コメントにお答えします。
こんにちは、ファーティマ松本です。
今回は、メルマガ経由の読者の方々から、いくつかコメントをいただきましたので、
それに対する私の考えを、皆様方とシェアーさせていただきたいと思います。
まず、第一番目のコメント。
私が書いた記事をご家族、友人等に送りたいけど構いませんか、ということでした。
有難いですよね。
私が、書いたこの拙い記事を、ご両親、ご兄弟、ご友人に送って読んでもらいたいだなんて
はっきり言って
「うっそー!」
といった感じ(語彙力少な目)で、とても嬉しかったです。
多分、著作権などを気にされて、私に確認のメールをくださったのではないかと思います。
いやー!
著作権なんてありませんので、
好きな所に、好きな様にドンドン送ってくださって大丈夫です、ご安心ください。
または、
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もし、メールアドレスが分かる相手でありましたら、登録しちゃてみてください。
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続いて、コメント第2番目。
こちらは、以前はクリスチャンだったという女性からのコメントです。
現在は、イスラム教徒でいらっしゃいます。
前回のメルマガの中で、
罪を犯さない天使達のお祈りは叶いやすい。
また、私達がついつい犯してしまう罪のせいで、願いが叶い憎くなる、
という点についてのコメントでした。
彼女によりますと、
「神様は罪人に寄り添い、罪人の祈りこそ聞かれる。」と思っていらっしゃったとのこと。
なぜなら、
罪のない人間なんて一人もいないのだから、ということでした。
聖書にこう書かれてあるそうです。
イエスは、姦淫の罪を犯した女の人を石を持って追い詰める人達に、
「あなた方の中で、罪のない者だけがこの女に石を投げなさい。」
とおっしゃいました。
しかし結局、誰も石を投げられなかった。
ありがとうございます、
読者の方からのメッセージほど嬉しいものはありません。
これからも、ドシドシいろんなメッセージを送ってください。
それでは、ここから私の見解を書いていきます。
もし、
「お前、それ間違ってるぞー!何考えてるんだ、おらー!」
という貴重なご意見、ご指摘等ありましたら、このメルマガに返信してくださいませませ。
まずは、「罪のない人間なんて一人もいない」という点から行きましょう。
これは、預言者ムハンマドさん(平安あれ)も同じことをおっしゃっていますね。
「アダムの全ての子供は、罪人である。
そして、その罪人の中で最も良い者は、悔い改める者である。」
アダムの子供というのは、もちろん私達の事です。
そして、その子供達(私達)全員が、罪人なんだそうです。
そりゃ、そうです。
自分の事を見てれば、そんな事言われなくったって分かります。
いやー、ダメだ、ダメだと言いながら、ダメな事をやってしまったり、
やめよう、やめようと思いながら、やってしまったり、、、、しちゃいますもんね
しかし、これはもう至極当然な事なのです。
なぜなら、神様は人間をそのようにお創りになったのですから。
神様の言うことを忠実に守り、なおかつ常に神様を賛美し、
きれいな心を持ち続けることが出来るのは、天使だけです。
なぜなら、神様は、天使をそういう風にお創りになったのですから。
しかし、人間は違います。
そうは創られていないんです。
ですから、罪を犯してしまうのは、もう仕方のない事なんです。
完璧な人なんて、どこを探してもいません。
誰だって、たまには、嘘をついてしまう事だってあるでしょう?
