SNSと向き合い続けてもう10年が経っていたので、反省と振り返り
どうも、この度ブログの記事を書かせていただくことになりました。
サロンでふわふわしている「つきのくつした。」と申します。
こんにちはこんばんわ。
こういう本格的な記事を書くのは初めてですので、お手柔らかに。
題名からすでに、年寄りの哀愁が漂っていますが、気が付いたら10年経っていました。
そういうわけで、思うところもあったりする訳です。
これは自分への反省でもあります。
ぼくの初SNSはGREEとかモバゲーでした。
まだパケホーダイとかやっと普及したころで、日本の人々がインターネットを楽しめる時代になったころです。
引っ越しして友達も少なかったぼくはすぐにネットにハマるわけです。
あのころは手探り手探り、いろんな人と交流したりして、たくさんの友達ができました。あの手この手で連絡先を交換したりだとか、そういう事に躍起になっていたあの時代を思い出すと懐かしいです。
今でも2人ほどその頃からの友達が残っているので、人の縁は不思議だなと思います。
その後、TwitterというSNSの王様が登場するわけですが、当然ぼくも始めました。あまのじゃくな性格なので、すぐには飛びつかなかったですが……記録によると2012年2月に、ツイ廃人生をスタートさせている模様です。(黒歴史がたくさんあるのでクリーナーしたのはいい思い出)
たくさんの人と交流して、ゲームを四六時中して叫びまわり、親にどなられたり、いろんな女性と恋もしましたし、リア凸(ネット上だけの絡みしかない人物と実際に会う)して終電逃して警察に補導されたこともありました。
今でも人に言いにくいことだってある。(たぶん)
さて、ここから、本題ですが。
SNSというのはソーシャルネットワーキングサービスの略語です(今更)。
僕が思いつく限りどんなことができるのか考えてみました。
・世界中の人間と交流できる
・鮮度の高い情報をメディアより早く入手できる
・著名となれば収入の見込みがある
・ネガティブな感情・誰にも相談できないことを吐露して共感を得る
なぜ最後だけ強調したか、ぼくがSNSで交流する若年層が、ほとんどこういう人になっている。そんな気がしたからです。
「あなたのSNSの使い方ってどんな使い方ですか?」
嗚呼、そんな事言っていいの?昔のおまえもそうだっただろ?今思いました。今回はそれは棚上げさせていただきます。ご了承ください。
ちなみに、今から列挙する傾向は自分自身へのブーメランでもあります。
まあ。偉そうなことを言えば乗り越えてきたと思っています。
ではいわゆるSNS依存に陥るスパイラルについてお話します。
Lv1.単純に情報収集をする
たぶん世界の7割はこの使い方
Lv2.有名人をおっかける
たぶんオタクはここからスタートする
Lv3.共通の趣味でいろんな人と繋がる
絡み合ったオタク同士がここに到達する
Lv4.居心地の良さに本当の自分を曝け出していく
ああ、ネットこそが本当のぼくが入れる場所、認めてくれる仲間。
学校のやつらも、職場のやつらも皆ぼくのコトなんか興味ないし、ぼくも興味がない。
Lv5.承認欲求を満たす
ぼくを認めてくれる、ぼくと情報を共有してくれるだけの人なんて要らない、ぼくに共感してくれる人だけでいい、否定も批判もいらない。
LvMAX.あなたというそんざいはげんじつからいつしかとけてなくなる
ぼくはがっこうをそつぎょうした。まいにちしごとがつらい。ひとのかおをみてはなすのがきらい。いつもいやしてくれるのはねっとのともだち。
まいにちじぶんは”がんばっている”のに、しごとをみとめてくれないじょうしがいやだ。やってほしいことがあったらせつめいをしてやってくれってたのんでくれたらいいのに。どうきはみんなたのしそうにのみかいとかしてる。ぼくのことさそってくれない。なんでたのしくもないことをぼくはしているんだろう。しごとやめよう。。はあ。さいきんねっとのかれしともうまくいかない、あいつといっつもはなしてる。ああきがついたらあさだ、ねむい。しごとだるい。もうさぼろ。おかあさん。わたししごとやめるわ。ごめんね。よーーーーしきょうもねっとのともだちとげーむしよ!
