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映画「侍タイムスリッパー」を見た(ネタバレあり)

2024年8月、池袋単館上映。
https://www.samutai.net/

全体の感想

見ていてとても見やすく、次の展開がどうなるか読めない、最後まで追いかけ続けることができた素晴らしい作品だった。
とにかくこんなにすっきり見れて満足感がある映画なんていつ以来だろうか。
まだ誰の手垢もついていない、まっさらな状態で見れたことに圧倒的感謝。
ちょろっと流れきたポストを見逃さず、即実行で翌日のチケットをとった過去の自分を褒めてあげよう。

殺陣のすばらしさ

この作品の殺陣は大きく分けて個人的には3つあると思っている。
①最初の幕末時代
②坂本竜馬での初めての切られ役
③最後の殺陣
それぞれにしっかりと意味を持たせた殺陣が素晴らしい。
この殺陣のクオリティの高さが本作品の進行度合いと主人公の立場、考えをまとめており、殺陣以外の場面で無粋な説明シーンや補足のような感情を吐露する場面がなく、物語全体がしまっていくように感じた。

①最初の幕末時代

言わずもがな、ここは本当に侍であるということを誇張するシーン。
このシーンがのちの最後の殺陣にもつながってくるのが素晴らしい。
最初の入り口でありながら最後の伏線にもなっている。
最初なので忘れてしまいそうだが、1,2個印象的な部分を覚えておくだけで最後の殺陣で「あ!」と気づくものがある。
また、説明も最初のやり取りだけでそのあと殺陣につなぐことによって本当に強い侍たちであることが明確になるうえに、侍として強い意志をもっていることも端的に伝えている。
素晴らしい構成と脚本と言わざるを得ない

②坂本龍馬との切られ役の殺陣

ここは①とは打って変わって「切られ役」として生まれ変わるシーンに思えた。
侍ならではのたたずまいを買われ、ピンチヒッターとして切られ役登板。
見事な侍として動き切られ役として人生を再出発するきっかけとなる。
最後は坂本龍馬に銃で撃たれ、倒れ、走馬灯が流れる。
ここはギャグシーンのように見えるが、実際は侍としての自身の死を表していると感じる。
そのあと、切られ役として弟子入りし、現代の役者として生き始めるがここがターニングポイントとなっているといえる。
また、本作品は自分の記憶では血が明確に流れるシーンはこの坂本龍馬に打たれるシーンと最後の殺陣のシーンにしかないと記憶している。
血が流れその時の自分は死ぬ→生きているので新たに生まれ変わる、というのを殺陣の中で表現しているのである。
これをセリフなどで「いや~拙者、侍ではなく、現代の切り捨て役として生きるでござる~」などで言ってしまえば興ざめだ。
この主人公の立ち位置を殺陣の結末からつなげるのは素晴らしい構成力だ。
その後弟子入りし、役を重ね、現代におけるたどたどしさも消える。
極めつけは髪を切るシーンだ。
侍が髪を切る、それは侍をやめて隠居する意味を持つと思う(いわゆる剃髪)。
それを現代の床屋で行い、少し違和感を感じながらも文句は言わず受け止める。現代に完全になじんだ証拠といえるシーンだ。
我々現代人にとって当たり前かつ、もし現実に侍がタイムスリップしてきたら当然のように勧める行為を丁寧に差し込むことによって場面場面に意味を持たせており、それが物語の1つ1つの核になる。
こういったシーンの持たせ方がとてもうまい。

③最後の殺陣

最後の殺陣は改めて侍として一騎打ちに挑む。
それまでの殺陣とは違い、本当の侍同士の一騎打ちだ。
本作は切られ役が主人公といいながら、その実、時代劇の切られ役として当然のようにあるべきものがあえて除外されている。
それは刀の切りあう音だ。先述した血のりもこのラストシーンと坂本龍馬に打たれたシーン以外全く出てこない。
しかし、このシーンは例外だ。
真剣で切りあうと約束した2人の間には死合いの空気、緊張感が流れる。
①の殺陣で流れた太鼓のドン!という音がここで再び入る。
その瞬間、ここには侍しかいなくなった。
劇場全体が、本当に殺しあうのか?という疑問がよぎり、そしてそれが真実だと動きで気づくのである。劇場全体が殺陣で息をのんだ。
ここで今まで出てこなかった刀の切りあう音、刀の輝きが待ってましたと言わんばかりにでてくる。
今まで効果音も刀の輝きもない殺陣を見続けていた観客はその突然のリアリティに本当の殺し合いが始まったと信じる。
劇中で「リアリティは感じてもらうもので本物であることではない」といったセリフがあったが、ここはまさにそれを体現したシーンだ。
本当に斬りあっている、どちらか死んでしまう、そう信じて疑わなかった。
最後は映画としての展開と主人公の気持ち、両方をうまく落とし込み、そして終わり方もあと腐れがない、この映画ならではの持っていきかた。
ここまでに培った映画と観客の信頼をみごとに生かし切った展開だ。
「MSの戦闘シーンはオペラでいう歌なんだよな」とかのガンダムの生みの親富野由悠季は言った。
この作品はまさに殺陣がオペラの歌のように観客の心にしみわたり、世界観と人物たちを形成していく。あっぱれな殺陣だ。

