アメリカの男の子の夢
この夢は、ぼくが小学生の頃に見ました。
言葉にするのが難しいけれど、言葉以上に感覚で
この夢が「言いたいこと」が伝わってきたので、
書きたいと思います。
✴︎夢
数回にわたって見た、一つの人生の夢の繋ぎ合わせ。
外国、最近。1960〜80年代。
夜。欧米風の3階建てくらいの大きな茶色い壁の建物を客観的に見ている。
ぼくはまだこの世に人物として存在していないが、窓からオレンジの灯りが漏れていて、パパとママが仲良くパーティ?でダンス?しているのを見ている。
別の日。
アメリカな感じ。3歳くらいの男の子。
夜にパパとママに、大きなおもちゃ屋さんに連れて行ってもらった。
そこで大きなテディベアのぬいぐるみを買ってもらい、なんだかすごく嬉しい。ベアを抱っこしている。
後部座席から、前の席の仲の良いパパとママを見ていて、守られているような、とても温かい気持ち。
また別の日、雨。
大きな黒い車が追いついてきて、車からピストルで両親の車を狙って打ってくる。音がすごい。道路に玉が当たって、バチン、バチンと弾き返されている。
こんな場面なのにぼくはというと、カーチェイスみたいでドキドキするなー、と恐怖はなく好奇心で見ている。
別の日。
夜。ぼくは5歳くらい。大きな白い家に住んでる。
弟と家の周りの草むらの大きな石の陰に隠れてる。
組織の人が僕たち家族を狙っているみたい。
なんでかは知らない。
この時に打たれて死んだ気がする。
怖くはなかった。覚えてない。
別の日。
空中に意識で浮かんでいる。
だいぶ時間が経ったみたい。
ママはいつも嘆き悲しんでいて、キリスト教の陶器の置物?を僕らの代わりとして集めている。
家は白いこぢんまりとした感じの戸建てになっていて、つるの生えた植物で覆われてるのと、ママの収集物の白い像で埋め尽くされて鬱蒼としている。
内装も白の家。階段にも像がずらっと置いてある。
なんかたくさんあって、悲しみや虚しさの念がこもってしまっていて嫌な感じがする。
ぼくはそこにいないよー!と、すごくフラットな感じで見ていて悲しくはない。でもママにはちょっと近寄りがたい。
ぼくの気持ちとしては、
悲しいことよりも、とにかく夫婦が仲良くて、
子供としてはそれが何より幸せだったこと、仲良くおもちゃ屋さんに行けていつもママとパパに守られた暖かい思い出だったこと。
魂となって、とてもフラットで心地よい気持ち。
、、、そんな夢でした。
自分の幼少期と全く違ったので、コントラストみたいにはっきりと印象に残りました。
ママとしては、人間として悲しいのは当然であるし、悔いもある。けれど、子どもは暖かい家庭で守ってもらい、すごく幸せだったと思ってるのですね。
しっくりくる言葉がないですが、
親が幸せであれば、子も幸せである、という感覚もありました。
子から見た夫婦間、子から見た幸せの価値基準は、
(自分が子供の頃はわかりませんでしたが、今考えると)大人とだいぶ見方が違うかもしれないことが、印象に残りました。
この男の子は、ぼくは子供の頃から一貫して幸せだったと思います。
だって夢の中で自分はその男の子で、大変な場面でも余裕なほど、無敵に幸せだと感じていたから。
きっとこの子のママは子どもの自主性を尊重して、
あんまり世の中の恐怖ベースの軍隊みたいな観念を押し付けずに、大らかに、その子のなるように任せて育てていたのかな?とも思います。
ぼくは性格的に、
大切な人やペットが天国に行ってしまったら、ここの夢に出てきた「ママ」と同じようにずっとずっと悲しむかもしれない。
だから、この夢が
「故人はもしかしたらとてもフラットな気持ちでいることもあるかもね。案外、死ぬ間際よりも楽しかったことのほうを鮮明に覚えているかもよ。」
という視点を教えてくれたと思っている。
魂となっても見にきたりして、思いは通じるんだって信じてる。
おわり。