『レザボア・ドッグス デジタルリマスター版』を観に行った
『レザボア・ドッグス デジタルリマスター版』を観に行った。
昨年はタランティーノのドキュメンタリーが公開された記念で劇場で『パルプ・フィクション』がかけられていたので観に行ったが最高だった。2023年の私的映画ベストが1994年の映画だなんてどうなんだろうと自分でも思うが、やっぱりカッコよかったんだ。
レザボアも案の定素晴らしかった。
シネスコサイズに広がるリマスターの画ももちろんよかったし、音も大変よかった。
素晴らしいと分かって見ていても劇場で観ると一際凄かった。
キャスト全員がとにかく銀幕に映えるのだね。
ティム・ロスとハーヴェイ・カイテルの間に何かが芽生えるシーケンスはたまらないものがあった。
二人が黒いサングラスの出立ちでいた時に、香港映画の香りがした。
『友は風の彼方に』を見直したい。
マイケル・マドセンの拷問シーンは心躍った。『Stuck in the Middle with You』が流れて、劇場で首を縦に思わず振った。
1992年当時の空気感が分からないなりに、今観ても「面白い!」「最高!」となるのだからマスターピースなのだろう。
随所に映画らしさが匂った。映画は映画であることを歓迎しているような。
そりゃあそうなんだけど、レザボアは映画が映画たらしめている瞬間に満ちているような感じだ。
劇場で観ていて感じたのはタランティーノがやっていることはこのデビュー作から最新作まで一貫していることだった。それに感銘を受けた。自分が面白いこと、自分が好きなことを引き出しにして作劇している。好きなこと、自分が見せたいこと、やりたいことに正直でいる、それを創り出せることがかっこいいんだなと感じる。自分で好きなプレイリストを作るようなタイプなのだろう。そういうこだわりを随所に感じる。〇〇節がある人がカッコよくて、憧れる。その〇〇節を味わいたくて、金を払っている。
作り手の存在というものを随所に感じ取れることが面白い。作り手のクセが愛されてしまい、それを「待ってました!」とばかりに歓迎する客がいればそこにアートとビジネスが成立する空間があるのではないかと感じた。
自分自身を引用していく感じ。フィルターは徹底して自分自身なのが最高だ。
クールだけど気取っていないかっこよさがある。キャストに渋みがある。
「イケメン」ばかりを揃えていく映画と違う、味のあるキャストたちが映画を纏う。
なんと贅沢で幸せな時間だったのだろう。
当時の熱狂を知らずとも、リマスターのリバイバル公開で熱くなれるのだから、そんなファンでいられるのも幸せなことだと感じる。
映画はいいなあ。
インスパイア受けます。