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グレタ・ガーウィグ特集『ハンナだけど、生きていく!』『BAGHEAD/バッグヘッド』を観ました

『バービー』で今をときめくグレタ・ガーウィグの初期作群がしれっと劇場公開されているので、どうしても観に行きたくなり劇場へ。マンブルコアと呼ばれる2000年代の低予算自主映画群の一つである。

あまりマンブルコアの作品を視聴するにはこれだけインターネットが開かれていてもなかなか機会がなく、個人的に低予算である映画作りや、インディペンデントであること、今売れた人がどんな初期作を作っていたかに大変関心がある。ちょっとしたインディー映画マニアみたいな気質があるのかもしれない。

2作品見たが、どちらも「意外とチャラな」という印象だ。
どちらもグレタ・ガーウィグの直接の監督作ではないが、グレタ・ガーウィグが群を抜いてルックスも良く、華がある。他のキャストには申し訳ないが、グレタの存在感を食ってくる印象のキャストはいなかった。

その華の部分もあってか、ちゃんとどちらの作品もグレタ・ガーウィグがミューズになり、そして彼女が行動をすることによって大小問わず映画の中にの動きが流れていくという感じだった。それが小さな蠢きだとしても、グレタ・ガーウィグが中心にいることでしっかりと映画の軌道がある。

どちらの作品もグレタ・ガーウィグはあっさりとおっぱいを出してくる。『ハンナだけど、生きていく!』はヘアも出していて、何の抵抗もなくおっぱいを出していて、びっくりした。抵抗のなさと、映画のためなら全然大丈夫だよーという感じさえする。

どちらの作品も脚本家たちの話だったり、映画監督たちの話だったり言わば映画内映画の構造にはなっている。
ENBUゼミナールのような集団たちが作った映画と言ったら分かりやすいかもしれない。みんなが映画が好きで、映画をライトに創っていくことに抵抗がない感じがする。そのカラッとした軽やかさが一種のチャラさにも感じたのだろうか。

グレタ・ガーウィグはあらゆるキャストとキスシーンがあり、文脈を噛み砕かないとビッチに見えてしまう。
私はなんだかんだでショックだったよ。え、軽くない!? まんまとハメられているとも言える。

この辺りの描写をライトにやれてしまう肝の強さというか、今や大御所監督になったグレタ・ガーウィグにこんな過去があったのか!?とびっくりする。個人的にはドキュメンタリーの巨匠森達也監督が石井聰亙監督の作品に役者として出てきたことがあったくらいびっくりした。

こういう今は別のキャリアを送っている人が見せる芝居や、記録の面白さって間違いなくあります。

そして両作品とも手持ちカメラで、カット割りをたくさんしている撮影方法でした。
見ようによってはドキュメンタリータッチですが、カメラの存在としてそれは機能していないので、あえて乱暴に撮影しているとも思えます。三脚を据えていない、三脚を捨てるという潔さが圧倒的なインディーズの匂いを漂わせてきます。手持ちカメラでも切り返しのショットがあるだけで映画は劇映画としての軌道を作るのだと見ていて感じました。画角の収まりよりもスピード感、機動力優先な感じ。

◼︎『ハンナだけど、生きていく!』
は若き脚本家グループの話だ。主人公のハンナもその集団の一人。
彼氏と思われる男とシャワーに入っていて、のっけから裸です。インディー映画ならではのかましというか、その男女関係の親密さを示すには説得力が十分です。

彼氏が無職になり、違和感を感じていきます。
もう触らないでと、あっさり別れ話へ。

別れ話をする部屋がとにかく狭い。
この映画、とにかく画が狭いです。
金がないのか、広角レンズがないのか、はたまた広い空間を見せないようにしているのか。
画が窮屈で、広々とした画がほとんどありません。
汚らしいシワだらけのマットレスと枕。男女がそこで寝ていますが、ほとんど汚い部室の部屋という趣。ザ・自主映画の空間にほっこり。

シーンとシーンの間が印象的で
ハンナがヘッドフォンで音楽を聴いていたり、本を読んでいたりと時間経過の間の挿入にハンナのなんてことのないショットが挿入されてました。
とても印象的でした。別れ話もそんなに影響がないというか、すぐに日常に移行しているのがよくわかります。

最初の別れを終えて、女友達と狂ったように踊るシーケンス。
今よくあるSNSのダンス動画のようでもある。
別れ話の反動を表現しています。ダンス一つで表現していくことに少しだけ手慣れを感じます。省略の仕方がうまい。

次の彼氏は映画の中で、比較的冴えないビジュアルの男です。
おそらく脚本家志望で、ハンナと会話していくうちに夢中になっていきます。
いい感じの雰囲気になってキスを迫っていったり。密室になった男女のそうした雰囲気になりがちな、一種の空間であります。

その後、風呂場に隣接されたトイレにハンナがやってきておしっこをします。
シャワーを男が浴びていますが、仲良くなった、親密になったことの示しとして放尿しているところを見せるということをやってきます。
男もまたそんな奔放なハンナにさらに惚れていきます。

ハンナはこの映画の中でそうしたことを繰り返していく。
違和感があれば別れ、そしてまたすぐに近場の男と交際していく。

この空気感がこの人たちにとっての当時のリアルだったのかもしれません。
風呂場でスタートして、風呂場で終わるこの映画。
風呂場ではまた別の男と入っていて、トランペットを吹きあっています。
チンコも出ています。

ピークや盛り上がりをあえて作らない構成なのでしょうか、即興的な芝居がほとんどということですが、ただこの若者たちのリアルな活写を映すという意味では誰かに感情移入も、この集団にもうまく心がライドオンすることはできませんでした。

◼︎『『BAGHEAD/バッグヘッド』
この映画はフィルムでした。映画を作ろうとする若者の集団たちの話だ。
4人の男女が週末に映画を作ろうと山奥のコテージに合宿に行く。なのに脚本とか何も決まっていない。
現地に行って、みんなでアイディアを出し合って撮るというのだ。
みんなが酒を飲みあったり、カードにアイディアを書いて、バトンを繋ごうとしたり。
そういう自主ワークショップの集まりなのだが、男女のあれこれが案の定始まってしまう。
「またかよ!」それしかネタないのかよというくらいやや貧困なプロットだ。

そんなグダグダな合宿をしている際に、袋を被った男が窓からこちらを覗いているのを見てしまう。
それを映画のアイディアにしようと言う。

袋を被った男がミステリアスに近付いてきて、映画撮影どころではなくなっていくのだが。
終幕のオチやネタばらしがそこまで面白くなく、ならば真剣にホラーとして向き合った方が良かったのではと思う流れに。

途中「お前は最低のヤリチンだ」「絶対にミシェルと寝ないとキンタマに誓え」といったセリフが出てきて、面白かったのだが、それ以上の下劣さはあまりなく。
きまづくするのなら、徹底して気まづいものを!と欲張りたくなる感じました。

とにかくマンブルコア、2作品。
意外と深みがないということが判明。それが良いことなのかもしれない。

こうしたライトな感覚の初期群からグレタ・ガーウィグの誕生があったことに驚きがあったのだった。

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