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映画『ファーストキス 1ST KISS』を見ました。ちょっと私の両親の出来事を思い出した話。

映画『ファーストキス 1ST KISS』を見ました。
噂に違わぬ大傑作で、それが共感という感覚なのかも判然がつかない中、クライマックスの頃には号泣しておりました。
タイムトラベルものということで、現実的にはあり得ない出来事を取り扱ってはいますが、人間誰しもが一度は思うであろう、「あの時こうしていれば」といった「たら・れば」に関する出来事を恋愛という側面で描いており、多くの観客が自分事に捉えられるような瞬間があったのではないでしょうか。

夫を事故で亡くした妻が、タイムトラベルが出来る手段を見つけて、あの手この手で事故へと向かっていく分岐を変えていこうとするのが物語の根幹で、そのあの手この手っぷりが茶目っ気がたっぷりで微笑ましいです。松たか子の硬軟ある振る舞いと変幻自在な存在感によって、とても映画を魅力的に引っ張っていく。タイムトラベルで迎えるのは夫となる前に出会う頃。そこでのやり取りや、会話をなんとかして変えていこうとしていくことをテンポのいい編集と構成で見せていく。

予見される夫の「死」をどうすれば避けられるのかという点において、何度もタイムトラベルをしていきますが、やがてテーマは[訪れる死を避けるために過去に行く]というよりかは[何故この人を好きだったのか、好きと思えたのかという「好きになる」というグラデーションを因数分解していくタイムトラベルの旅]になっていっていっているように感じられました。

やがて訪れる早すぎる死をどのようにして避けるかではなく、倦怠期によってピントが合わなくなっていた「好き」という感情のピントを合わせることがこの映画の根幹になっていっているように感じます。

観客は何度もタイムトラベルを横断するうちに、二人がとても可愛げのある二人だということもわかり、お互いに夢や可能性もあった中で、比較的平凡で現実的な生き方をしていくようになったというのも分かるようになっていったりします。倦怠と呼ばれる方向にベクトルが向いていった蕾を少しずつ把握していくことになります。

この映画はやがて訪れる夫の死に対して、互いが好きだったことへの解像度が段々と高くなっていくことが次第にわかっていく演出に感動するわけです。
それもほとんど二人のお芝居にお任せするパートが多くて、シンプルなカット割りに自然光に見られるライティングだったり。会話のシーンの尊さがナチュラルに伝わってきます。

互いが好きであったことの解像度を高めるためにあの手この手で行動するのは「死」が終幕に用意されているからこそ取り組んだというのがまた切ないです。

死ぬと分かっているからこそ、この人が好きだったということが分かってくる。フィニッシュが決まっているからこそ、その過程をしっかりと顕微鏡で見つめようとする。

物事はフィニッシュが決まっていないからこそ、大事なことが盲目的になってしまっていくというのは恋愛以外の出来事でも普遍的な出来事として捉えられそうです。締め切りが決まっていない映像制作なんかも意外と苦しかったりします。

私の両親も少し似た部分がありました。
私の両親もいわゆる倦怠で、互いに嫌っているような感情がありました。

母はある日から末期の胃ガンだということがあり、突然目の前に死というものが家族の中で差し迫ってきました。
不仲だった両親は死をきっかけに再び再接近していったように思えます。看病をしたり、病院のことを探したり。
私は大学受験のための多浪期間でしたので、その母の迫る死というのもあまり現実味が湧きませんでした。

母の衰弱が進んでいき、胃が詰まってしまって、食べたものを吐き戻してしまうようになっていました。
夜に寝ていると嘔吐をするサインとして、母がどんどんと床を叩いて、父を起こして嘔吐物を処理してあげていました。
その都度、父が看病をする姿には胸が苦しかったと同時に、それでも両親は愛し合っていたのだなと私は分かることが出来ました。
癌があったらこそ、関係が修復していく両親を見ることが出来たのは私にとってとても財産になっています。

人は何故、死を意識して愛を再確認するのでしょうか。それではもう遅いと思うと同時に、それでも愛を再確認出来ることも尊いことだとも思います。

『ファーストキス 1ST KISS』はそうした個人的な出来事を喚起させることの出来る非常に素晴らしい映画だと多います。
松たか子&松村北斗の組み合わせとキャスティングにおける妙がこの映画の根幹ですが、些細なセリフがどれも素晴らしく、タイムトラベルという映画の魔法を駆使した作品を見ることで、現実に生きる時間軸を改めて捉え直すことの出来るいい機会をもらえる作品だと思いました。

大傑作でした。

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