和歌山毒物カレー事件を検証する驚愕ドキュメント『マミー』を見ました



またもや東風さん配給の作品で気骨溢れる作品の試写会に行ってきました。
「マミー」は和歌山カレー毒物混入事件を題材にしています。

林眞須美死刑囚は冤罪なのでは?という問いから端を発した、強烈な取材劇になっています。


東風さんにドキュメンタリー映画の試写を見させてもらっています。
いつもありがとうございます。

和歌山毒物カレー事件が起きた1998年、私は中学1年生でした。
同年4月に行われたアントニオ猪木引退試合を観戦し、プロレスに最高に感化されていた頃。
プロレスに感化されると同時に、ブラウン管で見るテレビそのものにも釘付けになっていた頃だったと思います。

子供ながらに地下鉄サリン事件は「とんでもないことが起きている」とテレビのワイドショーに釘付けになっていました。教団幹部の名前も覚えてしまったし、麻原逮捕の中継は固唾を飲んで観ていた記憶があります。

そんな平成の事件の数々も思春期真っ最中に起き、テレビの映像なんかを何度も何度も見ていると記憶の深いところで、凄まじくそのイメージが定着しているのであります。

まさしく和歌山カレー毒物混入事件とは現在38歳の1985年生まれの中年である私にとってそんな事件でした。

忘れもしないのは林真須美死刑囚がMiki HouseのTシャツとホースの水を報道陣に向けて放つ映像や写真だ。
「この人が犯人だ」と決めつけるに申し分ない強烈なイメージである。


本編にも出てくるこの写真と映像。これが間違いなく発端のキービジュアル。

加熱し煽り立てる報道とこの映像がミックスされた時、子供だった私にもこの映像は「犯人だろう」と決めつけていたと思っていたはずです。

と、同時に私にとってMiki House=林真須美が着ている服くらい強烈な認知バイアスがかかる強烈な画であったことも確かです。

ですが、その強烈なあの映像のイメージが本作を見ると段々と崩れかかってくる。
崩れかかるという表現が正確かどうかは分かりませんが、少なくとも自分の持っている「偏見とイメージ」というものを否が応でも考えさせる映画になっていることは確かです。

本作には林真須美の長男が出演しています。
「悲惨な事件を起こした女というイメージが僕には持てない」とハッキリと語るのです。

ここでも「イメージ」という言葉が出てきます。

そうなんです。この映画、私の所感だと「イメージ」についての映画でもあると感じました。

世間は「アイツが犯人だ」と煽り立て、そのイメージの映像と、根拠と思えるいくつかの事実を並べて物語を作る。査証されていることは確証が持てないが、イメージが膨らみ世間が「アイツがやったに違いない」という風潮を作り、確証のムードを作り上げていく。

ここでも膨らむのはイメージだけだ。

だが、長男の主観のイメージは違う。そのイメージが持てないとハッキリと言う。
そしてそのイメージが持てないのは何故なのかを強烈かつ丁寧な取材によって掘り起こしていく。

観客側の私も揺さぶられる。「イメージ」で見ていたことに、膨らまされたイメージで物事を見ていたことにバツの悪い思いをさせられる。

まだ公開前の映画なので、具体的なことを書くことは控えたい。
しかし公開されたら絶対に見て欲しいと思う。あの時の報道と、林真須美へのイメージになんらかの固定された何かがある人は見て欲しいと思う。

それにしてもこの映画、ドキュメンタリー映画として強烈なまでにいいショットが沢山あるのだが、特に終盤ある自宅を訪ねるシーケンスは神がかっていた。

ピンマイク二つ、車椅子を押す人、押される人。そしてそのピンマイクが拾う画面には映らないある男の声。
その会話のなんとも言えなさは時間の経過の残酷さと、人間の生をこれでもかと見事に映し出していたのではないだろうか。
紛れもない傑作である。

ちなみに同じく東風さんから公開された『正義の行方』も冤罪では?が発端になっている作品です。奇しくもどちらの作品も科学的な知見での検証がどちらも見どころの一つになっていて、当時の鑑識の甘さの実態を突っついていきます。その白とも黒ともつけない現状を突きつけられますが、その甘過ぎる鑑識をしていた人間の歯切れの悪さは注目です。何よりその歯切れの悪さは真実がどうあれカメラは克明に映し出すのですから。


すごいコピーだと感じる。強烈だ。

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