あまりにも映画として正統派

殺陣のすばらしさをつらつらと語ったが、この作品はあまりにも映画としてまっすぐ向き合っている。

①役者の演技力

正直私は役者の名前や芸能人の名前なんてものは全く覚えていないし覚える気もないような人間なのだが、本作の役者の演技力は全員本物と言わざるを得ない。
一つ一つのセリフの受け取り方、返し方、目線、手の動き、すべてが丁寧で美しさすら感じる。
インディーズ映画としてジャンルわけされているが、こんな役者がインディーズ映画に出ているというのは異例、信じられないほどの演技力である。

②全く不自然さのない舞台設備、世界観作成

インディーズ映画、インディーズゲーム、インディーズ曲。これらインディーズとつくものの共通しての苦労はやはり作り込みであると私は思う。
どうしてもチープさが出てしまう場面や作りが出てきてしまう、それを逆手にとって武器としてとがらせる、それがインディーズタイトルの手法の一つであると思う。
現に、インディーズ映画である「カメラを止めるな!」はこの手法だと思うし、インディーズゲームから世界的大ヒットになった「マインクラフト」なんかもそうだ。
ただ、この作品からはそういったインディーズらしさというのを全く感じない。むしろ舞台美術としてクオリティが高い部類に入ると思う。
この映画はインディーズでありながらインディーズらしさ、インディーズ臭さを全く感じさせない。それがまた映画として集中できる環境を作り上げているのである。
PVには予算度外視みたいなことも言っていたが、それゆえになせる業。
予算ではなく、観客がちゃんと映画の世界に入り込めるかを意識した作るになっているといえるだろう。

③シーンに意味を込めた小道具、音楽

殺陣のシーンでも説明したが、シーンにそれぞれ意味を持たせるための小道具の使い方、音楽の使い方が素晴らしい。
最初と最後にしか流れない(と記憶している)太鼓の音、血のりの出し方、刀の輝き、刀の効果音。
時代劇にとっては取るに足らない当たり前の存在に意味を持たせて映画全体のクオリティを底上げる。まさに素晴らしい裏方の在り方だ。
これらの要素は自分のような時代劇ブーム終焉生まれからみたら「時代劇のよくある演出」程度にしか見られない。それをしっかりと意味を読み取り、本作品の中で再構築している。作中でも「時代劇への復活と恩返しをしたい」と語るシーンがあるが、この作品自体にもそういった時代劇への想いを感じる。

この作品が伝えたいこと

純粋にエンターテイメントとしてクオリティが高い本作だが、この作品のテーマは「自分の生きる意味とはなんなのか」だと思う。
侍一筋として生きてきた。でも侍ではなくなってしまった。侍ではない人生もいいと思った。しかし仲間の無念をしってしまった。自分とは何なのだ。
それを問いつつ、自分がやれることは何なのか、自分が生きる意味とは何かを改めてまっすぐに見直せる作品だ。
さらにその中で監督自身の映画感や、気持ちが垣間見えるのが面白い。特に「時代劇への復活と恩返しをしたい」といったセリフなどにどこか製作者たちの想いを感じるのである。
邦画は最近見てなかったが、邦画ってここまでできるんだと感動した。
この作品が伝えたいこと、などと説教臭く書いたがこの作品はそんなことを感じる必要もない。
純粋に作り込まれたまっすぐな映画として見る。
それだけで大満足できる王道映画エンターテイメントなのだ。
出会えてよかった。
俺のタイムラインにでてきてくれありがとう。

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