前に草履を揃えてからベッドに入る律儀さを見せて欲しかった。


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