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5話 痛みの記憶2

 気が付かれたくなかったので、なるべく普通にするように頑張って歩こうとする。
 が、足をつける度に痛みがズキンズキンと襲ってくる。
 カバンまでは頑張って普通に歩けた……と思う。
 頑張れたのはそこまでだった。
 歩くたびに痛みが増していく。普通に歩こうとするなんて無理だった。
 連絡張を受け取っていないのは、私を含めて数人。
 並ばなかったら、目立ってしまう。「なぜ?」と言われてしまう。
 それは避けたい。

 一歩歩いて、一歩足を引きずる。一歩歩いて二歩足を引きずる。
 そんな感じで、足を引きずるしか出来なかった。
 もちろん、先生が気が付かないわけがない。
 連絡張を私に渡しながら、先生が
「その足、どうしたの?」と、聞いた。

 『………』

 いつもの通り、私は何も答えなかった。
「お友達とぶつかった?転んだの?」
 私は首を振る。
『お願いだから、放っておいて。家に帰ったら、おかあさんに言うから』
 と、心の中では思っていたけれど、一切言葉にすることはなかった。

「痛いんでしょ?」
 私は正直にうなづく。
 なんだか分からないけれど、大事おおごとな感じがした。
 そのうち、きょう先生が他の先生にも私の怪我けがを伝えたらしい。
 私は先生と、接骨院に行く事になった。(当時は接骨院なんて知らないので、病院だと思っていた)
 接骨院でも医者が「痛い?」と聞いてくる。うなづきで答えた。
 足には包帯が巻かれた。
 先生の車に乗って、家へと帰る途中、先生が「まるちゃんのおうちは、どこ?」と聞いていた。
 答えられずに黙っていると、「あそこで合っている?」と先生が道の角を指した。
 私はうなづく。
 家では妹たちと母が待っていた。
 先生が何かを母に説明していた。

 母も私に「足、何をしたの?」と聞いてきた。
「何もしていないよ」
 私はそう答えることしか、できなかった。

 私にとってそれは『いつもの事』で『普通』なのだ。
 わざわざ医者に行ったことに驚いてしまった。
 ただその痛みは『いつも』と違って、数日間続いた。

 そんなにひどくひねったのは、その時が初めてだった。
 足の痛みは、その後も何度かあった。
 小学校に入る頃には、それほど頻繁には足は痛まなくなった。

 この時は、保育園の先生が病院に連れて行ってくれた。
 弟も保育園でけがをした事がある。遊具で遊んでいた時のけがだったらしい。
 弟の時は、家に電話が来て母が呼び出されて、母が病院へと連れて行ったそうだ。
 何が違うのだろうか?と考える。
 私が何も言わなかったせいで、『ひどいけが』と誤解させたせいなのだろうか?
 恐らく弟は私と違って、ちゃんと痛みを訴えただろうし、けがの理由もはっきりしていたからだろうか?






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