たまには、意味不明な事で怒りまくってしまう事だってあるでしょう。
妬み、恨み、憎しみ、なんていうネガティブな感情に負けてしまう事だって多々あるはずです。
ですから、罪を犯してしまう事っていうのは、、、、、悪い事ではありますが、
それは、マーマーしょうがない事でもあるんです。
ただ、問題は、
人間は、そういう風に罪をついつい犯してしまう生き物なんだ、
と、それに胡坐をかいて何もしない事だと思います。
悪い事をしてしまった、、、、
だから
悔悟して改める、二度と同じ過ちは犯さないと決める。
もし、また同じことをやってしまったら、、、
また、悔い改める。
そしてもう同じ過ちはしないと決める。
転んだら、また立ち上がればいいのです。
マラソン大会を、想像してみてください。
よーいドンで、走り始めゴールを目指して、頑張るわけですよね。
この時、どうせ転ぶように創られているんだからと
転んだまま起き上がらない人と、
転んでも、転んでも、またすくっと立ち上がって走り続ける人とでは、
どちらが、応援している人達の心に響くでしょうか。
もちろん、後者ですよね。
それは、神様視点でも同じでしょう。
罪を犯して、そのままの人と、そこから立ち上がり
また、神の元へと戻っていく人とは、同じではないはずです。
神様は、クルアーンの中で、
『奮闘努力しろ』とおっしゃいます。
つまり、頑張れ!と、いうわけですね。
この頑張れ!には、
良い事をたくさんしましょう、という頑張りと
転ばないようにしよう、悪事に手を染めないしよう、とする頑張りと、
そして、
転んでも立ち上がりましょう、という頑張りがあるのではないかと思います。
では、ここで
大きな失敗をしてしまった、とある預言者さんのお話を紹介しましょう。
昔昔、
まだ、預言者ムハンマドさん(平安あれ)が産まれるずーっとずーっと昔に
一人の預言者さんがいらっしゃいました。
お名前をユーネスさん(平安あれ)といいました。
彼は、神様から啓示された教えを、自分の人々に伝えました。
しかし、人々は、全く彼の言うことに耳を傾けません。
彼は、それにもめげることなく何年も、何年も、説き続けました。
しかし、ある時彼は、いくら言っても耳を傾けない人々に嫌気がさし、
とうとう、自分の町から離れる事に決めたのです。
しかし、預言者と選ばれた人というのは、
勝手に、自分に課せられた任務を放棄して、人々から離れてはいけないことになっています。
つまり、彼は、神様の決まりを破ってしまったわけです。
道中、(詳しい事は割愛しますが)彼は船から落とされ、結果、クジラに飲み込まれてしまいます。
クジラは、彼を飲み込み海の奥深くに潜ってしまいました。
海の奥深く、なおかつクジラのお腹の中という全く光が届かない所で、
彼はこう言いました。
「あなた以外に崇拝に値する神をいらっしゃらない。
あなたに讃えあれ。
本当に、私は、罪深い者でありました。」
彼がそう言うと、クジラは海の上に戻り
彼を陸上に吐き出しました。
クジラに吐き出された彼は、また自分の町に向かいました。
預言者の使命を果たすために。
そして、町に戻った彼は、信じられない光景を目にします。
なんと、
彼の町の人々が、神様の存在を信じ、神を崇拝するようになっていたのです。
預言者という選ばれた立派な人でさえも、神の決まりに反することをしてしまいます。
天使であったら、そんなことは絶対にしないでしょう。
でも、人間ですからね。
ある程度は、仕方がない事なのです。
しかし、このユーネスさん(平安あれ)は、過ちを認め、それを悔い改めました。
それを神様は、「よし、いいぞ」とみてくださったのでしょう。
その為
彼の過ちを許し、その上、人々が全員、彼の教えに従うというプレゼントまでくれました。
神様は、過ちを認め、悔い改める人が大好きです。
だから、そんな人たちに対し、神様からの御赦しとお助けと祝福がたくさんあるのは当たり前です。
預言者さん(平安あれ)は、こんなことをおっしゃいました。
「もし、あなた方が罪を犯さないのであれば、アッラーはあなた方の存在を無きものにする。
そして、代わりに、罪を犯しその罪を悔悟する人間を置くであろう。
そしてその後、アッラーは彼らの罪を御赦しになる。」
ハイ、ハイ、出てきましたね。
罪を犯し、悔悟する人間。
神様には、アルガッフールという御名前があるように、
御赦しになることが大好きなのです。
クルアーンの中にも
『またかれらが御赦しを請うている間は,処罰されなかった。』
(8:33)
と、あります。
「お許しを請うている間は、、、」
じゃあ、
悔悟せず、反省もせず、二度と同じような事はしないようにしよう!
なーんてことを思わない人は、どうなんでしょうか。
謝っている限りは、懲罰はない、つまり、
、、、謝らず、悔い改めなかったら、、、、
懲罰がある、、、ということです。
怖いですねえ。
実際、あのユーネスさんも
もし、悔い改めなかったら、最後の審判が始まるまで、クジラの腹の中にいさせたであろう、と神様は
おっしゃいました。
このように、神様は、罪人が好きなのではありません。
罪を犯しても、それに赦しを求め、自分を改めていく人間が好きなのです。
ですから、
罪人の祈りこそ聞くという点は、あんまりイスラム的な考えでは
ないかなあと、私は思うのですが、どうでしょうか。
では、
どーんな人のお願いが聞き入れてもらえるのかについて、
ちょこっと考えてみたいと思います。
結構、いろいろなタイプの人の願いが叶いやすいんですよね~。
例えば、親の子供に対するお願いとか、
断食中の人のお願いとか
雨が降っている時のお願い、とか、
色々あります。
さすが、優しい神様は、範囲をかなり広げてくれている感じです。
その広い範囲の中に、どんな人でも絶対に入れるぞっという
超簡単、超おすすめなカテゴリーがあるので、ご紹介しましょう。
それは、
旅人のお願いです。
旅、、、まあ、旅行です。
行きますよね~?