これは、極端に話しすぎたと思いますが、ネット界隈でこういう人間をよく見てきました。そしてその傾向はネットが当たり前の時代が近づくにつれて多くなった気がしています。
ぼくはよく配信をしているので、若年層との関わりが多く、相談などを受けた経験も含め、そう感じています。
炎上配信などを取ってみても、ゴールに有名になってお金を稼ぐだとか、何かしら自分にとって胸を張って後世に伝えられるコトならいいのかもしれませんが、自分の憂さ晴らしのためだけに、何よりも高価な時間を使うのはもったいないと個人的には思います。
こういうことを言うと、「おれのかってだろ」「なにをつぶやいたっていい」「おまえにおれのきもちはわからない」などと野次が飛んでくるんでしょう。
その通りです。勝手にしてください。
たぶん、周りからあなたを庇ったり認めてくれる人がいなくならない限りは気が付きません。人間は十人十色。みんな価値観も違えば、相容れないことなんて星の数ほどあります。仕事や必ず関わらなくてはいけない場合を除いては、無理に関わる必要はないんですよ。
ぼくが思うに、依存する人たちは人の意見に流されて生きてきて、嫌いまたは苦手な人と現実でコミュニケーションを取ることを極端に避けてきた人がなりやすいと思います。自分で何かを決定した経験も度胸も少なくて。
友達は、人生を豊かにするためのエッセンスであって、自分の人生を決めてもらう道具ではないんですけどね。
一偏見に過ぎないのでここいらで終わっておきます。
何を訴えたいかというと
「後悔しないですか?」
なにもSNSが悪いというわけではありません。素晴らしい仕組みです。
今じゃ、SNSがきっかけで飯が食える人だっています。
しかし、お酒も過剰摂取すれば毒なように、自分に害が及ばない範囲で利用したほうがいい。
要は後悔しない使い方をしなくては意味がないんです。
とはいうものの、SNSに彼女が浮気したとか、どうしても他責にしたいことを愚痴りたい気持ちはわかります。
でもそれを見て、周りの人は、災難だったね可哀そうに。そう言いながら寄り添い、その相手が最低なだけ!あなたは悪くない!早く別れてしまえ!だなんて言うわけです。しかし、なぜか大半の人は、それに反発します。おまえは彼女のいいところを知らないんだ、知らないのにああだこうだ言うなって。これってすごく矛盾してるし、時間の無駄。人に相談しておいて、意見貰っておいて自分の価値観に合わなかったら反論する。結局自分の選択にケチつけられることが気に入らないわけです。でもそう、自分で選んだことなんですよね。その女の子を選んだことも。結局は自分は間違っていないって、他人のせいでおかしくなった俺の人生って。その共感を得たいだけで、それほど内容に関してダメージ受けてないんですよ。承認欲求を満たしたいだけ。そう思ってるうちは、ずーーーっと後悔をし続けて、同じことを繰り返すと思いませんか?
正直ぼくは今までのSNSへの依存してきた人生を後悔しました。今もよくします。(おい)
ただ、学習もせず、人に依存し続けて時間の無駄なSNSの使い方を続けていたらぼくは、もっと後悔していたと思います。
さて、これ以上書くといつ終わるか分からないので、来月に回そうかなって思っています。
このままでは、SNS依存を叩く趣味の悪いおっさんの記事なので、どうしてこういう考えに至ったかもっと掘り下げて、たどり着いた答えを乗せたいと思います。(?)
それがあなたの答えになるかは、あなたの受け取り方次第ですが。
サロンのメンバーは皆個性的で、勉強させてもらうことがたくさんあります。お互いがお互いを認め合うという素晴らしい文化があります。
このようなエゴのかたまりの記事も書かせていただき、感謝しかありません。まだまだ未熟ですけど、いろんなものを皆さんに届けられるような人間を目指して、明日もしゃちくします。
↓のはぼくが最近じぶんに言い聞かせてる言葉です。演技をかじるようになってから、すんなりとこれができるようになりました。だから演じるってサイコー!!!
「まず、じぶんを好きになれ。
そして、他の人を自分から好きになれ。」
つきのくつした。