『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』試写鑑賞
素晴らしいドキュメンタリーだった。
当人に汚点のように築かれた出来事を中心軸に据えたドキュメンタリー。ドキュメンタリーには被写体の人間に一種の懺悔や悔恨の想いを吐き出させることでセラピーとなる効力があるように思う。
本作もジョン・ガリアーノという一人の天才としっかりとカメラを通して見つめ合った先の、深遠なるカムバックを映し出しているように思う。
天才は常にギリギリを生きている。
本作のジョン・ガリアーノもその輝かしい功績を振り返っていくのだが、都度問題が起こっていく。傲慢さや、アルコール依存など、天才が故のスレスレの精神。
本作は過去の映像アーカイブなどがふんだんにあり、当時の空気感というものを蘇らせている。エッジの効いたファッションショー、魚を客席に投げるパフォーマンスなども含めてそれは膨大の映像アーカイブからも感じ取ることができる。故にこの天才が時代の波に乗れば当然の如く「傲慢さ」も裏返しになるだろうなと。
それが本作の肝となるガリアーノのヘイト発言の映像となる。
何故差別発言をしたのかは本作を観ていただくとして、より重要なのはガリアーノから差別の言葉を浴びせられている人にもしっかりとインタビューをしていることだ。
そして差別というのはどんなことを根源的に傷つけられるのかという根深い意識を炙り出している。
その正体こそ尊厳だ。
彼から侮辱された人は尊厳が損傷している。
何故損傷していると感じたか。それはほぼ怪我だから。尊厳を傷つけらることは後にも尾を引くことだ。ずっと傷つけられた尊厳と、その出来事が本人にフラッシュバックする。被害と加害という見立てだけではない、その言葉によってガリアーノは自分自身が失っていくものを感じ取っていく。
ジョン・ガリアーノを通じてファッションの世界を覗く本作だが、ガリアーノを他の天才に置き換えて観ることも可能だと思う。天才という感性を持ってしまった人が、その感性や能力に対して何を天秤にしているのだろうか。凡人は天才に憧れるが、天才もまた凡人に憧れるのではないだろうか。ガリアーノが天才過ぎるが故に触れてしまう狂気的な何かを映画を観ていると感じる。
ガリアーノがファッションの世界で何故天才たりえたのか。そのガリアーノ特有のバランス感覚について様々な人たちが言及しているのが面白い。時に仮装パーティーと思えるくらいにやり過ぎているというファッションの映像が出現したりとクスっとさせてくる場面もある。
映画はガリアーノ本人のインタビューが主軸だが、膨大な映像アーカイブと構成・編集の見事さもあって全く飽きない没入感がありました。
映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』は9月20日(金)公開です。是非ご覧ください。
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