あ、でもコロナ云々で、旅行もあまり行けませんかね?
一泊二日で、近くの温泉旅行でも構いません。
イヤ、もう、日帰りでもいいです。
とにかく、ちょっと家から離れることを”旅”としましょう。
そんな旅人の願いは、叶いやすいそうですよ。
預言者さん(平安あれ)はこうお話してくれました。
「長距離を旅する男がいた。彼は埃まみれで髪は乱れていた。
その男は両手を空高く掲げ「おお我が主よ!」と叫んだ。
しかし、彼の食べ物、飲み物、衣服はハラーム(禁止されたもの)で、
禁止された生計で暮らしていた。
彼の願いがどうして受け入れられようか?」
ん、んんんん?
「受け入れられないってあるじゃねえかよお! クソがー!」
と、思ってしまったそこのあなた!
チ、違うんです。
(どうでもいいけど、読者さんの台詞がさっきからスゴ過ぎ!どんな読者?)
普通であったら、上記のような人のお願いは受け入れてもらえるはずなんです。(汗)
なぜなら、
その1:長い距離を旅し、すっかり疲れ切っている状況でのお祈り。
その2:手を空に掲げながらのお願い。
その3:神様のことを「我が主よ」と呼びながらのお祈り。
こんだけ良い条件が揃っているにもかかわらず、残念な人になってしまっているのは、
その人が禁止されたものを飲食しまくり、着ている洋服が超ヤバく、
ついでに生計もアカン(どんな仕事してるんだろ?)ということらしいです。
つまり
神様にお願いを聞いてもらいたかったら、
やはり神様の言うことも聞かないと、、、っていうことですね。
普段はやりたい放題、好き放題に生きていて、困った時だけ「助けてください」っていうのは、
もちろん”あり”だとは思いますけど、、基本推奨されないようですねえ。
神様はこうおっしゃっています。
『かれが我に祈るときは、その嘆願の祈りに応える。
それで我の(呼びかけ)に答えさせ、我を信仰させなさい。』
(クルアーン2:186)
ア~、こちらにはちゃんと
”祈りに答える”ってありますね。(ホッ)
でも、そのすぐ後にはこう続きます。
「われの(呼びかけ)に答えさせろ。」
これは、神様サイドは、ちゃんと願いを叶えてあげるから、
あなたたちも私の言うことを聞きましょう。
ということです。
やはり、、、
神様の言うことは聞かなきゃ、ですよね。
ただ、
神様の言うことを聞いて、得をするのは、私達であって、
決して神様ではないことを強調しておきます。
最後に、神様からのお言葉をもう一つご紹介しましょう!
『我がしもべは、課せられた宗教的義務を行うことにより我に近づきより愛されるようになる。
そして、我がしもべは義務以外の良い行いを行うことにより一層我に近づき、我はその者を愛するようになろう。
私が彼を愛するようになると、私は彼の聞く耳となり、彼の見る眼になり、彼の打つ手になり、彼の歩く足となる。
彼に願い事があれば、私は必ず叶え、彼が避難所を求めれば必ずそれを用意してやるだろう。』
「彼に願いごとがあれば、必ず叶え、、」
とあります。 必ず、ですよ!
だから、
神様にお願い(ドゥアー)し、それを絶対に叶えてもらいたいのであれば、
”上記のことをすればいい”わけです。
義務の宗教行事、それとそれ以上の良い行い。
これはちょっと、レベルが高く、
なかなか全ての人が入れるカテゴリーではありませんが、
その中に入ろうと努力をすることは、誰でもできるはずです。
ちょっと、私も頑張ってみましょうかね。
今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
コメント、なんでも構いません。
ドシドシ、送ってください。
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『神様に一番近い人の頭の中身』
レビューが、少しづつ増えてきています。
レビューを書いてくださった方々、本当にありがとうございました。
どんなレビューがあるのか少し紹介!
「会話形式なので分かりやすい」
「イスラム教徒が何を考えるのか分かるようになるので、
イスラム教徒と交流がある人におすすめ。」
そして、究極
「涙が出た。」
私も、このレビューを見て、涙が出ましたよ!(涙、涙)
「イスラム的現世の歩き方」
イスラム的な人生の処世術!
あなたは何のために生まれ、何をして生きていけばいいのでしょう。
人生の目的は?
せっかく生まれてきたのです。
神様に守られた平和な現世を歩きたくはありませんか。
そして来世では、天国に入って
”永遠に” ”幸せ” に暮らしたくはありませんか。
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